第一章8「王城2」

 ギルドから正式に依頼されたということもあり、ハルトとハインツ、それにリーシェの三人は巫女の居住区であるアーレトン城へと登城する事となった。

 彼女の住む場所は王都ヴァロメリの中央に位置する【王城:アーレトン城】。大陸内でも一二を争う精鋭が集い、此処に勤めることが出来る人物は秀でた能力の持ち主だけだと噂されている。雇用試験には何千人規模の志願者が集まるが、その中で王城勤めとして合格するのは年に10人いるかいないかといった具合である。それほど人々の憧れの的として認識されているのがアーレトン城であった。

 各噴水広場の魔導ワープポイントから城門への移動が可能だが、その先を進むには【許可証】が必要である。城門内にはさらに森や畑のなどが広がり、城門内にも小さな町が形成されている。城に勤める者達の居住区であり、その家族や選ばれた商人のみが商いを許されている場所であった。

 それならば一般的によくある城下町として認識されるであろうが、その場所はそうでは無かった。ハルト達はこれからそれを知る事となる。




「日光ウルフの心臓が許可証代わりになるって言われたが……中々の注目され具合だったな」


 清々しいほどの笑顔で言ったのはハインツであった。そんな彼を恨めしさを露わにした顔で見上げるのは件の少年ハルト。その背中には袋に包まれた状態でありながら異様な存在感を放つ、日光ウルフの心臓が鎮座していた。集会所を出てから現在地点である城門に続く通りに来るまでの人々の視線を思い出したハルトの顔には、さらに恥ずかしさが追いついていた。真新しいランドセルを与えられた小学生を見る微笑ましい様な視線のほか、僅かに事情を知る者からは嫉妬、ある意味の被害者である討伐者達からは哀れみ、単純な好機といった様々な感情を向けられたのであった。

 冒険者が力づくで素材を運ぶことはそう珍しくないが、ハルトの場合、彼の凡庸さと背中の高貴さがあまりにも釣り合っておらず、人々の注目を集めてしまったのである。


「何でこんな事に!? てっきりお城まで行けば良いだけだと思ってた……」


「仕方がないじゃない、向こうが『心臓を持ってこい』って条件を出してたんだから」


「噂を聞きつけて偽物が現れるかもしれなかったからなぁ。 ま、あんまり無茶な注文じゃなくて良かったな!」


 二人はそれぞれの反応を示しながらも、ハルトを手伝う気配は一切無かった。それは冒険者だから、だろうか。

 あまりにも重い、物理的にも精神的にも倫理的にも決して軽々しくはないハルトの背中の物は、じわりじわりと彼の体力を奪っていた。


「うぅ……重い……」


「情けないこと言ってないで、とっとと歩きなさいよ」


 ハルトよりも少し先を歩いていたリーシェが、呆れた顔で彼に声を掛けた。集会所で見せた表情は既になく、いつも通りの少しキツい物言いをする素直ではない少女であった。ハルトはほっとした。未だに彼は掛ける言葉を見つけられていなかったからである。

 ふと、彼女の隣を歩くハインツの背中を見て、思い出したかのようにハルトはちょっとした疑問を口にした。


「そういえば、ハインツさんって巫女様とお知り合いなんですか?」


「あー、まぁ知り合いって程じゃねぇよ。お互いに顔は知ってるって程度だ。俺が参加した討伐クエストでも何度か見掛けた事はあったし、あの方は全ギルドの統括者でもあるからなぁ、この国の上位ランクの人間であれば関わる機会は案外多いんだよ」


「私も、何度かイダスタやランネスタでフリークエスト受注しているの見掛けたことあるわよ」


「へぇ、そうだったんですか」


「まぁ本人がほいほいクエストに参加しちゃうから、上位クエストがすぐ無くなっちゃうっていう苦情がたまに来るのにはこっちも困っちゃうんだけどねぇ」


「「「!!!」」」


 三人しか居なかった筈の場に突如見知らぬ声が割って入った。振り返った彼らの背後には、一切の気配を感じさせることその場に現れていた、一人の魔術師らしき人物。

 ハルトの記憶の中にその人は居なかったが、その正体に気付いたハインツとリーシェは共にその人物に礼の姿を取った。リーシェは魔術師としての礼、ハインツは騎士としての礼であった。

 実はこの世界では、伝統を重んじる職業の場合、それぞれに礼式が存在しており、特に魔術師と騎士はその礼式を重要視している職業であった。

 二人はそれぞれ異なる礼式であったが、その姿を見たハルトは慌てて頭を下げるも、背中のにより勢い付いた上半身により、あわや地面に向かって礼をする既のところで、現れたその人が素早い動きでハルトを背後から腰を抱き寄せて支えるという珍妙な絵面を見せたところで、ハルトと地面の初見は遠のいた。これが仮に端正な顔立ちの男とか弱気女性であれば、もしや発展したかもしれないが、理由も絵面も奇妙であり、誰も喜ばない状況でしか無かった。ただただ、ハルトの凡庸さと現れた中性的なその人のゴリラが発覚しただけである。


「カヤラ国防部隊長!」


「カヤラ魔特部隊長!」


 ハインツとリーシェの声が重なったが、彼らが発した言葉は微妙な差異があった。ハルトは、辛うじて自分を助けた人物の名前と、隊長という言葉のみを理解した。


「あ、ありがとうございます」


 背後で漢前に自分を支えるその人にハルトが感謝の言葉を述べると、その人は彼の耳元で艶のある声で「どういたしまして」と謙遜の言葉を口にした。密着した身体と、誰かに似ているその音がハルトの顔を薄づきの紅を咲かせた。ハルトがその誰かに気付く前に、腰元と背後にある温もりは霧散し、背後の人は静かに離れていった。


「ふふっ、僕にそんな挨拶はいらないよ」


 手で制すことで、二人の重厚な挨拶を軽く打ち消したその人——カヤラは、可憐な花でも背負っているのかと思うほどの優雅さと麗しさを秘めた笑みで三人を迎えた。ハルトは、二人の冒険者の行動の違いにも頭を捻らせる中、ふとカヤラの笑顔がどことなく彼の人と似ていると思った。ぼんやりと目の前の人物を眺めていたハルトの背後で、礼の姿勢を崩した騎士と魔術師の間には激しい火花が散っていた。


「ハインツさん? カヤラ様は国内、いや世界でも最上位のよ? そんな方に対しての挨拶をするなんて失礼なんじゃない?」


「何を言ってるんだ? カヤラ様は最上位の魔術師でありながら剣術の腕は剣聖であるフロームンド様以上のもの。のは当然だろ?」


「職業としては大魔導師様なんだから、魔術師として敬意を払うものでしょ!」


「騎士が騎士の礼を相手に捧げるのは、伝統として重要な意味を持つんだよ!」


 二人の言い争いはさらに加速し、飛び出る言葉は全てがカヤラを賛辞するものであった。リーシェはともかく、ハインツの珍しい姿を見たハルトは、ぼうと口を開けながら呆気に取られてその一騎打ちを見つめていた。

 いつの間にかハルトの隣に立ち、ニコニコと楽しそうな笑顔で二人を見守っていたカヤラが、暫くの後に漸く声を発した。


「二人共、僕の事を尊敬してくれるのは嬉しいけど、目的をお忘れではないかな?」


「「し、失礼しました!!」」


(こんなに穏やかそうなのに、そんなに強い人なんだ)


 場違いであるとは思いながらも、隣の人物に対してハルトにはそんな平凡な感想しか浮かんでこなかったのは、その人物が猛威を奮う場面を全く想像できないからであった。優雅な雰囲気や仕草は、その一人称を以てしても男女の判別は付きづらく、透明感であるが故に存在が不透明であった。


「三人共遅いから迎えに来ちゃったんだよねー」


「え!! わざわざカヤラ様が我々を迎えにいらっしゃったんですか!?」


「至極光栄に存じます……!」


 憧れの人物を目の前にした二人の勢いは普段とは別人の如く、ハルトにはそれが輝いて見えた。この二人にそうさせるだけの人物であるということは理解できたが、彼の人に出会った時の様な衝撃を得られることは無かった。


