第一章8「王城1」

 昨日の書き置き通りに集会所の前までやって来たハルトが、どこかソワソワとし落ち着かない様子であるのは誰が見ても明らかであった。集会所の扉の前に立ちすくみ、どこか遠くを見つめていたかと思ったら次の瞬間には顔を青褪めさせ、かと思いきや慌てた様子で直ぐさま顔を赤らめる姿は通行人達の目には奇妙な見せ物に思えてならなかった。


「アンタ、何してんのよ」


 呆れた様な声でハルトに話し掛けてきたのは、いつの間にか彼の背後に立っていたリーシェだった。今までの様子を見ていたのか、訝しげな目でハルトを見ていた。


「おわっ! お、おはようございやす!」


「もうお昼だけど…」


 器用に区別できるほどの男ではなかったハルトは、何から何まで全てが緊張に支配され平静を保つことが出来ていなかった。謎の口調で挨拶を返したハルトに、呆れたように答えたリーシェはぞんざいに彼を集会所内へ促した。


「早く中、入んなさいよ」


「は、はひ」


 二人が集会所に入った時、中はいつも通りの人の少なさで、クエストに向かうであろう冒険者達数人が居ただけだった。昨日の出来事など無かったかの様にあまりにも普段通りであり、ハルトは戸惑いを隠せ無かった。


「え、街中では無かったとはいえ都内でA級魔物が出現したのに、全然取り乱した様子が無いなんて……どうして?」


「確かに、A級魔物が出現したという点は些か混乱を招く事態ではありますが、『場所』も対処に当たった『人物』も然り、特に重大な問題に発展するようなことはあり得ないと皆が理解しているのです」


「ティアさん!」


 彼の側には、いつもの受付嬢が、やや疲れた顔をしながら力ない笑みを浮かべていた。受付嬢の意地なのだろう、帰還する冒険者を笑顔で迎えたいと言う彼女の矜持により、辛うじてそれが成されていた。


「お帰りなさいませ。 昨日は、お疲れ様でした」


「あ、いえ……」


「事情は伺っております、突然の事で驚かれましたよね。 本当にあの方は勝手が過ぎます……大体昨日の討伐クエストは郊外で上級魔物の討伐訓練も兼ねてのものであったにも関わらず独断でクエスト条件を書き換えてしかも敷地内とはいえ都の中での単独遂行……いくら責任者とはいえスタンドプレー過ぎて手に負え無いというのにその後の事後処理はこちらに全て丸投げという身勝手さ……いつまで経ってもあの方は——」


 むしろ疲れているのは貴女の方です、とは流石に言えなかったハルトは、放っておいたらいつまでも続きそうな彼女の小言を超えたそれを止めるために勇気を持って彼女に言葉を掛けた。


「あ、あの……ティアさん……?」


 徐々に負のオーラを纏い始めるティアに思わず後ずさりながらになってしまうのは仕方が無いと誰しも思うはずである。元に、隣に居るリーシェは先ほどからやや引き気味の表情でティアを半歩離れた所で見つめていた。

 彼の勇気が実らせたのだろうか、ティアはそれなりに早く戻ってきてくれた。


「クエスト変更の手続きに各所への連絡、調達した物資の予算や報奨金の配当についての参加者への連絡だって……はっ! 失礼しました。 それでは、お二人をハインツさんの元へご案内しますね」


「お願いします……」


 きっと彼女は疲れが溜まっているのだろう。仕方がない。むしろ、そんな状態でも作り損ねてはいるが笑顔で冒険者を迎え、案内までしてくれるとなると、ハルトは小さく頭を下げるしかなかった。ハルトの隣に並ぶリーシェも、概ねハルトと同じ考えであったらしい。彼と目が合うと、彼女はたまにああなる、ということをこっそりと教えてくれた。ギルドの受付嬢は思いの外大変な仕事であるようだ。




ハルトとリーシェが案内されたのは、集会所内でも奥まった所にある会談室の様な場所だった。ティアが開いたいかめしい造りの扉のその先には、思いの外楽な姿勢のハインツが座っていた。彼の目の前のローテーブルには無視することが到底難しい、見覚えのありすぎる物が鎮座していた。ハルトは、思わず胃の中から込み上げそうになる酸味の気配を何とか押し留めた。


