第一章2「退屈」

 上品な執務室、なのだろう。豪華すぎない彫刻や陶器、仰々しいほどの書物が詰められたセンスの良い書棚。アンティーク調のローテーブルと、それに相応しい複数人掛けのソファ。その下に横たわるラグには、何かの紋章の様なものが黄金と漆黒、そして空虚な蒼によって印されている。扉はいくつか存在し、少しの生活感も窺えた。


 大きなガラス窓を背後に、重厚で威圧感のある執務机がある筈なのだが、それは大量の紙の束に隠れてその威厳を失っている。麓に散らばるそれを、ぐしゃりと裸足で器用に持ち上げる人影が居た。


「ふぁ、平和すぎて退屈だわ」


 欠伸を隠すこともなく、執務机に肘をつき、足で掴み上げた一枚をつまらなさそうに見つめる女性が一人。一瞬目を通したのちに、やはり手を振り払ってそれを床へと投げ捨てた。肘を付いたまま片足を上質な皮張りの執務椅子の上に乗せ、行儀悪く椅子に座り直すその人。絹のような衣を腕に引っ掛け、絢爛華美とまではいかぬものの上品な衣装に身を包んでいる。整えさせすれば美しくなるであろう髪が彼女の身体に無遠慮に纏わりつき、彼女の自堕落した様を語っていた。

 大層な美人であることには間違いないが、それを黙って肯定出来ぬほど、その人は普通では無かった。


「良いではありませんか、絶好のお仕事日和ですね」


 先程彼女が投げ捨てた一枚をすかさず足で押しやり、自らの足場を整える無表情の侍女。何食わぬ顔でお茶の準備を進めている。長い髪を二つに括り、前髪は長くとも清潔感のある装いをしており、よく出来た人間であることが伺える。


「あ゛ー……」


 まるで疲れ切った中年の様な声を出しながら、背もたれに反り返るようにもたれ掛かった美女は、そのままぐだりと椅子に身を委ねる。椅子から落ちないのが不思議なほどの角度であった。疲労感を携えた不気味な音を口から発しているその人の隣では、テキパキと茶器を操り準備を進める完璧な侍女が居た。


「やるきぃ……。あぁ、そうだ、何処かに置いてきちゃったから探してくるわね」


 徐に立ち上がりさっと髪を一撫でした後、窓の方へと歩き出す女性。その背後からガチャリと音が聞こえ、ドアノブが回り扉が開く。2人の人間が室内に入り込む。1人は整った顔つきの青年、イケメンである。金色に輝く髪色に負けぬその顔は、人を惹きつける魅力が溢れていた。腰には剣を携え、キッチリと襟まで止められている釦は彼の性格を表しているようだった。


「やる気なんて元々持っていない人が一体何処へ行く気ですか? しかも裸足で」


「あーあ、うるさいのがもう来ちゃった」


「貴女という方は……もう少し真面目になって頂かないと我々の補佐も追いつきません」


「まぁまぁ、急ぎの仕事も無いんだし堅いこと言わないでさー」


 今までの様子を黙って見ていたもう1人の人物が、青年の後ろから顔を覗かせてけらけらと笑いながら言う。青年よりもやや低く見える背丈であるその人物は、非常に中性的な顔立ちであった。その声からも、男女の判別が難しい。装いからは魔術師であろうことが伺えるが、肩まで出ている術服と細くすらっとした脚が印象的である。髪も長く、後ろで乱雑であれど綺麗に見えるよう結ばれている。


「そうよ、のんびりいきましょうのんびり、ねー?」


「ねー?」


 美人と美人が顔を見合わせながら声を揃えて言った。その姿を見ていた金髪の青年は声を荒げた。


「『ねー?』ではない! 全く……そういう事はその机一帯に広がる書類の山を片付けてから仰って頂きたいっ!」


 先程女性が居た机の上には、先程から一向に減る訳がない大量の書類の束が積まれていた。ぱらぱらと落ちていくそれは既に床への侵食も甚だしく、流石にと思ったのか会話に加わっていない侍女が機敏に書類の整備を行なっていた。


「はいはいー」


やる気の無いような、面白がるような声音で答えた女性を金髪の青年はキッとひと睨みした後、大きなため息を吐いた。


「ライヤ隊長。いつもの事とはいえ、毎日同じやりとりをしていて飽きませんか?」


 今まで黙っていた侍女が金髪の青年、ライヤ隊長と呼んだその人に手を止めることなく声を掛けた。


「そう思っていたのなら君もこの人を何とかしてくれ」


「無理です」


 恨めしそうな顔で侍女に話しかけるも一刀両断の勢いで拒否の言葉を述べた侍女は、書類の束を美しいローテーブルに見事に並べ、涼しい顔で再びお茶の準備を進める。

 いつの間にか自分の机に戻り先程と同じような行儀の悪すぎる体勢で椅子に座っている女性は、彼らのやりとりを見てニヤついた顔で言い放った。


「口五月蝿いのは誰に似たのかしらね」


「似たのではなく周りにいた人がこうさせたんです」


「それは災難だったわね」


「ええ、全くもって」


 半ば諦めたような口調で答えるライヤではあるが、本気でそう思っている訳では無い様子であった。彼らの関係性が伺える、いつものやり取りである。


「あ、僕もお茶が欲しいな」


「カヤラ……お前もなんでこう……」


 これまたいつの間にか室内の一等立派なソファに優雅に座り、ちゃっかりと自分の分を要求する魔術師、カヤラ。彼を見て頭を抱えるライヤの顔は、完全な降伏を宿していた。


「既に準備はできております」


 そう言った侍女は準備していた茶器でまず1人分の用意を始める。ティーカップに紅茶を淹れ、それを書類の山に囲まれた女性の執務机の上に小さなスペースを掻き分けて作った後、そっと置いた。


「ありがとう、頂くわ」


 侍女に声を掛け、呑気そうに紅茶を楽しむ女性を見て再び溜息を吐くライヤ。

 女性に一礼してからもう一つのティーカップにも紅茶を注ぎ、ミルクと砂糖を入れてかき混ぜた後ソファに座るカヤラへと届ける。


「ありがとう」


 笑顔で礼を告げるカヤラに一礼し、手早く茶器を片付ける侍女の姿は実に手際が良かった。彼らの日常は、ここにも存在していた。

 そんな様子に三度目の溜息を吐くライヤであったが、この空間が心地良いものであることも知っていた。だからこそ、甘くなってしまう、つい甘やかしてしまう。


 しかし、次の瞬間それが一変する。カチャリと音を立ててティーカップをソーサーに戻す女性が口を開く。


「あ、そうそう。この書類全部終わってるから皆に持っていってねー」


「は……」


 一瞬の静寂。美人と美人が同時に紅茶を口に入れる音が室内に静かに落ちる。そして、いつもよりも少しばかり大きいライヤの怒号が城内に響き渡るのであった。



「巫ー女ーさーまーー!!!!!」



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