第一章3「冒険者とは1」
道行く人に尋ねながら進んでいるハルトが目指しているのは、数多あるギルドの中でも最大規模と言われる冒険者ギルド【イダスタ】である。彼らの集会場は東の噴水広場の近くに位置しているらしい。
【イダスタ】は4大ギルドではないものの、様々な職業の人達がバランスよく在籍している冒険者ギルドであり、非常に珍しい【見習い制度】が存在するギルドであった。
街並みに只管に圧倒されながらも東の噴水広場に辿り着いたハルトの目にふとはいったのは、小さい造りながら一際目立つ建物。入り口付近と屋根の上で颯爽と旗めく布は遠目でも分かるほどに上質な紅を纏っていた。建物の正面の木製扉の上に掲げられている看板には、堂々とした文字で【イダスタ】の名が刻まれている。厳かな雰囲気の中に、勇敢さと荒々しさが混在した、正に冒険者に相応しいそれであった。
(これが、【ギルド】か……)
扉の前まで足を進めたハルトは、逸る鼓動を抑え込むかのように生唾を飲み込み、少し傷んだ木の扉を開けようと手を掛けた。瞬間、彼が力を入れるよりも先にその扉が勢いよく開かれた。ハルトの方へ。
「ぶへっ!」
「きゃっ!」
建物の中から現れたのは、橙桃色の長い髪を慌てたように揺らしている、少女。
「ちょっと、あんた、気をつけてよね!」
ハルトに軽く文句を告げた後、活発な印象のままあっという間に走り去っていった。どちらかというと気をつけるのはそっちなのでは、と思ったハルトであったが、扉と顔面の逢瀬による鈍い痛みに蹲りながら、少女が走り去った方角を恨めしそうに眺めるしかなかった。既に少女の姿は小さい。
「大丈夫ですか?」
些細なイベントを観ていたのだろうか、赤くなった鼻を押さえるハルトに誰かが声を掛けた。真面目そうで、それでいて優しいあたたかみのある声。ふとハルトが見上げた先には、かっちりと制服らしいものを着込んだ女性が、心配そうに眉を下げながらもふわりとした笑みを浮かべていた。淡い空色を帯びた髪はゆったりと後ろで結われており、彼女の穏やかさを表すかの様に軽やかなウェーブを描いている。それに似つかわしい深い青色を宿した目は意外にも本質的には鋭さが根付いているように少し吊り上がってはいたが、今はただ目の前の少年を案ずる心ばかりが表れていた。
差し出されたその人の手を取ったハルトは、これもまた意外にも苦もなく起き上がることが出来たようだった。彼女の腕は優しく、そして力強かった。
「あの、ありがとう、ございます」
「いえ、こちらこそ私共の冒険者が失礼しました。それで、旅人様、本日はどのようなご要件でしょうか?」
「あ、えっと、ギルドに登録をしたいんですが……」
「畏まりました。紹介状はお持ちですか?」
事務的ではあるが、そこに確かな優しさが感じられる女性の言葉を聞き、慌てて鞄の中からそれを取り出したハルト。少しくしゃくしゃになってしまっている紹介状を軽く確認した女性は、ハルトを建物内へと促した。
「あ、その前に」
「え?」
女性は思い出したかのようにその言葉を発したあと、少し屈んでからハルトの鼻先に触れるか触れないかの距離に己の手を翳した。急な接近に驚きと少しの恥ずかしさを覚えたハルトであったが、すぐに彼の鼻先辺りににぽおっと淡い光が灯った。
(あたたかい……あれ、それに……)
「痛みは取れましたか?」
軽く首を傾げながらニコリとハルトを見る女性に、彼は思わずキラキラとした目を向けて応えた。
「今のって、癒しの魔術ですか!?」
「ええ、私は少しだけですが光属性を持っているので」
ハルトは初めて見る魔術に興味津々のようで、自分の顔にぺたぺたと触れながら、その存在の残滓を感じ取っていた。
「では今度こそ。どうぞ中へお入りくださいませ」
微笑みを浮かべた女性は、今度は自らハルトを先導するように建物内へと彼を誘った。
