第一章7「ハンバーグのトラウマ1」

 いつものように優雅にティーカップを傾けるその人は、まるで自室かの様な振る舞いをしていた。勿論、それを態度として表すのではなく、その空気で以って支配していたのだが。ただ、少しばかりいつもの違う点といえば、その人の装いだろうか。身体全体が粗末なローブですっぽりと覆い隠されており、明らかに人目を忍んでいる格好である。フードこそ今は被っていないものの、唯一露になっているその頭部を目にしただけで一目で只人では無いことが窺えるような人物。

 ガチャリと開いた扉から何食わぬ顔で部屋の彩を変化させたのは、ティアであった。心無しか平素よりも目には鋭さが宿っている様な気がする。しかし、それは機嫌を表すものでは無い。


「いらしてたのですか」


「あら、久しぶりね」


「私の記憶では、先週の討伐クエストの際にお会いしたばかりですが?」


「君、じゃない」


 いけしゃあしゃあとは正にこの事である。何も知らぬ者が聞けば大したことは無い言葉であっても、この人物が発することでそれは全く異なる意味を持つ言葉へと変化する。しかし、ティアは未だにその人物の真意を計りかねていた。それが偽りである可能性を捨てきれていないのである。それなりの付き合いになる目の前の人物は、未だにその実態が掴めていない、まるでの様な存在だとティアは考えていた。知っているのに知らない、時に真綿の様に優しく包み込み、しかし時には一切の関心もなく残酷だとこちら側が勝手に思うほど全てを薙ぎ払う。矛盾ではなく二律背反という言葉が相応しい。もしかしたら、そもそも法則など無いのかもしれない。かつて初めての邂逅でこの人物に抱いた印象は未だ変化の兆しは見えない。それに気付いたのは早かった。それ故に、この人物は自らの領分を超えた存在であるとティアは早々に結論付けることにした。だからこそ、変化など期待もしていなければその兆しなど見つけようとも思わない。

 最早いつも通りの言葉を口にすることに、ティアの中に躊躇いなど無かった。拭えない小さな違和感はあれど、いつもと何ら変わりないのである。


ですから」


 受付嬢の言葉に、真面目だなと、言外にそんな言葉には興味が無いと伝えたその人は、何を思ったのかさらにこの無駄なやり取りを続けることにしたらしい。


「今日は何するの?」


「いつも通り、ギルド運営のサポートです」


「たまには違うことやるのも醍醐味でしょ?」


「誰かさんがいなければそのつもりでした」


「あら、じゃあこの後私とイイコトする?」


「遠慮しておきます」


 涼しいというよりも冷たいに近いティアの表情は、平素を知っている者からしたらやはり些か違和感を覚えるかもしれない。そんな彼女の事をその人が存外に気に入っている事を知らない彼女の事を、その人は気に入っているのである。昔から。

 残念、と一言つまらなさそうに呟いたその人は、知っていて知らないフリをしているのかもしれない。彼女の行動を変化させたのはその人である事を、知らぬ間に彼女自身はその人のことをそういう扱いをしている事を。ある意味でそれは、その人が求めている答えである事を。

 きっと次に会う時は違う言葉が返ってくるのだろうと思いながら、しかしそろそろ煽るのも悪くはない。近付いている時に、IFを与えるのならばきっとこの受付嬢であると。


「どうしようかなぁ?」


 気付けばそれは全く以って自室のそれであった。ソファの上で膝を立てた足に肘を乗せ、歪んだ口元のまま受付嬢の釣り上がった純粋な目を、その空虚と混沌の中に少しばかりの好奇心を覗かせた眼で貫くその人。器用なことに乗せた足の靴はきっちりと脱いでいるのだから何とも言えない絶妙な礼儀への配慮が窺えるのが憎らしい。