「お、来たか!」


「ハインツさん……おはようございます……」


 何とか平静を保とうと、視界になるべく入れないようにしているそれは、チラチラと視界の端に存在感をアピールしてくるのがハルトには憎らしかった。


「もう昼だけどな? まぁ座れよ」


 先程のリーシェと似たような言葉を口にするハインツに促され、ハルトとリーシェは彼の向かいのソファへと腰掛けた。目に入れないようにしても勝手に入ってくるそれを見ないように、顎の角度を変えて抵抗するも虚しく終わったハルトは、いっそ堂々と無視を決め込むことに決めた。直視しなければ、まだマシである。だからこそ彼は気付かなかったのであった。その変化に。


「昨日はよく眠れたか?」


「え?あ、はい、色々あったから最初は眠れなかったんですが、身体は疲れてたみたいで気付いたらぐっすりでした」


「ははっ、なら良かったぜ。 何せこの後はお偉いさんに会うからよ、居眠りでもしたら速攻牢屋に入れられっちまうぜ?」


「おえらいさん……?」


「こいつ、まだ寝ぼけてるみたいだからちゃんと説明してやったら?」


 リーシェがソファの肘掛けを正しく使って頬杖をつきながら言った。確かにハルトは起きたばかりであるし、寝起きであるのは間違っていなかったが、それにしても話が飛びすぎている。彼が戸惑いの目を一同に向けていた時、側に立っていたティアが咳払いをした。


「コホン。 ハルトさんには昨日説明出来なかったので、改めて私からご報告致します」


 ティアは手に持っていたバインダーを開き、書類を手元に整えた後に話し始めた。


「昨日、ハルトさん達は【クエスト:みんなで楽しくサンシャインBBQ】を受注しました」


(((ネーミングセンス……)))


 死んだ魚のような目でクエスト名を告げるティアに、誰も声を出して突っ込む事など出来なかった。同情心による不思議な連帯感が室内を包んでいた。


「その際、クエストのダブルブッキングが発生してしまい、ハルトさん達はもう一つのクエストにに巻き込まれてしまったんです。そのもう一つのクエストというのが【討伐クエスト:日光ウルフ討伐】」


「昨日俺達が森で遭遇したのがA級レア魔物の【日光ウルフ】。 通常は【幻獣の深森】という獣人が守る森の側で、対となる【月光がっこうウルフ】と縄張りを共有しながら生息している魔物なんだが、どうやらその対である月光ウルフが最近この国の近くに来てたみたいでな」


「月光ウルフも近々討伐予定なのですが、彼らの活動時間は夜。対する日光ウルフは主に日中活動しているのですが、夕暮れ前に一番力が弱まるので、昨日は月光ウルフを追って城壁近くに来ていた日光ウルフが何処かに潜んでしまう前にその時間を狙って討伐する予定でした。ハルトさん達がクエストに出発した時間は、日光ウルフ討伐前の準備時間中だったのですが……急なにより日光ウルフを都の森で討伐する事になりまして……」


 そんな事前準備を進めているクエストを急遽変更することなど可能なのだろうか。しかも、そんな上級魔物を人々が生活する場の目と鼻の先で討伐することなど。そんな出鱈目な事を、一体誰が——。ハルトの脳裏に何故か一人の人物が浮かんだ。


「討伐クエスト責任者が急遽伝えてきたので我々も対処が遅れてしまい……ハルトさん達に怖い思いをさせてしまった事、ギルドとして深くお詫び申し上げます」


 深々とお辞儀を見せる受付嬢のつむじを見たハルトは、何とも言えない気持ちになった。正直ギルドは悪くないのではと思っていたハルトの隣には、肩を震わせている一人の少女が居た。


「怖い思い……? そんなんで済むわけ無いでしょ……」


(リーシェ、さん?)