建物内は、意外にも静かであった。冒険者ギルドというものに賑やかな印象を持っていたハルトは少し拍子抜けをしてしまったが、決して人が居ない訳ではなかった。所々にあるテーブル上では真剣な面持ちでギルド所属者達が話し合いをしている。それは、ハルトが思い描いていた冒険者像とやはり異なっていた。
(なんか、もっとゴツゴツした感じを想像してたけど……)
思わず足を止めた彼の目に映る、逞しい身体の者やいかにもな装備を纏った者は出立ちこそ確かに彼の想像とかけ離れてはいなかったが、彼等の交わす言葉の中には緻密さと繊細さが含まれており、ただ荒々しいだけの表情とは違っていた。戦いも含め、あらゆる術のエキスパートが集っているようにハルトは感じた。
「旅人様、こちらで手続きを行いますので、どうぞ」
奥にある受付カウンターの中に入った制服の女性は、自身の前に立つようにとハルトを促した。どうやら、彼女自身が担当をしてくれるようだった。慌てて駆け寄るハルトを見つめる彼女の目はどこまでも優しかった。
「では、改めまして。【旅人】様、冒険者ギルド【イダスタ】へようこそ。私は冒険者ギルドの受付嬢、ティアと申します。これより、旅人様のギルド登録手続きを担当致します。旅人様のお名前をお伺いしても宜しいですか?」
「あ、ハルトです。よろしくお願いします」
「それでは【ハルト】様。まずは、先程の紹介状のご提示を改めてお願いいたします」
言われた言葉に従い、ハルトは少しくしゃくしゃになった紹介状を取り出しティアに渡した。彼女が今度はそれをしっかりと確認すると、一枚の用紙をハルトに差し出しながら彼に声を掛けた。
「ご提示ありがとうございます。素敵な村長様ですよね」
「え、村長のこと知ってるんですか?」
「実は私も【フエ村】の出身なんです」
変わらない微笑みを浮かべながら告げられた事実に、ハルトは驚愕もあったが思わず尊敬の眼差しでティアを見つめていた。
「すげぇ!あの村の出身からギルドの受付嬢になるなんて!あれ、でもあの村の出身者で女性って確か今まで一人だけで、
バキッ——。
「ハルト様?」
何かが無惨に折られてしまった音と共に控えめな静けさだった室内が、一気に凍り付くような静寂に包まれた。変わらなかった筈のティアの笑みが深くなり、黒い威圧感がその背後に控えていた。本能的に口を噤みそれ以上この話題に触れることを避けたハルトは正しかった。自分達の作戦会議など忘れたかのように、少年の身を案じて遠くから見守る歴戦の猛者達は心の中で彼の英断に拍手を送っていた。
ティアは怒らせてはいけない人物であることを、ハルトは早くも知ることになった。彼女の手の中のそれのようになりたくはない、と。
「では、こちらのギルド登録書類にご記入をお願いします。一番最後の項目は空欄大丈夫ですので」
「はい…」
渡された真新しいペンですごすごと必要事項を記入してくハルト。チラリと覗き込んだ彼の視線の先には、ティアが折れたペンを思いっきり笑顔でゴミ箱に投げ棄てている姿。それを見たハルトの顔が心なしか青褪めているのを知るのは、完全に目的を忘れ興味津々にハルトを見守っている冒険者達だけである。
少し震えながらも一番最後の項目までいった所でハルトはペンを置いた。
「で、できました」
「確認するので少々お待ちくださいませ」
既に常の穏やかさに戻っていたティアは、一つ一つの項目を真面目に確認しているようであった。手持ち無沙汰になってしまったハルトは、何とはなしに周囲を見渡した。
(室内の人数は確かに多くはないけれど、何だか誰も彼もが強そうに見える。これが【冒険者】……)
彼の視線の先には、真面目に作戦会議をしている様に見えるイダスタの冒険者達。既に彼らの意識が自分に向いている事に気付いていないハルトは、それを気付かせないという技量を持っている程の人物しか集まっていない事にも気付かない。それほど、イダスタの冒険者のレベルは高いのである。