「ハルトくん、そろそろ帰って来るそうですよ」


 どうせ知っているのでしょうが、と付け足された言葉に笑みを深めるだけであったその人は、早々に眼の前の人物から新しい存在へと意識を切り換えることにした。それはそれで眼の前の人物をいたく苦悩させる者であるのだが、どっちにしろ今日のイダスタ受付嬢も激務であるらしい。


「何が出るか楽しみだな?」


「それには同感です」


 誰であっても、新しいことは心が弾むのである。そこに悪意であれ誠意であれが含まれていたとしても、この世界における小さな冒険者の誕生という新たな出来事は、少なくとも祝福されていることは間違い無いのであった。


ね?」


 いつの間にか支度を終えたのであろうその人は、音もなくティアとすれ違っていた様である。気付けば背後の扉の前に居たその人は、一言をティアに告げると颯爽と部屋を出ていった。

 言い出しっぺはではあるが、面倒事を押し付けられるのも目に見えていたティアは、先程その人が消えた扉を見ながらこの後の騒動を思って溜息を吐くのであった。




 ポフヨイセスタの集会所を出たハルト達は、その足でイダスタ集会所へと戻ってきていた。時刻はまだ昼前であり、焦ることはない。

 相変わらず人はまばらであり、人種や能力としての職業も含めてバラバラであった。そこに、三人、正しく言うなればその内の一人を見つめる人物がいることにはまだ誰も気付かない。


「戻ったぞー」


「ただいまー」


「あ、戻りました!」


「お帰りなさいませ!あら、リーシェも一緒だったんですね?」


 所属者に安堵をもたらす受付嬢の笑顔は、今日はいつにも増して輝いて見えた。勿論、機嫌が言い訳からという安易な理由では無いのだが、それでも帰還した三人にも変わらずの安心感をもたらすのだから問題はない。

 ふと三人の姿を確認したティアは、少し意外そうにリーシェを見つめた。


「べ、別に……暇だったし……」


 さっきまで散々暇ではないと宣っていた割には、こういうところで素直ではないのである。誤魔化すように言うリーシェをやれやれと見つめるハインツと苦笑気味のハルト。彼女のそんな反応に、ハルトも既に慣れてきたようだった。


「ほら、ハルト。【納品】だ」


「は、はい!ティアさん、この3つの袋を【納品】します」


「はい。【見習い冒険者】のハルトさん。こちら3つの袋の【納品】を受理します。お疲れ様でした」


「ありがとうございます!」


 所謂チュートリアルクエストであろうものは、呆気なく終わってしまった。

 しかし、実際にこの都を歩き、他のギルドに触れるということは重要なことである。世の中には、見知らぬ人に話し掛ける事が苦手な人物や、逆に苦もなくコミュニケーションを取ることが出来る人物もいる。冒険者に限らず、生きていく上で他者との関わりというものは必ず行われるもの。それは動植物だけではなく最早無機物であっても等しい。自分以外の存在と関わることで、自分を自覚することができる。

 人は孤独だと言う人もいるが、それは『他』があって初めて成り立つ考え方である。世界のあらゆるものは、自分以外の何かによって構成されている。その基本的な考えがあって初めて個人を振り返ることができるのである。

 このチュートリアルクエストは、端的に見れば単なる説明に過ぎない。しかし、それだけではない、通常なら教わることが無い人々との関わりを親切にも押し付けがましくも、見習い達に見せつけるのである。そこから何を掴むのかはそれぞれ違うだろうが、それを劇場の如く披露する過保護さは、確かに真綿の様である。それを煩わしいと思うのであれば、選ばなければいいだけの話。だが、それこそが重要なである事を人々は知らないのである。

 そんな面倒だと思われる初めてのクエストを終えたハルトは、形ばかりの納品の後に直ぐに渡した物を笑顔の受付嬢から渡し返された。


「ではハルトさん。こちらの3つの袋は差し上げますので、ぜひ中身を確認してみてください」


「あ、そうだった!」


「あっちで座って確認しようぜ」


 ハインツが指で示したのは、人が座っていない端の丸いテーブル。集会所内で、パーティと言うにはまだ程遠い関係であるが、自分以外の誰かと初めて座ったハルトは、その袋の存在もあって妙にドキドキとしていた。一体何が出てくるのだろう、と。