 少女の様子がおかしい事に気付いたハルトが彼女に声を掛けるより先に、彼女の感情は既に破裂していた。


「何の為のなの!? 街に住む人々を危険から守るためでしょ!? それなのに魔物を中に招き入れるなんておかしいじゃない!! しかもそれがA級レア魔物なんて……A級冒険者が十人以上は居ないと真面に戦うことすら出来ないっていうのに、こっちはA級以下が三人で内一人は戦う事すら知らない見習い冒険者、全滅してないのが奇跡なのよ!!? 私達が死ぬ気で戦ったっていうのに、そんな簡単な一言で済むと思ってるの……!?」


 昨日の恐怖と悔しさを思い出したのか、興奮しながらティアに訴えるリーシェの目には怒りが滲んでいた。自分達の事であるのに、ふとリーシェは昨日の事だけを言っているのでは無いのではないかとハルトは感じた。

 しかし、そんなリーシェの様子を見ても、静かに言葉を返すのは、常よりも厳しさを携えた受付嬢その人であった。


「確かにリーシェさんの仰ることも一部は正しいです。しかし、『いつ如何なる時でも危険が付き纏う冒険者』という身分であり、人々を守るという立場にもあるのですから、想定外の事態にも冷静に対応する心構えを冒険者である限り常日頃から持って頂かないと困ります。それが例えどんな事態であっても。元に、ハインツさんは的確な判断で状況を切り抜けようとしていた筈です」


「そ、それはそうだけど……!それで、「はいそうですね」ってなっと——」


「納得していただける説明を今から致しますので、興奮せずにお話を聞いて頂けませんか?」


 どこまでも冷静に告げるティアは、最大規模の冒険者ギルドの職員に相応しい威圧感も纏っていた。それに気付いたリーシェは不満げではあるが気圧されて大人しく聞く体勢を取った。


「ギルドと討伐責任者との連携不足であった事は事実であり、大変申し訳ありません。しかし、その責任者本人がハルトさん達に同行して居たため、『万が一の事態はあり得ない』とこちらは認識しておりました。現場の指揮は元々その方が摂る予定でしたので、討伐自体には何の支障も無いとギルド側としては判断しました。その為、討伐部隊への作戦内容変更の連絡と回収作業の手筈を整えることを優先させました」


「討伐責任者本人が一緒に居たって……」


「討伐責任者……なるほどな。 だから【救助隊】が来る気配がなかったのか」


「救助隊?」


 ハルトは、意味は分かるが聞き覚えのない単語に首を傾げた。ハインツは、研修の延長線という様にハルトにそれを説明し始めた。


「あぁ。この都では滅多なことではおきねぇが、危険と思われる事態が感知された場合、ものの数秒で国の【救助隊】が来る筈なんだ。人間同士の争いとかでやってくる一般的な衛兵と違い、隊長クラスとかそういう上級の兵士がな。特に、昨日みたいな想定外の上級魔物が出現した場合は、東門部隊の隊長が出てきてもおかしくなかった。だが、救助部隊はおろか、衛兵すら来る気配がなかった。あれだけの上級魔物である筈なのに、だ」


「確かに……昨日は俺が気絶するまでには誰も来なかったですよね、多分」


「あぁ。 あんなこと普通ならあり得ない。だが、が現場に居たとなれば話は違ってくる」


 ハルトは、ふと昨日の最後に見た人物の事を思い出した。絶対的な力の象徴にすら思えた、颯爽と去っていく背中。まさか彼の人が——。


「この国の統治者であり、唯一の世界最高ランク冒険者……【巫女】様だ」


「巫……女様……」


「後から気付いたが、確かに森の中に人避けの巫術が施されていた。元々森の中に魔物が居ることを知っていたのか、それとも出現と同時に術を使ったのかは分からねぇが、まず街中に危険が及ぶことが無いってことははっきりしていた。いや、そもそも巫女様が現場に居る時点で、万が一などありえない。日光ウルフですら、危険と見なされることは無かったって事だ」


 ハルトが、未だ謎が多い昨日の出来事の中ではっきりと分かる事といえば、それは、巫女という人物が出鱈目な強さを保持して居るという事であった。あれは、強いとかそういうレベルを悠に超えていた。所謂チート、と呼ばれる類のものにしてもである。

