第一章5「橙桃の少女」
次の日、ハインツと昨日のうちに決めていた待ち合わせ場所向かっていたハルトは、途中でまばらな人だかりを発見した。その中心からは男女の言い争う声が聞こえる。
「いい加減にしてよ!そんなのそっちの言いがかりでしょ!」
「なんだぁ?威勢のいい嬢ちゃんだなぁ!」
なんとなくそれが気になったハルトは、野次馬達と同じようにその人だかりの中にそっと体を滑らせた。その中心では、肩を押さえてワザとらしいほどにその痛みを表現する男と、うすら笑いを浮かべながら目の前の相手を見下ろす男。その相手とは、一人の橙桃の少女。
(あれ、あの子って昨日の……?)
「俺の相棒にぶつかっといてなんの詫びも無しとは、躾がなってねぇなぁ?」
「なにそれ、ぶつかってきたのはそっちでしょ!」
あまりにもベタな展開過ぎて呆気に取られそうになったハルトだが、だからと言って見過ごすことは躊躇われた。なんの関わりもない、ことはないが決して良い出会いでは無かった少女が嘘をついているようにはハルトは思えなかった。それに、こういう場面ではどう考えてもーー。
「あんなワザとらしくぶつかってきておいて、バレてないと思ってるのか、アイツら?」
「こんな
どうやら、目撃していたらしい周囲の人々がコソコソと話している内容は、ハルトが思っていた通りの展開であった。遠巻きに見ていた野次馬達の半分ほどが、彼らのあまりにも出来過ぎた行為をいっそ感心といった顔で眺めていた様だった。もちろん、残りの半分は少女の安否を純粋に案じる顔を浮かべていることも間違いはなかったが。
しかし、その誰もが少女を助けようとはしなかった。ハルトも、常の自分であれば彼らと同じように遠巻きに見守るだけのマネキンと化していただろう。だが、今は違う。今の彼は
「慰謝料、払ってもらおうか?あぁ、俺たちにご奉仕してくれるっていうのもありだなぁ?」
「ちょっと!何すんのよっ」
少女に近づき、明らかないやらしい笑みで彼女の腕を掴み上げる男に、少女は眉を顰めた。その片腕に握られた木製の杖の様なものが淡い光を帯びようとしていたその時。
「あの!」
予想以上の大きな声がでた自分に驚いたハルトを、その場の誰もが視線を向かわせた。呆れ、揶揄い、心配など色々な感情を一斉に向けられた彼は、自分の浅はかな行動を嘆きこそすれど後悔はしていなかった。
「その子、嫌がってるだろ!離してやれ……ください」
男の鋭い目にギロリと睨まれたハルトは、最初の勇気がすぐに萎んでしまった。実際にこんなことをするという事が、如何に勇敢な行為であるか思い知らされた。
「なんだガキ?お前がこいつの代わりに慰謝料払ってくれるっていうのか?あぁ?」
「え、あ、いや、そうじゃなくて……彼女は悪くないんじゃないかなぁって、ははっ」
冷や汗が止まらないハルトは、笑って誤魔化すしかなかった。少女を助けたいと思ったのは本当で、今の自分になら出来るのではないかと思った事は間違いで、この後どうすればいいのかは全く分からなかった。正直、おそらく大したことがない相手であることは何となく分かったが、そんな大したことがない相手すらやはり『怖い』と思った。
「なんだぁ?俺の相棒がわざとぶつかったっていうのか?はっ、どこにそんな証拠があるっていうんだ!この嬢ちゃんが、ぶつかってきたんだよ!なぁ、相棒」
「あぁ、そうだぜ、イッテテテ!」
「おうおう可哀想に、骨が折れちまってるんじゃねぇか!」
大した茶番である。この場の多くの人間はそれが分かっていた。もちろんハルトも。しかし、こんな時はどうしたら良いか分からないのであった。
(え、どうしよう、きっとこの後は……そうだった、俺はまだ戦い方を知らないんだった……!え、な、殴る?いやいや人なんて殴ったことないし!)