「まずは…商人ギルドのエタラスタで貰った袋を確認するか」


「は、はい!」


 そっと袋を閉じていた紐を解き、中身を確認するように袋の口を大きく広げるハルト。


「わっ!お金!?」


 覗き込んだその中身は、一部を除いた世界共通の通貨である【マルカ】硬貨といくつかの小さな宝石であった。ざっと確認したところ、一月分の生活費にはなるだろう金額であった。ちなみに、ギルドの宿泊施設を使うことで、この国では無料で宿を確保することができるため、宿泊費は除かれているらしい。この見習い制度は塔の国の予算、つまり国税の一部で成り立っている。そのため、この時に見習い冒険者へと寄贈される金額は一律となっているが、それ以外の物に関しては商人ギルドの特性を内包したが本人の資質を見定めて配当する。


「商人ギルドらしい『贈り物』ね」


「だが、必要だろ?いきなり餓死することは無いにしても、無いと困るもんだからよ、あることには違いねえし」


 硬貨はまだしも、宝石に関してはその価値はハルトにとっては未知数である。ぼんやりと見たことがない宝石を眺めるハルトの隣で宝石つまみ上げたハインツは、感心したように呟いた。


「こうして通貨が無い様な場所でも取引できるように対応してくれてるのは、流石だな」


「まぁ、確かにね。エルフや獣人族、特にドワーフと出会った時なんか役立ちそう」


(エルフや獣人族……街中でっぽい人は見かけてはいたけどやっぱり居るんだ……!)


「ま、こんだけあれば暫くは大丈夫そうだな!よかったじゃねぇか」


「はい!」


「ねぇ、次は?」


 初めての贈り物とまだ見知らぬ存在への興奮を抱いていたハルトの背後から、唐突な音が響いた。

 それは、ハルトが思ったよりも近いところから聞こえた。ハルトの背後、と言ってもその顔はハルトのすぐ耳元に存在していた。

 妙に蠱惑的な、女性であろう声。ハルトの脳裏に刻みつけられる程の、声。彼の全身に得体の知れない何かが駆け巡った。あまりの衝撃に目を見開いたまま身を捩ることも出来ず、振り返ることが出来なかったハルトであったが、一瞬にして彼の耳元から気配は消え、その代わり座っている彼の背後にそっと降り立った。

 ハインツとリージェはその音が響いてから束の間の後にガタリと音を立てて椅子から立ち上がり身構えていたが、相手はそんな二人のことなど全く意にも介していない様子であった。


(何だ……今の……)


 震えているわけではない筈なのに、何故かそうだと錯覚しそうになる掌をグッと握りしめた後に、その正体の根源を突き止めようとゆっくりとハルトは振り返った。

 がしかし、既にそこには誰も居なかった。その人はすでに、丸テーブルの前でしゃがみこんで机の端をバンバンと指先だけで叩いていた。それは、何かを急かす動作としてよく見掛けるものである。


「早く早くぅ」


 再び声がした方にハルトが視線を向けると、目深にフード被った一人の人物がしゃがみこんでいた。その詳細は、確認できない。声からして女性であろうことがかろうじて伺える程度であり、先程の妖しげな要素はその風貌以外には微塵も感じられなかった。


「え……?」


(俺が全然気付かなかった……一体何者だ?)