「ふふっ、僕も暇を持て余していたからね。 噂の君達に早く会いたくなっちゃってね」


 ウインクを飛ばすカヤラの表情は、アイドル顔負けの華やかさと、少しの艶やかさが含まれていた。露わになっている肩先が、その人物の色香を先導していた。ただ、溢れる魅力の最中に一瞬その人がチラリと静かに向けた視線の先にはハルトしか居なかったということにハルト本人も含めて気付く事は無かった。


「さて、そろそろ向かわないと怒られちゃうからね。 証拠品は確認したし、早く東城門で手続きしようか」


 三人を誘導するようにカヤラは少し離れた城門へと愉快そうに歩き出した。


「え、証拠品の確認って、いつの間に……?」


 ハルトは、カヤラという人物に背後の重しを見せた記憶は無かった。偽物云々の話をしていたから、てっきり持ってきたそれも念入りな検分が行われるものだと思っていたハルトは、あっさりと出された許可に驚きを露わにした。そんな彼に、ハインツは未だ尊敬冷めやらぬ声音のまま、些細な情報を教えた。


「カヤラ様は貴重な【鑑定】スキルの持ち主なんだ。 本物か偽物かなんて触れずとも見抜くことができるのさ」


「商人とか特殊な職業以外の人間ではあまり身につけることが出来ないのよ。 おそらく錬金術も極めているのね……流石だわ……!」


 リーシェも未だその人に対しての敬意と憧憬を潜めることは無かった。今度は意気投合したかの様な二人のカヤラ様談義を聞きながら立派な城門へと進むハルトは、鼻歌を歌いながら歩くその人の後ろ姿を見て、やはりどこか彼の人に似ているとぼんやり思った。何処が、というのは未だ分からなかったが。

 城門前で三人を待っていたカヤラに追いついたハルト達は、入城の手続きを行う為に門番達へと声を掛けたのだが、その門番達を見た瞬間にハルトは驚きのあまり呆けてしまった。


「「お客様! 本日はどのような御用件で?」」


「え、え!? 双子じゃ無かったの!?」


そこには、ハルトが王都に来たときに最初に会った東外門の双子門番、と全く同じ顔をした人物がこれまた二人揃っていた。


「あぁ、そうか。 ハルトくんは王都に来たばっかりだったね。 最近ではそんな反応する人は少ないから新鮮だなぁ」


 驚いた様子のハルトを見て、ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべたカヤラは、親切な解説を加えてくれた。


「この国の門番は同じ一族がずっと勤めているんだ。外門番の彼らは8つ子此処にいる城門番は彼らの従兄弟で、やっぱり8つ子。結構有名だよー」


「い、いとこ……ですか……」


「皆そっくりすぎて私達もいつも分からなくなっちゃうのよね」


「東に来たのか西に来たのかってな」


「防衛上はそれが狙いなんだけどねぇ、名物みたいになっちゃった」


 どうやら有名な話であったらしい。リーシェとハインツも既知であったようで、困った様な表情を浮かべながらも、それ自体を楽しんでいる様にも見えた。確かに、混乱を招くことが防衛に繋がるのであれば、その狙いは正しく発揮されていると言える。


(何だかこの国って不思議だなぁ……なんて言うか)


「遊び心ばっかり、だよね?」


「え!? うわぁ!」


 首を傾げたカヤラに近すぎる距離で顔を覗き込まれたハルトは、考えを見透かされたような気がして慌ててしまった。この国に着いてからと言うもの、他人との距離をあっさり詰められすぎているハルトはであったが、本来他人とのコミュニケーションはそれほど得意では無かった。近距離でしかも中性的で整った顔をした美人、に見つめられたという状況下では冷静さを欠いた上に顔を熟れさせててしまうのは致し方がない。大袈裟な反応を見せたハルトは誰に言うでもなくこっそりと心の中でそんな言い訳をした。

