ディタミネイト・ワールド

タンボ

1-1 始まり=escape

 暗い部屋。暗い過去。暗い心。

 一人暮らしながら引きこもりを続ける人間に、果たしてどれほど価値があるのか。

 そんな哲学じみた疑問を頭に浮かばせながら、俺——晴馬鋼侍(はるまこうじ)の一日は始まった。いつも通り、最悪の寝起きである。

 顔を洗い、口に残った粘っこい唾をオレンジジュースと共に飲み込む。そしてあらかじめ炊いておいた白米をお椀によそる。その上に卵ふりかけをふんだんにかけ、純白の世界に黄金の砂を撒くと、ささやかではあるが、少しだけ部屋が色づいた気がした。

 初めに引っ越してきた時はわからなかったが、一人暮らしのアパートとはなかなかに寂しいものだ。特に今年は晴れて引きこもりとなったことで、自分しかいない空間に、想像以上の孤独感と閉塞感を覚えるようになった。子供の頃にあった家族の温もりが、どれだけ自分を支えてくれていたのか、今になって身に染みる。


「ごちそうさま…………さぁ、やるか」


 本音を言わせてもらえれば、もう田舎の実家に帰りたい。だが、まだ都会での努力を諦めたくない自分がいるのも事実。この心中に生まれた二人が激戦を繰り広げた結果、今日は努力を更新してみることに決定、俺はリモコンを手に取った。

 テレビをつけて録画画面を映し出すと、その中の最も古いニュース映像を再生する。すると画面がその映像に切り替わり、何度も拝んだアナウンサーの神妙な面持ちが、テレビ前に座る俺と視線をぶつけた。


『本日午後六時頃、東京都新宿区にて、銀行立てこもり事件が発生しました。容疑者は現在、銀行員を人質にしており、警察が交渉に及んでいます』


 銀行の周りを取り囲む大量のパトカーと、さらにその周りをうろつく何人もの警官達。その足はどれもやや速足で、事態がかなり緊迫しているのが窺える。耳に神経を集中すると、建物の中から甲高い声が聞こえた。きっと人質となった女性の悲鳴だろう。臨場感のある中継映像である。


「っっ——」


 瞬間、脳裏にあの時の光景が蘇ってくる。

 震える両手。荒れる呼吸。ぶれる標的。定まらない視線。極度の緊張と巨大過ぎる責任、そして若さ故に生まれた血気の勇が、俺の精神を大いに揺さぶり、判断を鈍らせる。


『————』


 そして放たれた弾丸。それはあまりにも軽率かつ早計によって撃たれたものであり、本来の役目を果たすことなく女性の足を撃ち抜き、鮮血を花火のように撒き散らした。


「——あぁぁぁぁ!」


 迫り来る恐怖と罪悪感の大波に呑まれる寸前で、俺はすぐさまリモコンを握り、テレビを消した。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………あぁくそぉ!」


 フローリングに全力の拳打をぶつけるも、自分の不甲斐なさに対する怒りは消える気配を見せず、俺は気が紛れるほどの痛みを感じ取るまで、何度も何度も床を殴り続けた。

 まただ。また最後まで見ることができなかった。また恐れを思い出してしまった。

また、壁を乗り越えることができなかった。


「ダメ、なのか……もう、本当に…………」


 わかっている。わかり切っている。今の自分が復職したとしても、きっと犯人を追うことはできない。犯人の写真を見るだけで、それに類似した事件を耳にするだけで、あの時の失敗と後悔を思い出してしまうのだから。危うく人質を殺してしまうところだったあの恐怖に、未だ囚われたままなのだから。

 俺は誰かから言って欲しいのだ。「まだやれる」と。それかもしくは「お前はよくやった」と褒めて欲しいのだ。どこまでも情けない思考である。この期に及んで他者からの赦しを願うとは、おこがましいにも程がある。