(ちょっと……急になんなのこの人)


 三者三様の考えではあるが、その一点は共通していた。この人物は何者だろう——と。三人がそれぞれ考えを巡らせる中で、その人物は無邪気に今か今かと次の袋の開封を待っていた。


「ねぇ、開けないの?大丈夫かしら?」


「え、あ、はい!ただいま!」

 

 思わず従業員の様な口調になってしまうのは、別にそう言う経験があるからではない。時と場合により、人はそうなってしまうのである。それは少年も同じであった様だ。ハルトはワタワタと次の袋はどちらにしようかと目線を行ったり来たりさせた。

 隣に座るハインツは、改めてその人物を観察した。怪しい者ではあるものの、集会所内にそんな人物がいるとは考えにくい。現に、受付カウンターに居るティアはその存在に気付いていながらも、こちらに対して笑顔を崩さずに何もアプローチを行わなかった。つまり、ハインツは様子を見守ることに決めたのである。勿論、警戒を怠ることはない。どうやらリーシェも同じであったようだ。不審な目は向けてはいるものの、大人しくその存在を享受した。

 漸く決めた袋の紐を解いて、ハルトは二つ目の中を確認した。それは、魔導師ギルドのランネスタで貰ったシンプルな麻袋。


「え……?これは……?」


 中から出てきたのは、薄緑色の大きめな石が付いた指輪と小瓶がいくつか、それと羽根の様なものが何本か入っていた。魔導具の事ならばと、リーシェが進んで説明を始めた。


「これは……どうやら【風属性】の指輪のようね。こっちは【体力回復薬C】と【裂傷回復薬C】、後は……【ポイムの羽根】。移動用の魔導具ね。中々便利なセットじゃない!」


「風、属性……!」


「ほぉー、お前風属性だったのか!」


 何だかんだと再びの盛り上がりを見せるハルト達は、彼が属性を持つ人物ということが分かり先程の様な高揚感を取り戻していた。ハルトに至っては自分の属性が分かった事に感動さえ覚えていた。幸福感、とはまた違うがそれでも喜びの類を噛み締めていたのは間違いなかったのである。初めて、自分の持つ能力の一端を知ることが出来た人間の喜びとは、想像してもらいたい。これは当たりだとか外れだとかではない。自分がそうであったと知った時、人はそこに自分自身への納得と期待など己を認める情が湧いてくるのである。一言で言うなれば、自己肯定。

 この世界で生きる者は必ず【属性】を持つ。《土、火、金、木、水、風、雷、闇、光》の九種類である。殆どの人は一種類のみを保有する。その程度も様々である。大地を揺るがすことが出来る者がいれば、小さな穴を掘る程度の者までその幅は広い。しかし、その限度は訓練次第では広げることが出来るのである。また、仮に小さな穴を掘る程度の力しか持たない者であっても、魔導具によりそれを補強することは可能なのである。


 一時の仲間達と喜びを分かち合っている彼のその診断結果に、不満を持つ者が一人。


(【風属性】ねぇ……つまんなぁい)


 フードの中ではその人が、至極つまらなさそうに眉を顰めていた。その人の影が溜息を吐くように少し揺れた気がしたが、それを見ている者は居ない。それは、「貴女と一般人を一緒にするな」と言わんばかりのものであった。

 それぞれが反応を見せる中で、勢いのまま3つ目の袋も開けることにしたハルトは、今までの中で最も立派な袋の前で唾を飲み込んだ。重厚感のあるその袋に、先ほどより緊張した面持ちになる三人。机の上に肘を乗せて器用に頬杖をついているその人は、つまらなさそうな顔をフードの下で作りながらも律儀に少年の行動を待っている。

 思い切ってハルトが袋の入り口を開けるとそこには——。


「え、あれ、何も入ってな……い? ん?これは……!」


 最後の袋を開けると、中には暗闇が広がっていたが、奥の方が少しきらりと光ったため、それをゆっくりと掴みにいったハルト。何かを握った感触があり、ゆっくりと引き抜いた。

 そこに現れたのは、細すぎず太すぎない、中間くらいの剣だった。鍔には先ほどの指輪と同じ色の石が嵌め込まれており、ハルトの身長にしっくりとくるものだった。


「わぁ!剣だ……!」


「なるほど、ハルトには剣術スキルがあるってことか!」


「剣術スキル…?」


「剣士になるのに有利なスキルってことね。何を持ってるのか鑑定スキルが無いと分からないけど、ギルドには鑑定術師がいるから後で見てもらいましょう!」


 王道といえば、そうなのだろう。真っさらな状態のハルトの職業適性は【剣士】と袋に判断されたのである。引き抜いた剣をまじまじと見つめるハルトは、そのずっしりとした重さと憧れた形状にほぅと好奇の溜息を吐いた。


(剣術スキルねぇ?……つまんなぁーい……)


 明らかな落胆の溜息を隠すことなく吐いたその人を、幸いにも見ている人物は一人だけであった。


(貴女と普通の人間を一緒にしないでほしい)


 揺らめいた足元の影から、彼女にしか伝わらない音で以て、男の声が発せられた。奇妙な従者が口にした言葉は、至極真っ当な言葉である。 残念、と小さく呟いたその人は酷くつまらなさそうな顔を見た足元の影が、一際大きな溜息を吐くように揺れた。

 茶番は終わりだと言わんばかりに、その人物は今度こそ行動に出た。スッと音もなく立ち上がったその人は、案外と背が高かった。美しい所作に、ハルトは一瞬目が奪われる。二人の冒険者は再び警戒のスイッチを入れた。


「あの、実はクエストをお願いしたいんですが……」


(それは流石に直球すぎますよ、巫女様)


 思わず影の中の従者が諌めたが、聞く耳など端から持ち合わせてなどいないし、どうせ聞くとも彼は思っていなかった。形ばかりの諫言ではあるが、しないよりは己の気持ちの上ではマシである。

 意外な申し出に全員が豆鉄砲よろしくの顔を作り上げたが、いち早く我に帰ったハインツは正論を口にした。


「クエスト?悪いが、見た通りこいつは見習い冒険者だ。通常のクエストはまだ受けらんねぇよ。残念だが他を当たってくれ」


じゃなければいいんでしょ?」


「あ?」


 あまりにも小声だったため聞き取れなかったハインツ。今、目の前の人物は何と言ったのだろうかと疑念のその人に目を向けていた。


「ティア


「……、はい!」


 遠くから巫女に声をかけられたティアは緊張した面持ちで返事をする。指示したわけでも無いのに、恐る恐るこちらのテーブルに近付いたティアは、まるで事前に渡されていた台本を読み上げるかのように言葉を並べた。


よね?」


「は、はい……《同ギルド内の人間が同行している》という条件下でかつ《安全性が保障されている》場合、見習い冒険者の方でも一定以下ランクのクエストの受注は認められま……す……」


 自分でも無茶苦茶な事を言っているのがティアには分かった。そんな条件あるはずがない、と。口に出す内に、呆れと幻覚のような胃痛に思わず尻すぼみになってしまっていた。


「じゃあ大丈夫そうですね?」


 ハインツを見ながらあっけらかんと言うフードを被ったその人——巫女は、早く済ませたいのである。しかし、その人の正体に気付いていないハルト達、特にハインツとリーシェははますます不信感を募らせばかりであった。


「そんな条件聞いたことねぇな」


「実はばかりで」


 何が作られたばかりだ、と内心で暴言の嵐が吹き荒れていたティアは、目の前の人物をこれでもかと言うほど恨んでいた。新しく、ではない。ついさっき、である。正確に言うなれば、つい30分ほど前に書類を作成したばかりである。正式に受理したのも、この目の前の人物によるものであり、正規の手続きとしてこんな出鱈目な規定が真っ当に受理されてしまったのである。大変に遺憾である。ティアの心の内を察する黒い影は、姿なきままの同情を彼女に送っていた。あの人に関わると碌なことがないと分かっていながらも、何だかんだと昔から関わりを手放さないでいるその受付嬢に感謝の年すら抱いていた。