「そ、そうですね」と小さな声で答えたハルトを、くすくすとやはり愉快そうな笑みを浮かべながら眺めるカヤラは、どこまでも彼の人に似ていた。

 双子に視線を向けたカヤラは、しっしと追い払うように二人に投げやりの指示を出してから、何食わぬ顔で城門を潜り抜けようと門に手を翳した。巨大で厳かな門は無口なまま、彼のその掌を受け止めている。


「二人共、そういうのは良いからちゃっちゃと入城許可履歴だけ書いておいてねー」


「酷い人ですね! 僕たちの楽しみを奪うなんて!」


「そうですよ! 驚く人々を見るのが唯一の楽しみなのに先に言ってしまうなんて!」


 ぎゃあぎゃあとステレオの本領を発揮している二つの声は気安く、それに対するその人の態度もおざなりであった。案外と仲が良いのか、それとも気にしない性質だからなのか判断はつき兼ねる所ではあったが、王城勤めの者達の関係性がほんの少しだけ窺える景色であった。


「ふふっ、ちゃんとお仕事しないとに言いつけちゃうよ?」


 カヤラの笑顔は綺麗に脅しを乗せたものであった。茶目っけ溢れる言い方ではあったが、言外に「早くしろ」という意図が含まれているのが、ハルト達にも伝わった。妙な威圧感が彼に纏わりついていた。


「「三名様入城ですね! 畏まりました!」」


 見た目とは違い意外と荒っぽいところがあるのかもしれない、とハルトは目の前の人物への認識をそっと改めた。

 文句を言う兄弟をあしらい、手早く入城手続きを済まさせたカヤラのすぐ目の間の門が口を開いた。重厚な音を立てて開いていくその門の先に何があるのか、本来の目的を忘れてハルトは期待に胸を膨らませていた。


——ゴゴゴゴッ——



 開かれた門の先には鮮やかな花々が咲き誇り、細い川沿いに小さな町が形成されていた。少し遠くの方に木々が茂る森のような場所があり、その奥に王城が佇んでいる。城の存在感は都の街中からも感じていたが、城門内に入ると一層強くなった。しかし、街中から見る姿よりも些か小さく見える。つまり、遠いのであった。まるでもう一つ小さな国が形成されれいるような、そういう場所であった。

 それにしても、美しい光景であり、三人は思わず見惚れて、その光景を目で楽しんでいた。


「うわぁ……!」


「凄い……なんて綺麗な場所なの……!」


「相変わらず立派な【庭園】ですね、此処は」


「ふふっ、ありがとう。 此処は庭師達と共に丁寧に育て創り上げている場所だからね。仲間の仕事ぶりをそう評価してもらえると嬉しいよ」


 庭園、と呼ぶには些か大きすぎると感じたハルトであったが、そういうお城もあるとため一人でに納得していた。どうやら城門内は人々から【庭園】と呼ばれているらしく、あくまでも城下町は城門の外の事を指すようであった。


「案内してあげたい所なんだけど、こう見えてだからね。あんまり時間をとってあげられないんだ」


「あ、そうですよね……此処からお城まで歩くとなると結構時間が掛かりそうですよね」


「「「歩く???」」」


 ハルトの至極真っ当な意見に対して残りの三人が揃って首を傾げる。その様子を見たハルトもまたおや?と首を傾げた。自分は何か可笑しな事を言っただろうか。


「あ!そうか、お前にはまだ【マナ】の事話してなったな!」


「えぇ!? 【マナ】も知らないの!? それってこの先には進めないじゃない!」


「なるほどね。 だからわざわざ迎えを寄越したってわけかー」


「【マナ】??」


 三人の反応に置き去りにされててしまったハルトは、まだまだ知らない事だらけであることは辛うじて読み取ることが出来た。そして、その知らない事を知らないというのがこの場では問題であったようだ。それに関しては、トレーナーであるハインツの失念による被害な訳だが。


「まぁ、説明している時間は無さそうだし、そもそも僕が来たのは三人を送り届ける為だから今は気にしなくていいよ。 後で二人に教えて貰えばいいさ」


 この場では何となく頷いたハルトに対して、憧れの人物から直接指名されたと感じた二人はやる気に満ち溢れたものであった。だからそもそも、ハインツが指導していれば良かったのだが、彼はそういう細やかな配慮に欠ける時がある。