「おいガキ、慰謝料、払ってくれるんだろうな?あぁ?」
「え、いや、えーっと……」
「ぐずぐずしやがって!とっとと金を渡しやがれ!」
痺れを切らしたのか、男がハルトの胸ぐらを掴み拳を振り上げた。思った通りの展開に、対抗策を見出せなかったハルトは常と同じような反応をするしかなかった。唯一、目を開いたまま男の動作をずっと見つめるという異なる反応をしていたことには自身でも気付かぬまま。
しかし、彼の想像していた出来事は起こらなかった。見開いていた目の端に橙の光が映った瞬間、その色が男にぶつかったのである。
「あっちぃーーーー!!」
大きな声で痛みの熱さを訴える男は、咄嗟にハルトを掴んでいた手を離した。勢いのままハルトは放り投げられ、そのまま仰向けに倒れてしまった。
「ぐずぐず言ってるのはそっちでしょ?そんな嘘くさい演技に騙されるわけないわよ、いまどき」
それは、橙桃の少女の声だった。彼女の手に握られた木製の杖が、僅かに光と火花を散らしていた。先程男に直撃したのは、彼女が放った火の玉だったらしい。つまり。
(この子、もしかして【魔術師】……?)
数ある職業の中でも男女共に人気があるのが魔術師であった。昨日のティアの癒しの魔術を見た時も感動を覚えたが、ティア自身は魔術師ではない。ハルトが本物の魔術師を見たのはこれが初めてであった。状況を忘れ、思わず彼女に魅入ってしまう。
「て、てめぇ!何すんだよ!」
「これ以上グダグダ言うんだったら、もっとでかいのをお見舞いしてあげるけど?」
そう言った途端、少女の足元には不思議な円陣のようなものが浮かび上がり、周囲には火風と共に莫大な
「こ、こいつ!【B級】か!?」
「ヤベェ!逃げようぜ……!」
「て、テメェら!覚えとけよ!!」
あっという間に走り去って言った男達。周囲の人々からは少女を称賛する拍手が、一部の観客からは期待通りの反応を見せた男達への拍手がなされていた。ハルトは未だに横たわったまま、頭上に立つ少女を見上げていた。少女の持つ杖からは光が弱まり、周囲に渦巻いていたものは徐々に成りを潜めた途端、残滓による緩やかな大振りの風が少女とハルトの間を過った。その途端。
(あ……桃色)
目に入れてから、それが何であったのかを認識したハルトは、思わず顔を真っ赤に染め上げていた。チラリと彼の様子を目にした少女は、彼の反応で自身の徐々に頬を赤く染めていった。パッとスカートを抑えたその反対側の手に持つ杖が再び光を纏い始めた。
「ど、どこ見てんのよ!このスケベっ!!」
古のシチュエーションを体験する羽目になるとは思ってもいなかったハルトは、その後に少女の橙による追撃から必死で逃れながらハインツとの待ち合わせ場所に向かうのであった。
そんな彼を見ていた物陰に潜む人影。その人が大きく肩を揺らして我慢しているのを知るのは、その足元で呆れた様に揺らめく忠実な影だけであった。
ハインツとの待ち合わせ場所である東噴水広場に着く頃には、ハルトの身体は所々黒い焦げ跡まみれになっていた。息も切れ切れにハインツに挨拶するハルトの横には、何故か先程の少女が同じく荒い息のままに佇んでいた。
「おう、ハルト……となんでリーシェまで一緒にいるんだ?もう仲良くなったのか?」
「な、かよく、なんか、なって、ない……!!」
リーシェと呼ばれた先程の少女は、整わない息のままハインツに否定の言葉を述べた。汗と焦げの匂いが漂うハルトを一瞥したハインツは、なんとなくの事を察した。ニヤニヤと顔を緩めたまま、二人を見比べた。彼が口元を動かそうとしている。生温かい視線とその気配を感じたハルトは、思わず先手を打った。
「あぁぁ!あの、ハインツさん!今日はどこに行くんですか!」