 

「いいじゃないですか! ギルド職員の方がこう言ってる訳ですし!それに、危険な内容じゃありませんから」


 おそらくニコリと微笑んでいるであろう口元がほんの少しだけ伺えた。


「実は、お友達とバーベキューをしようって話をしていて、その準備を手伝っていただけないかなぁと!難しいことは何も無いですよ!」


 聞かれてもいない依頼内容までつらつらと話始めるその人は、外堀をさらに埋めにかかっている。しかも、


(よくそんな出鱈目が言えたものですね……)


 と言うものである。そんなものはそのお友達とやらに頼めばいいだけの話で、わざわざ見習いといえど冒険者を使ってまで行うものではない。嘘が下手にも程がある。ティアの笑顔も引き攣っていた。もっとマシなクエスト内容を作成してくれ、と。ギルドクエストの評判でギルド登録を検討する者もいるんだぞ、と。


「それって、そのお友達に頼むのが早くない?」


 リーシェの完璧な正論である。そもそもバーベキューとは一人で準備するものではない。仲間内で準備し合うからこそより楽しみが増えるものであり、特別な事情がない限りそれなりに作業分担をするものである。


「それが、お友達は皆忙しく頼みづらくて……。そうだ!良ければ準備の後はそのまま皆さんもバーベキューに参加してください!こういうのって大人数の方が楽しいですし!」


(一応聞きますけど、そのお友達に俺も入ってますか?えぇ忙しいですよ、誰かさんのお守りで。そもそも、忙しいってお友達は国務を担っているのだから忙しいのは当然であって、本来ならば貴女もこんなところで油を売っている時間はないのですが?)


(なぁ影?そろそろ黙ってくれないか?)


 嘘八百を並べるにしても下手すぎる上司をここぞとばかりに揶揄い8割で責務放棄を責め立てる影は、つらつらと述べる割には楽しそうだった。嘘が下手であるのは自覚しているからこそ、とっととこんな茶番を終わらせたいその人は、彼に首を縦に振らせたいのである。つまり、既に飽きてきているのである。最早権力振りかざしたい、と。先程振りかざしたのを忘れたかの様に頭の中でもっと陳腐なストーリーを組み立てようとしていた。

 不審な顔を崩さないハインツは、真っ当な意見を放った。


「……他の奴らに頼めばいいだろ?」


「それが、他のギルドメンバーはこれから討伐クエストに行かれる予定でして」


 ティアが挙動不審に答える。流石に自分も助け舟を出さねば、もっと面倒な事になると察したのであった。それに、事実も含まれている。ハインツが集会所内を見渡すと、いつもよりは重装備で待機している人間が多く、嘘でもなさそうなことが窺えた。昨日のリーシェ落選の討伐クエストが今日行われるという情報もハインツは知っていた。


「お願いします!ね?」


 ハルトに詰め寄り神頼みをするようにお願いをするフード姿の巫女は、確かに必死に見えた。少なくとも、ハルトにはお友達のために必死でお願いしているお友達思いの人物に思えた。思いの外の近距離のその人に少年特有の女性への恥ずかしさにより慌てこそすれど、断る理由も特に見つからなかったハルト。

 

「え!?あ……俺でよければ?ハインツさん。良いですか?」


「はぁ、仕方がねぇな。それくらいの内容なら大丈夫だろう。こっちには魔術師サマも付いてるし、火加減なら十分だしな?」


「えぇ!?私も入ってるの!?」


「ありがとうございます、リーシェさん!」


「ちょ、私はまだ……!」


 茶番に終わりの兆しが見えたことは非常に喜ばしかった。それに、内容は内容だが、ハルトにとっては初めて依頼を受けたクエストであることは間違いない。例えレジャーの延長線上の様な内容であっても、だ。