「とりあえず、僕の近くに集まってもらっても良いかな?」


 言われた通りにカヤラの側まで集まった三人は、彼の次の行動を窺った。


「落ちる心配はないけど、怖かったら僕を掴んでても良いからね」


 彼が地面に手を翳しながらそう告げた瞬間、四人の足元に魔術陣が浮かび上がった。その魔術陣は光を帯びながら徐々に地面から離れると同時に四人の体も共に宙に浮かんだ。急な浮遊感に包まれたハルトとリーシェは思わずしゃがみこんでしまった。ハインツですら驚き膝を着いている。そんな三人を余所に鼻歌を歌いながら指先で何かを操る様な動きをしているカヤラは余裕の表情をしていて軽やかに佇んでいた。四人の乗った魔術陣が城へ向かって水平を保ったまま移動する。それはまるで、魔法の絨毯さながら、魔術のラグであった。


「ち、宙に浮いてる……!」


(凄い……【浮遊魔術】は極めて高度なマナコントロール力と複雑な術式を組み合わせて初めて使用が可能なのにこんな簡単に、しかも詠唱破棄で発動するなんて……!)


(浮遊だけじゃない、それをこんな速度で進ませるなんて常人じゃ無理だ…魔術師じゃない俺ですら、この膨大なマナをコントロールする事の難しさくらいは分かる……なんて人だ……)


 ハルトが透明なラグからチラリと下を覗き見ると、小さな屋根や白い煙が立ち上る民家の上を通り過ぎている所だった。僅かに活気が窺えるほんの小さな町。次いで顔を上げて見つめたのは、進行方向に広がる景色。深緑の自然庭園の先には、綺麗に整備されたまるで一般的なイメージに近い王城庭園が広がっていた。

 これら全てが、城を四方から囲むように展開されているのがハルトの視点からでも窺えた。もしかしたら城下町よりもこの場庭園の方が広いのかもしれない。そう思わされる中、彼はこの庭園の真実に気付く事はなかった。彼の頭上に佇む逆さまの世界の存在に。


「うーん、表から行くのも面白くないし、から入っちゃおうか」


それぞれが驚きを隠せない中、城に向かって楽しそうに魔術陣を進めるカヤラは城扉の方ではなく、城の上部のバルコニー部分へと魔術陣を向けた。秘密のドアなるものの正体が分からぬまま、美しく広大な敷地を横切った魔術のラグはあっという間にバルコニーに辿り着いたのである。魔術陣と光が消えて漸く地に足が着いた感覚を取り戻すも、ハインツ以外は体勢を立て直すのに時間が掛かっていた。未だ、浮遊しているような感覚が足から抜けず、どうやって地面に地面に立てばいいか分からないハルトは、背中の重しもあってか中々腰を上げることが出来なかった。

 そんな三人など気にせず、鍵がかかっているはずのバルコニーの扉を何故か外側から勢いよく開けるカヤラ。光の粒が反射していた所を見ると魔術でこじ開けた様だが、それに気付くことが出来る人物は此処には居なかったのである。


「ごっ機嫌麗しゅう巫女様ー、例の彼連れてきたよー!」


(って秘密のドアってバルコニーのこと!?)


(秘密のドアっていうかただの窓じゃない!?)


(これって不法侵入じゃねぇか!?)


 呑気な掛け声と共に秘密のドア、もといガラス窓を堂々と開け放ったカヤラとは打って変わり、三者三様、三人の心の中の指摘は尤もであると慰める人物も此処には居なかった。





 時はやや遡る。ハルト達が城に向かったという話を耳に入れた巫女は今か今かと彼らを待っていた。


「カヤラを迎えにやったんですから、そんなにソワソワしなくても直に到着しますよ」


 非常に冷静な声音と共にサラサラとペン先を動かす僅かな音を生み出しているのは、金色の主であるライヤ。その誇り高き金糸を揺らしながら、紙の山頂を少しずつ切り崩している。