 ふとハルトの脳裏に、全てを見透かすような月白色の双眼を携えた、彼の人の美しい顔が過った。


「だが、何で都外で討伐予定だった日光ウルフがあの場に現れたんだ?そもそも、何故巫女様は俺達にクエストを頼んだんだ?それに——」


「それら全て、御本人からお伺いしてください」


 ハインツが求める答えをティアは持ち合わせていなかった。彼の中に次々と浮かぶ疑問は、どれもこれもがその人にしか分からないのである。ティアの中ではもしかしたら、という予想は浮かんでいたが、それを述べることは憚られた。自分の一言はあくまでも切っ掛けに過ぎず、手段も意図も自分には分からないからである。


「ギルドとしては、ハルトさんの本来受注したクエストも含めて、ため、あの場で討伐クエストを遂行した事に関しては不手際は無かったと認識しております。リーシェさん如何でしょうか?」


「……」


「リーシェ」


 ティアとハインツの呼び掛けには答えず、橙桃の少女は押し隠した感情のまま無言で部屋から出て行った。ハルトは、少女の小さく震える背中があまりにも小さく感じた。昨日の彼の人とは違う、普通の女の子のそれ。呼び止めることも追いかけることも出来なかったハルトは、呆然と閉ざされた扉を見つめていた。


「理解はしたけど納得は出来ないって感じだな」


「リーシェさんは冒険者になってからまだ日も浅いですから仕方がないですが、感情と状況判断力は全く別物として機能して頂かないと、この先苦労するのはリーシェさん本人ですから」


 経験者の会話なのだろう。二人の達観したような、だが冒険者としての真実を表した会話は、今のハルトには未だ理解ができなかった。見えない少女の背中を見つめるハルトの顔には、複雑な感情が浮かんでいた。彼女よりもさらに経験が浅い自分がなんと言って声を掛けたら良いか分からなかったのである。

 浮かんでは消える言葉が頭を巡っていたハルトに、ティアは話を切り出した。


「ハルトさん。実はここからが本題なのですが」


「え? あ、はい」


「昨日の報告により、此処に置いてあるこの【日光ウルフの心臓】の納品は、ハルトさんが行ったものとして受理されました」


 暫しの沈黙。ハルトはティアから言われた言葉を心の中で反芻した。


「……え? は、えぇ!? ど、どど、どういう事ですか!?!?」


 それは本当に一体どうしたことだろうか。ハルトにとっては全く身に覚えがない事態であった。その少し疲れた顔の受付嬢が述べたのは、ハルトがそれの所有者であるという意味を持つ言葉。ハルトは驚きを隠すことなく、動揺を全面に晒していた。いつ如何なる時、という点でハルトは冒険者としてまだまだであったが、流石に咎めるものは居なかった。


「報告書では『少年に心臓をあげちゃった(はーと)』って書いてあるんです。こちらとしては正式な討伐者からの申し出ということなので問題はないと思っているのですが……」


「ま、ひょっとしたら狙われるかもなー。 【日光ウルフの輝心臓】って言えば、高値で取引されている【アイテム】だし、これだけ大物だとざっと200万マルカ位じゃねぇか?」


「に、200万!?」


「そうですね。貿易都市なんかに持っていけばもっと価格は上がるかと」


「そ、そんなヤバいもん、何もしてないのに貰えませんよ!!」


 以前ハインツから教わったこの国の凡その物価は、慣れ親しんだものと変わりなく、見慣れない品という点の代表である魔物の素材に関しては、下位ランクであれば数千から精々数万といったところだった。 

 あまりの金額に思わず立ち上がったハルトの目の前には、頑なに視線に入れようとしなかった堂々たる姿で鎮座する心臓が一つ。しかし、その姿は昨日の生々しい臓器と異なり、心臓と呼ぶにはあまりにも美しい輝きを含んでいた。努力虚しく、それを視界に入れてしまったハルトであったが、漸くその変化に気付き、あれという顔をしてそれを凝視した。