そもそも【冒険者】とは——。
この世界には様々な職業が存在している。剣士や騎士、武闘家や狙撃手、魔術師や錬金術師、芸術家や貴族など多岐に渡る。その中でも、最も危険かつ自由であるのが【冒険者】であった。
【冒険者ギルド】に登録した者のみが【冒険者】としての職業を得ることが可能となる。世界のあらゆる場所に行くことができ、全てを手にすることが許された存在。そのため、夢や野心を持った者達がこぞって冒険者の道を歩もうとする。しかし、初めから冒険者として自らの職業を定める者は思いの外少ない。適性の職業で自分の腕を磨き、ある程度自信がついてきた頃に冒険者ギルドへと登録する。これが通常の冒険者への道である。
書類の内容に目を通していく受付嬢はふと目の前の少年を見つめる。周囲の様子を窺っているハルトはその視線に気付かない。一瞬の逡巡の後、彼女はハルトに声掛けた。
「お待たせしました、ハルト様」
「あ、はい!」
「こちら確認致しました。問題が無かったので、一番最後の項目の記入をさせていただきます。ご希望の【職業】はございますか?」
「【冒険者】です」
「【冒険者】ですね、かしこまりまし……すみません、今なんと仰いましたか?」
「冒険者」
「すみません、今なんと仰いましたか?」
「だから冒険者!」
繰り返し同じ質問をするティアに負けじと同じ答えを返すハルト。こんなやりとりを数回繰り返す内にヒートアップしてきた2人の周りに、とうとう集会所内の人々が集まってきた。
「だーかーらー!!冒険者だってば!!」
「すみません!!今なんと仰いましたか!!」
「おいおい二人とも、そろそろ落ち着けよ」
急に第三者の声が割って入った。2人が我に帰るに辺りを見回すと、集会所の人達がニヤニヤしながら2人を見つめていた。その内の一人、屈強な男性が続けてティアに声を掛けた。
「良いじゃないかティアちゃん」
「ハインツさん……」
先程2人を制した声の持ち主、ハインツと呼ばれた大柄な男がティアを諭す。
「心配するのも分かるが、そう頭ごなしに否定するのも良くねぇよ」
「ですが……!」
「冒険者には危険が付き物なのはなりてぇ奴が1番分かってる。そうだろ?坊主」
「え、あ、はい!知っています、冒険者がどれだけ危険な職業か、命がいくつあっても足りないってことも……」
自身の知識の中にある冒険者という存在を思い浮かべる少年。憧れだけで成ることは無謀であり、況してや何の術も持たない唯の旅人がいきなり得る職業では無いことを、もちろんハルトは知っていた。
「それでも俺は、冒険者になりたいんだ!!」
バンっと受付デスクに身を乗り出して言い放つハルト。黒曜石の様な黒々とした目の中には強い意志が感じられた。
「ハルト様…」
「ははっ、十分じゃねぇか。それが分かっていれば!」
「……分かりました。ご希望の職業は【冒険者】でお間違い無いですね?」
「はい!お願いします!」
「かしこまりました……」
大きな溜め息を吐きながら、最後の空欄であった場所に【冒険者】と書き込むティア。ハルトを含めた集会所にいる誰もが、その姿を固唾を飲んで見守っていた。彼女のによって刻まれていく文字の音、コトリとペンを置く音の余韻まで何一つ聞き落とす事なく。深呼吸の後、ティアは堂々とハルトに言葉を贈った。
「それでは……【冒険者】ハルト様。我らがギルド【イダスタ】へようこそ!」
真実は半ばやけくそではあったが、受付嬢としての誇りを掛けてティアがハルトに始まりの言葉を告げた瞬間、皆が歓声を上げハルトを揉みくちゃにすることで、先ず以て新しい冒険者の歓迎の儀式が繰り広げられたのであった。
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