「全く! 君も待つ楽しみという物を覚えた方がいいぞ?」


 対する巫女という人物は、常の行儀の悪さによる姿勢と辛うじて持っている華奢な羽ペンで以て、書類に目を通すこともなくさらりと署名を進めていた。態度とは裏腹に、その文字は丁寧で整っている。


「ご心配なく。常日頃どなたかが遅らせている書類を待つという楽しい経験ならしているので」


「我慢できなくて催促に来るじゃない……せっかちな人間は嫌われるわよ?」


「貴女こそ、時間は有限であることを自覚した方が宜しいのでは?」


お互い手を動かしながら言い合う様子はいつも通りであり、言葉から察せられる雰囲気は、険悪さなど一切感じられない。じゃれあいの域を出ることなど無いのであった。


「それにしても、何故今日は執務机の位置が違うのですか?」


 ふとライヤが目を遣った先には、いつもとは違う位置の彼女の執務机。普段であれば、大きなガラス窓を背後に設置されているはずが、今日は何かを迎え入れるかのように、窓の前に大きな空間を作り出していた。


「ふふっ、この国は遊び心を持った悪戯っ子が多いからねぇ」


「あいつ……まさかっ」


 言い終わらぬうちにライヤはバルコニー付近に複数人の気配を感じ臨戦体勢を取った。微かに術式の発動を察知したため、術式の展開と共に愛剣を握る手に力を込めた。次の瞬間、件の人物がバルコニーの窓を全開にして執務室内へと軽やかに侵入してきたのであった。


「ごっ機嫌麗しゅう巫女様ー、例の彼連れてきたよー!」


「お帰りなさい、カヤラ」


 魔術によるものか、気圧の変化による自然現象かどちらとも言えない突風の中から現れたカヤラを、待ってましたと言わんばかりの笑顔で迎えたのは巫女のみ。彼女の周囲には、彼女の心を気持ちを表すかのように紙々が舞い踊っていた。大きすぎる紙吹雪である。いつもの侍女はお決まりの如く手早くそれらを集めていく。ついでに、金色の人の分も。


「ただいまー。 あれ? 何でライヤはそんな体勢なの?」


「……お前というやつは……」


抜刀寸前、ついでに巫女への防御魔術も完璧といった正に兵を率いるに相応しい俊敏さと判断力を見せつけている黄金の剣士を、ぽやんとした顔で見つめるのは、蒼穹の大魔道士。晴わたる空を宿した色は広大であった。その行動も含めて。ただし。


「爪が甘いわよカヤラ。 その膨大なマナ量、隠さないとすぐに分かっちゃうわよ」


「あら、バレてたかー。 驚かせようと思ったんだけどなぁ」


「まだまだ修行が足りないな。 私ならにするわ」


 その全てはやはりその人には筒抜けだったらしい。机の移動はそのためであったようだ。さらに、トンデモ案を提示する辺り彼女は蒼穹の彼の行動を咎めるつもりは一切なく、むしろ煽ったとなれば、やはりこの二人の関係もそういうことである。


「流石、常習犯は発想が違うなぁ。 もっと勉強しまーす」


「しなくていい。 はぁ……それより彼らを中へ。ルティル、彼らに何か飲み物の用意をしてやってくれ」


「承知しました」


 体勢を平素のものへと戻したライヤは、カヤラと側に控えていたルティルに気配りという指示与えたた。無言で彼女に飲み物を要求する巫女の様子を見て、本来なら貴女の役目だと文句の一つでも言いたい所であったが、既のところで彼は我慢を成し遂げた。


「あ、僕もう行かなきゃだ。 ライヤ、あと宜しくねー」


 おい、と声掛けようとするも、カヤラは窓の外に向かってにこやかな笑顔で「ごゆっくりー」と一声掛けてから、その場から一瞬で退いてしまった。そういう時あの大魔道士は妙に真面目ではあるが、この残された状況を見るに、やはり些か自由が過ぎるのである。

 ライヤは再びため息を吐いた。どうせ自分がやるしか無いのだと。

 未だ動く気配を見せない冒険者達を迎えに行くため、残った美人の晴れやかな笑顔に見送られながら、ゆっくりとバルコニーへと歩き出すのであった。


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