慌てたように挙手をしてから発言したハルトは、彼女に油を注ぎそうな顔をしていたハインツに、すかさず本来の目的を問いただすことにした。先程までの鬼ごっこは、正直端から見ていれば愉快な光景であっても、逃げる側としては必死であった。男達が言っていた事が本当だとしたら、ハルトと少女の実力差は明らかである。例え少女が手加減をしていたとしても、何も分からないハルトにとっては命を懸けた鬼ごっこと化していた。それを再びとなると、冷や汗を流すだけでは足りないのであった。下手をしたら
「お?ははっ、まぁ慌てんなって。今日は一緒に西ギルドから挨拶周りをする予定だ。この国に四つの大型ギルドがあるのは昨日話したよな?」
ハインツは、ハルトの様子を、どうやら早く冒険者になりたいせっかちな奴と捉えたらしい。今日の目的は、それぞれのギルドを訪問し、挨拶をすることだと言う旨を話し始めた。
「この国の見習い制度はギルド同士の協力関係で成り立っている。ギルド総括者の指示により、この国に大型ギルドが支部進出を申請した際に、見習い制度への協力が求められていていな。それぞれに新規ギルド登録者が現れた場合、各ギルドに顔見せするのが儀礼となっているのさ。もしも見習い期間中に所属ギルドの仲間が近くに居なくても、他のギルドの奴に助けてもらえるようにってことでな」
所謂、新顔のお披露目みたいなことだと言うことが分かったハルトは、徐々に高揚してきたのが自分でも分かった。確かに、自分は冒険者になりたい思いでやってきたが、他のギルドや職業に興味がない訳ではなかった。それに——。
「ハルトは確か、【職業適性】を調べてないんだよな?」
「あ、はい。実は昨日やろうと思ったらティアさんに断られてしまって……」
「え……アンタ、適性も分かってないのにチンピラと戦おうとしてたの!?」
「へぇ、中々勇気があるもんだな!」
ギョッとした顔でハルトを見た少女、先程リーシェと呼ばれていたその人。ハインツが感心したようにハルトの頭を乱雑に撫でている横で、呆れた様に溜息を吐いた。その後、大きくて少しだけ釣り上がった橙桃色の瞳に、義務的ながら心配を込めた色を纏わせながらハルトに言い聞かせるように説明を始めた。
「あのね!【職業適性】を調べて適性職業を自覚しないと、メインスキルが使えないのよ?メインスキルが分からないと、戦闘時の立ち回りも分からなければ、魔物との相性判断やダンジョン攻略だって難しいの!」
「あー、いや、でもほら、【冒険者専用スキル】があるし……?」
「見習い冒険者は冒険者専用スキルは使えないのよ、このバカっ!そんなことも知らないのに助けになんて入らないでよ!」
「お、なんだ?リージェお前、ハルトに助けてもらったのか?」
ニヤリとリーシェを見つめたハインツは、今度はポンと彼女の頭の上に手を軽く乗せた。ハルトの時よりは軽く、それでいて温かさは等しく。
「助けてもらった礼は言ったのか?」
優しく促すような言い方は、まるで子供に言い聞かせるかの様だった。うっと詰まったリーシェは暫しの間の後に、少し乱雑にハインツの手を払った彼女は、ボソリと呟いた。
「助けに入ってくれて……ありがとう」
それは、小さなちいさな声だった。言われなければ気付かないほどの小さなもの。それでも、それは彼女にとって精一杯の感謝の言葉だった。気恥ずかしいのかやや頬を赤らめたその顔は、素直ではない少女らしい表情だった。その顔を見たハルトは、少女の愛らしい表情に同じく些かの気恥ずかしさを感じて釣られた様に顔を赤らめながらも、自身は反省の言葉と思っている油を注いだのであった。
「いや、あの、俺も、ぱん……見ちゃって、すみません」
ハルトのその言葉による一瞬の間。少女の顔は可憐な花の様な表情のまま、目だけを瞬かせた後に、その表情に烈火の如く吹き荒れる怒りを混在させる年相応のそれを見せていた。しかし、ハルトにはそうは映らず、先程回避した筈の続きを行う羽目になったという事実のみを享受する他なかった。
「青春だな」と呟いてた男が側で微笑ましくその光景を見ていた事を件の二人が知るのは、もう少し後の事である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます