第74話 妖刀の呪い
「正宗……! 私に力を貸しなさい!!」
制御出来なくなりエドワードに無期限で貸し付けた妖刀正宗、その柄をサーニャを握り締めた!
腕を通して頭に入り込む正宗の妖気が、耳ではなく心に語りかけてくる。
――殺セ。血ヲ吸ワセロ。寄越セ。斬ラセロ!
「あげるわ。死にかけの身体で良ければね。だから、コイツを殺して、正宗!!」
――血ダ! 血ダ! モットダ! 血ヲ吸ワセロ!
抵抗はせず正宗の精神支配に身を委ねる。
肉体の主導権は奪われ、思考は頭の片隅へと追いやられ、身体が勝手に動き出す。
ミシリ、ミシリ――とヒビの入った骨が軋むも、正宗に宿る怨霊に支配されたサーニャはもはや、痛みで動きが鈍ったりはしない。
「があああああああっっ!!」
「っ!?」
本来であればありえない、人体の仕組みを超越した動き。
仰向けの状態から下半身の力だけで起き上がったサーニャの様相は一変、頬を吊り上げ酷薄な笑みを浮かべながら、赤い瞳に狂気を灯す。
「がああああああああっっ!!」
――キィィンッッ!!
刃と刃が重なり、甲高い剣響が鳴り渡る。
「ぐぅ……これは……っ!」
「ぎゃはっ! ぎゃはっ! あああああっ!!」
今までで一番早く、一番重い一振りがライノルトの長剣に伝わる。
弾けない。流せない。鍔迫り合うも押し返せない。
あの死にかけのホビットのどこにこれだけの力があるのかと、ライノルトの乾いた額に冷や汗が伝う。
「がああああああっっ!!」
――ミシミシミシ
――ブチブチブチ
だがサーニャの肉体も無事とは言い難い。
正宗に肉体を支配されているサーニャは、人間が無意識化にかけている肉体のリミッターが機能していない。
故に超越的な筋力を発揮することが出来るのだが、同時にその動きに肉体が付いていけず、筋肉の筋が悲鳴を上げ、骨が軋み、内側からダメージが蓄積されていく。
だがサーニャは止まらない。
否、もはや止まることは出来ない。
正宗の支配から解放されない限り、サーニャは死ぬまで目に入る命を刈り取り続ける悪鬼と化す。
「確かにさっきより重く、早い……だが、貴様はもはや剣士ではない!」
「がああああああっっ!!」
ルビーのような赤色の瞳は、凝固した血のような赤黒い色へと変化し、孕んだ狂気は1秒後とに増していく。
傷口が開き血がしぶき、肉体を手放したサーニャが悲痛を訴えるかのように、骨と筋肉と内蔵が悲鳴を上げる。
「があああああああっっ!!」
ライノルトが剣を振るう。
サーニャは避けずに、その身を裂かれながらも前へ進む。
細腕に刃が入り、肉を裂きながら骨に当たり、骨の表面を刃でなぞられながらも切迫する。
そして――――斬ッ!
肉を切らせて骨を断つかの如き一撃を、ライノルトは卓越した足運びで回避する。
回避スキルではなく、剣の研鑽のみに人生の全てを注ぎ込んだ剣豪故に習得した身体能力が為した動き。
だがその回避も十全とは言えず、身が裂かれ血が迸る。
「ぐぅ……!」
「がああああああっっ!!」
サーニャの慟哭は止まらない。
ライノルトの目の前からホビット族の小さな身体が消え失せる。
次のフレームにはサーニャはライノルトの背後に出現しており、背に斬りかかる。
「ぬうっ!!」
だが超越じみたスピードにライノルトは対応して見せる。
刃をぶつけて受け止めるも、既にそこにサーニャはいない。
次は左。その次は右。
サーニャの全身の切り傷から流れる血が、正宗の超スピードに振り回され赤い軌跡の線を描きながら、ライノルトを追い詰めていく――
――かのように見えた。
「がっ!?」
「ただ早いだけ。ただ重いだけ。それはもはや剣ではない。野蛮な太刀筋で剣を穢すなっ! 貴様のような俗物はその辺の木片でも振り回して戯れていろ!」
早い太刀筋も、軌道が分かれば躱すことは容易い。
駆け引きなき重いだけの斬撃も、受け流して威力を殺すことは造作もない。
修羅と化してただ周囲の命を刈り取るだけの存在となったサーニャの剣は、2桁刃を重ねただけで、既に底が見えていた。
――斬ッ!
超スピードで動くサーニャの次の出現地点を読んだライノルトは、サーニャが出現したと同時に長剣をサーニャの胴に叩き込んだ。
右肩から左腰までを袈裟斬りにされたサーニャは吹き飛び、右腕が千切れ飛ぶ。
「がは……っ!?」
受け身も取れず背から床に叩きつけられるサーニャは、右腕の喪失感と共に、久方ぶりの正気を取り戻した。
「(はぁ……はぁ……正宗の支配がなくなった? 今、どういう状況……?)」
辛うじて動く首を動かし、残った右目で90度傾いた世界を観察する。
「(なるほど……右腕を丸ごと持っていかれて、それで正宗を手放してしまったのね……どうやら、大した時間稼ぎにさえ、ならなかったみたい……安易に逃げの選択をした代償が、片腕とは……高くついたわね……)」
切り落とされた右腕を見つけ、茫然としながらも事態を把握する。
「(私もここまでか……ごめんねエドワード、約束、守れそうもないわ……こんな身体になっちゃった。でも、腕が無ければもう戦わなくていいわよね。今度こそエドワードに子種を貰って、引退しようかしら……顔の傷、テティーヌが見たら悲しむかしらね。私は別に気にしないんだけど、やっぱエドワードは綺麗な顔の女の子の方が好きなのかしら……?)」
「貴様には失望した」
ライノルトは怒気を孕ませた声音で唸り、ゆっくりとサーニャへ歩を進める。
「貴様の剣は我輩には及ばなかったにせよ、洗練された剣士の剣であった。だが敵わぬと知るや野蛮な剣をがむしゃらに振る蛮族に成り下がるとは……貴様に剣を振るう資格などない」
「(はは……剣を振る資格ね……でもね、私……本当は剣なんか持ちたくなかった。可愛い服を着て、一日中本を読んだり、お友達とおしゃべりしたり、縫い物をしたりして人生を送りたかったのよ……そしていつか、結婚して……子供を産んで……戦いとは無縁な人生を送りたかった……剣なんて……剣なんて……どうして……私は……)」
サーニャの意識は薄れていく。
もはやサーニャに切れる札は無く、出血も酷い。
ヒビの入っていた肋骨は完全に折れて肺に刺さり、先の袈裟切りでその他の臓器もぐちゃぐちゃに損傷している。
喉奥から鉄の匂いが込み上げ、ごぼりと血を噴き出し、仰向け故に口内に残った血が喉へ逆流し、更にせき込み、胸が上下し肺に刺さった肋骨が更に食い込む。
白い柔肌を余すことなく赤く染めている。
「(どうして私……剣なんて握ってたんだろう……)」
そんな疑問と共に、サーニャの残った右目もまた、光を失った。
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