「日光ウルフの心臓は、日光を浴びせることで硬化し、徐々に火属性の高純度魔石へと変化するので非常に人気のあるアイテムなんです。通常の討伐ではこれほど完璧な状態で心臓が取り出されることはまずありません。  どのような方法で取り出されたかは存じ上げませんが、これだけの品が市場に出れば注目されてしまうのは明白です」


確かに昨日よりは石という状態に近づいてはいたが、それでも生々しく浮かび上がる血の管や細かな組織体の姿は未だ原型に近く、うっと込み上げる気配を感じたハルトはついそれから目を離してしまった。そういえば、先ほどからハインツも不自然にそれを視界に入れないようにしていた。どうやら歴戦の猛者である彼もまた、あの凄惨な光景をすぐに忘れ去る事は困難であるらしい。


「討伐クエストでは報酬金の他に討伐した魔物から入手した素材などのアイテムに関しては、討伐者同士の合意の元であれば自由に配分が可能なんです。上位魔物であればあるほど戦闘が熾烈になり、素材が手に入ることは稀になるのであまりこういった事態にはならないのですが……」


「確か昨日の魔物の本体って……」


は分かりませんが、完璧な状態で納品されました」


 ハルトが昨日の巨狼の亡骸を思い浮かべようとしたが、ティアの言葉には続きがあった。


によって」


「はい!?!?」


 つい先程素材の話を聞かされたばかりだったハルトは、受付嬢の言葉に大袈裟なまでに驚愕した後、今度こそ昨日の美しい金色狼の亡骸を思い浮かべた末に、ヘロヘロと座り込んでしまった。気の毒そうにそれを見遣るティアと、思わず苦笑いを浮かべるハインツは、ハルトの心内を悟っていた。


「討伐隊の手前、流石にそれは受理しかねると考え、現在その件に関しては保留状態となっております。幸い、今回の討伐隊の方々は巫女様の奇行には慣れているメンバーだったのと、月光ウルフ討伐も残っているので未だ大きな問題には発展しておりません」


「あ、あの!! その配分ってどうしたらいいんですか!?」


 とんでもないことである。全くの初心者である存在が、飛び入りでチームに参加した挙句レアアイテム一つどころかを全て掻っ攫ってしまった状態である。厳しい試験を潜り抜け、念入りな準備を前日から行い、綿密な計画を立てていたにも関わらず、ぽっと出の編成チームが知らぬ間に全てを奪い取っていたとなれば——。

 ハルトの顔が驚愕から一転、血の気の無い青褪めたものへと変化していた。


「まぁまぁハルト、落ち着けって。それを今から相談に行くんだよ」


「相談って誰にっすか!?!? こんな、討伐隊の人達の獲物を横取りしたみたいな状況で!? しかも見習い冒険者の居るパーティが!? え!? どうする!?どうするの俺!?どうなるの俺!?」


 あまりにも色々な事が発覚したせいか、混乱状態に陥っているハルトが軽く人格崩壊を起こしているのを、何処かでケラケラと笑いながら観ていることなど、この場の誰も知る由は無かった。


「ハルトさん。冒険者とは『いつ如何なる時でも冷静に』ですよ?」


「す、すみません……」


 どうやらまだ話は終わっていないようだった。ティアがA級魔物ですら敵わないような雰囲気を纏いながら静かな笑顔で告げた冒険者の心得は、すんなりとハルトの耳にまで届いた。幻覚だろうか、彼女の背後に般若が見えたと後にハルトは語った。

 仕切り直すかのように咳払いを一つ挟んだ後、ティアは最も重要なことを言葉にした。


「コホン。本日御呼びしたのは、この件について討伐クエスト責任者と話し合って頂きたいからです」


「責任者ってことは……まさか」


 ハルトの脳裏に、再び彼の人の背中が映った。

 彼の言葉を肯定した後に、ティアはハルトの予想通りの人物のことを口にしたのであった。


「はい。この国の統治者であり唯一の世界最高ランク冒険者であられる【巫女】様です」


 脳裏に映る彼の人がゆっくりと振り返り、あの月白の眼で以て彼を見つめた。

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