 諾の言葉を口にしていないリーシェであったが、ハルトの何を期待しているのか分からないが期待に満ちた目を前に、流石に拒否の言葉を口にする気にはなれなかった。


「——っ!あぁもう!仕方がないから着いていってあげるわよ!あ、足引っ張ったら承知しないんだからねっ!」


 バーベキューと火属性魔術師。ありそうで意外と見掛けない組み合わせである。そもそも、バーベキューで足を引っ張るとはどう言うことなのだろうか。疑問は浮かぶがそれを追求する人はこの場にはいない様であった。


「はい!宜しくお願いします!」


 ハルトを指差しながら承諾してくれたリーシェに、思わずその手をとり握手をするハルト。完全にその場の雰囲気と勢いに飲まれていたのだろう。急な出来事であったため、リーシェは驚きと羞恥で顔を真っ赤に染め上げていた。


「ちょっ、いきなり何するのよ!?このヘンタイ!」


 赤らんだ顔のままにハルトの手を振り払うと、彼に向けて火属性魔術を発動しようとした彼女の足元に魔術陣が浮き出た。わわっと焦るハルトと、おいおい!とハインツが宥めていたその時、突如その魔術陣が静かに打ち消される様に姿を失った。


「リーシェさん?集会所内はでございます」


「す、すみません……」


 思わず敬語による謝罪の言葉を口にしたリーシェの前には、並々ならぬオーラを背負ったティアが綺麗な笑顔を浮かべていた。青褪めた顔で受付嬢を見つめる三人とは裏腹に、くすくすとフードの下で笑う巫女は妙に楽しそうだった。それにすかさず鋭い視線を向けるティアであったが、直後自身の耳元でその人に囁かれた言葉でハッとする様に目を見開いた。その人のフードに隠れていたため、その表情を三人の冒険者が見ることは叶わなかったが。

 ティアから離れたフードの人は、思い出したかのようにハルト達に声を掛けた。


「あ、もちろんクエスト達成の暁には報酬もお渡ししますのでご安心ください!」


「へぇ?で、そのクエストとやらはいつ受注すれば良いんだ?」


「勿論、今からです!」


「「「今!?!?」」」


「はい!超特急でお願いします!」


 悪気なく発せられるその人の言葉が一つ一つ段階的に三人を驚かせていく。先程からと合わせたそれは、ワザと仕掛けたとあるメソッドである事を彼らは知らない。


「皆さん、なるべく早くこの方のクエストを終わらせてくださいませ……」


 先程の般若とは違い普段の穏やかな姿に戻ったティアは、やや疲れた様子で三人に告げる。


「じゃあ、私はクエスト発注手続きをしてきますので、出口で待っていてくださいね!」


「え、もう!?」


 流石の早さにハルトが驚きの声をあげたが、その人は聞く耳を持っていなかった。


「ちょっと、スキル鑑定も終わってないのに!?」


 リーシェの言葉は、最もである。これからようやくスキル判定へと進みハルトの持つ戦闘能力を測ろうという大事な儀式であるスキル鑑定。それをする暇を与えるつもりは無いその人は、ふっとハルトを見遣った。ハルトはその人の隠れているはずの眼と自分の目が合った気がした。


「『習うより慣れろ』です!さぁさぁ早く!」


 三人を急かすように集会所の出入り口をビシッと指差すその人。


「わかったよ……ったく」


 のろのろと腰を上げるハインツと、それに続くリーシェの顔には不満、ハルトの顔には未知の感情に襲われた戸惑いが浮かんでいた。


「皆様、どうぞお気を付けて」


「私はクエスト発注手続きをしてきますので、出口で待っていてくださいね!」


 三人に挨拶をして受付カウンターの中へと去っていくティアに続いて、ぶんぶんと馬鹿みたいなテンションで手を振るフードを被ったその人。

 一抹の不安が過ぎる三人であったが、それを振り切るように言われた通りに出口でその人を待つのであった。

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