赦されるわけがないじゃないか。やり直せるわけがないじゃないか。罪を償うことすらも敵わず、おめおめと自分の殻に籠って、誰かがそとからノックしてくれることを待つだけの、他力本願な自分が。


「…………」


 うずくまり、歯を食いしばって全身の痙攣を抑え込む。やがて動悸が収まると、俺は玄関のポストを見に外へ出た。

 早朝六時半。太陽はようやく顔を地平線から出し始め、世界は暗闇から少しずつ解放されていっている。この夜とも朝とも取れない微妙な空が、俺は結構好きだ。今の自分の心情に合っているからか、渇望と挫折の狭間にいる自分と空を重ねているのか、きっとどちらかの理由だろう。一つも動く物体が見つからないこの時間を、単に楽しんでいるだけかもしれないが。

 気を紛らわすために思考を巡らせながら、俺は何もないであろうポストの取っ手を握る。


「——え?」


 だがその中には、意外にも一通の封筒が入れられていた。

 送り先はまさかの警視庁。この数か月間、何一つ連絡をよこさなかった職場が、今更俺に何の用だろうか。もしやすれば、いわゆる戦力外通告的なものかもしれない。


 ——もし本当に離職の勧めだったら、これを機に辞めよう——


 すでに保険として出来上がっていた決意を脳裏より取り出しながら、俺は封筒を開けた。


「……何だ? これ」


 しかし、その中身に書かれていた予想外の内容に、俺は困惑の声を漏らすこととなる。


『晴馬鋼侍殿。あなたを、警視庁秘密特務課への配属とする』


 警視総監の名前と印と共に、そう短く書き記された説明の紙。その裏には、迎えの人間との合流地点までが記された案内地図。意味不明な単語が並んではいるが、転属辞令と見て間違いなさそうだ。

 どういうことだろう。

 まだ休職中の俺に、仕事に関する手紙などが送られてくることは基本ないはず。それに『警視庁秘密特務課』なんて部署、一度も聞いたことがない。この数か月間で新しくできた部署と考えられなくもないが、それにしたって一体何の仕事をする部署なのか、皆目見当がつかない。


「しかも集合日が今日じゃないか。明らかに不可解過ぎるだろ、これ」


 かといって、誰かのイタズラとも考えにくい。それにもしこれが本物だった場合、俺は新たな仕事を始める義務がある。向かわなければ間違いなくクビだ。

 ——そう、クビなのだ。


「…………」


 いつ辞めろと言われても、受け止める覚悟はできている。あれだけのことをやらかした人間だ。今の今まで切られていないことが奇跡といってもいい。もし辞表の勧めが来れば、俺は甘んじてその厚意を受け取り、この場を去るだろう。

だがそれは逆に、自分から辞表を出す気はないということ。このまま大人しく、この場を立ち去りたくはないということだ。


『俺は——』


 自らの胸に問いかけ、真意を探る。俺は今何がしたいのか。何を果たしたいのか。何を成し遂げたいのか。


『——まだ、諦めたくない』


 そうだ。俺はここで逃げ出したくない。ここで諦めたくない。俺はまだ何もできていないのだ。懺悔も、償いも、邁進も。

 困っている誰かを助けたい。苦しんでいる誰かの支えになりたい。そう思ってこの秩序を守る世界に踏み込んだのだ。ここでトラウマだけ作って、リタイアしたくない。


「…………よし」


 俺は資料の真相を確かめるため、そして苦悶の鎖に縛られた自分を解き放つため、この場所に向かうことを決意した。


 ——この先に、世界を揺るがすほどの壮大な物語が、待ち受けていることも知らずに——



—————————————————————————————————————



作品を読んで下さり、誠にありがとうございます! 作者のタンボでございます。

今作は毎週金曜日に更新、または私の気分次第で臨時更新致しますので、是非とも気に入って頂けましたら、楽しみにお待ち頂けますと幸いです。

どうぞ、よろしくお願い致します。

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