1-2 邂逅=amazement
都市部を出て約二十分。田園地帯を潜り抜け、差しかかった山道の緑をガラス越しに眺めながら、俺は車を走らせていた。
「本当にこの道なのか? これ以上行ったら、もはや東京ですらないぞ」
思わず不安の独り言が漏れる。
ナビに頼りきりだったが故に、ここに来るまで何度も何度も送られた地図を確認した。だから道は間違っていないはずだが、この山道を越えるとなると、いよいよ予想とはかけ離れた場所に向かうことになる。警察は俺を、一体どこに連れて行こうとしているのだろうか。もし左遷とかそういうのならば、しっかりそう通告して欲しいものだ。
木々の枝葉が道を覆い隠し、その隙間から太陽の光が差し込んでいる。この景色だけは神秘的でとてもいいとは思うが、今の俺にとっては別に感動はしない。こういう心理的なセラピーは、もう全てやり尽くした。
今の俺に必要なのは、トラウマを吹き飛ばしてくれる何かだ。過去を忘れ、挽回の機会を与えてくれる、人生の起爆剤だ。だからこそ、俺は早くこの地図の指し示す場所に向かいたい。新たな環境で新しい自分を作りたい。
そんな焦りが車のアクセルをより強く踏み込ませ、気がつけばこの道の法定速度を大きく逸脱した、レースゲームのような速さに達してしまっていた。
「うわっ!」
その時、突如として眼前に出現した、山道特有の急カーブ。俺は全力でハンドルを回すも、やはり曲がり切ることはできず、俺の車はガードレールに勢いよく衝突し、右側面を強打した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
初めて目にした事故現場。正面からぶつかったわけではなかったためか、ガードレールは破壊されることなくその役目を全うし、俺は九死に一生を得る。
死を間近にした緊張がほどけるのを待って、俺は助手席の方へと回って車を降り、状態を確認した。
「あちゃあ……これは、レッカー車案件だな。あぁもう……警官が事故とか話にならねぇって」
初任給をもらった頃から貯金を続け、やっとの思いで手に入れたマイカーの中型車。まだまだ付き添っていくであろう相棒となるはずだったが、まさかの急展開で退場ということになってしまった。心が落ち着かぬまま運転をしてはいけないという、良い反面教師だ。
俺は失意の中、携帯を取り出してダイヤルを開き、番号を打ち込んでいく。山奥でも駆けつけてくれる自動車保険のありがたみが、身に沁みて実感できた。これからも継続しておこう。
——その時だった。
「…………ん?」
携帯を見つめる視線。その視界には足元からガードレールの一部、そして斜面から伸びる木々が映されている。
俺の気を引き寄せたのは、その木々の空間に現れた人影だ。
改めて注意を向けると、そこには一人の女性が、鬼気迫る表情を浮かべながら、おぼつかない足音で全力疾走していた。
その息は遠く離れていても聞こえるほど激しく、踏みしめられた落ち葉の破壊音は、静寂に包まれた森を貫き、鼓膜を震わせる。そこから伝わってくる巨大な緊迫感は、まさに生命の危機を示していた。
確かこの山には緩やかな川が流れていて、いいキャンプ地になっていたはずだ。もしかしたらそこのキャンプ客だろうか。だとしたら、どうしてあんな山奥を走っているのか——
「————ぁ」
——その時、俺はあまりの驚愕に絶句した。
その根源は、無我夢中で駆け続ける彼女の背後。踏み分けられてできた茂みの道を沿うように進む、もう一つの影。腕や足などの明確な四肢は存在せず、その輪郭を常に変形させながらうごめく、奇々怪々な生物の姿だった。
いや、生物と呼んでいいかもわからない。全ての可能性を加味して言うのならば、ナメクジのように柔軟な身体で出来上がった『何か』が相応しいだろう。唯一変化しないのは、その身体に浮かび上がる三つの円のような模様だ。三点に現れているその模様は、それぞれを結んで逆三角形ができてしまうが故に、人の顔のような認識を脳に強制させる。そしてその認識は、無意識のうちに恐怖を倍増し、逃げ惑う彼女への助け舟を出させない。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ————!」
「っ——ぁぁ」
刹那、その『何か』は急激に肉体の質量を増やし、彼女の全身を包み込む。轟いたはずの悲鳴はすぐさまその肉厚によって遮断され、数秒の間を挟んで沈黙。そして『何か』は、自らの質量を元に戻した。
——捕食。
どう見てもそれにしか思えなかった。アメーバが生物の細胞を飲み込んでいくような、食虫植物が飛び込んできた虫を丸飲みするような、欠片一つ残さない完食ぶり。
今、俺は人が食われる瞬間を目の当たりにしたのだ。
「クゥ——」
「——っっ!」
すると、今度はその『何か』が俺の存在を感知したのか、どこから放たれたかわからない眼光が心臓を撃ち抜く。そして全身をうねらせ、硬直するこちらの上空へ一気に跳躍した。
「ヒャゥウアァァァァァァァ!」
森林を反響する怪物の叫喚。質量に不釣り合いな俊足は突風を生み出し、空間を勢いよく切り裂く。その衝撃は肉体に満ちる恐れと共に心身の自由を奪い、本来可能な回避行動の全てを封じる。
死を悟った俺は、そのまままっすぐ飛び込んできた未知の獣に飲み込まれ——
「————ぁ」
——瞬間、どこからともなく現れた眩い閃光が、俺と『何か』の狭間で瞬いた。
眼球の光彩に滑り込んできた大量の光に、俺は身体の自由を取り戻し、咄嗟に両腕を目元に持ってくる。その遮られて減少した視界の隅で、化け物の柔軟な体躯が幾千もの斬撃により、容赦なく切り裂かれたのを認識した。
「…………ゥゥ」
そして現れる、新たな未知の存在。
人型に似た二足歩行のその肉体は、宝石の如き光沢のかかった硬質な様相を呈している。俺よりも一回り大きなその巨躯は力強く、まるで彫刻が動き出したかのような躍動感と迫力を孕み、俺の意識を掴んで離さない。瞳孔のない黄金の眼光は、まさに鋭利なナイフそのもの。
そして次に俺の目を奪うのは、その屈強な両腕の先に伸びる、三本の爪だ。『何か』を完膚なきまでに断裂したその得物は、自らの発する光をさらに刃で反射し、幾つもの煌めきと光波を生み出している。そこにはしたたる鮮血も、怪物の残骸も残ってはいない。
——これが、俺とその光の権化との出会い。これから何度もこの目に焼きつけることになる、『希望』の輝きとの邂逅であった。
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作品を読んで下さり、誠にありがとうございます! 作者のタンボでございます。
今作は毎週金曜日に更新、または私の気分次第で臨時更新致しますので、是非とも気に入って頂けましたら、楽しみにお待ち頂けますと幸いです。
どうぞ、よろしくお願い致します。
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