第73話 最強と剣豪
「わ は は は は は ! もっとだ! 人類最強! 貴様の剣、余すことなく我輩に魅せろ!」
「……このっ!!!!」
人類最強と剣豪枢機卿の剣戟が重なる。
刃と刃が重なる音はある種の心地よささえ覚え、見る者が見れば剣劇(けんのげき)と表現しても差し支えない戦いが繰り広げられる。
大ホールの中央。
2人は1歩も動くことなく、剣の応酬を重ね続ける。
既に2人の刃は幾十の回数交わり、3桁の域に到達し、すぐに200を超す。
加速度的に加速していく2人の世界は、刹那の狭間で戦況が移り変わっていく。
この速度の世界に入れる剣士は、もはやこの2人を置いて誰もいない。
――キンッ!
「(強い……! 私の人類最強というのは、冒険者を募るプロパガンダ的な側面を持つ一種の誇張表現だけれど、剣豪枢機卿のそれも、教会の権威を高めるための過剰な評価だと思っていた! でも違う! ダンジョンを攻略する総合能力で言えば負ける気はしない。でも小細工なしの一騎打ちに置いて、彼は私より格上……!!)」
とめどない剣撃。
片方が攻め斬り、片方が受け止める。
しかし次の瞬間には攻守が入れ替わり、片方が受け、片方が攻める形となる。
もしギャラリーがいてもどっちが攻めているのか、いつ攻守が入れ替わったのかを判別することは叶わないスピードの世界。
今この瞬間も、サーニャは刹那にも満たない隙を見つけて受けから攻めへと転じるが、たった30の刃を振るっただけで再び主導権をライノルトへ奪われてしまう。
「満ちる! 我輩の闘争への飢えが! 刃の頂きが見える!」
通常、剣を振るう際に遠心力を利用するのは重要な技術の1つだ。
しかしこの状況に関して、遠心力は邪魔にしかならない。
剣を振るい、振り切る前に筋力で無理やり遠心力を0に戻し、逆方向へと斬り返さなければ間に合わない。
1秒で10の剣撃が奏でられるこの世界。
しかしその一撃一撃が急所に当たれば必殺に値する威力を持ち合わせていた。
故に、一瞬の油断も出来ない。
今まで戦ってきたどの魔物よりも、ライノルトとの戦いが神経を衰弱させる。
サーニャの精神はこの状況下で刀のように研ぎ澄まされ、半分は勘で腕を動かしていた。
その勘がここまでサーニャを生きながらえさせており、同時にその勘がライノルトにプレッシャーを与えている。
――キィン!
剣撃が4桁に達する。
重なり、交わり、滑り、弾かれ、無理やり運動エネルギーの方向を反転させる。
火花が散り、剣風がホールの床や壁に切り傷をつけ、互いの刃が削れ、その破片も剣風に乗って肌を撫で斬るように飛んでいく。
一拍の間を更に一拍で刻んだ内の1つの隙で、サーニャの腕が浅く斬り撫でられる。
ライノルトの剣に付着した血液が、勢いよく振り抜かれたことで一滴残らず宙を舞い、そのいくつかが頭上を埋め尽くす天井画を赤く染めた。
「(ステータスでは私の方が上のはず。しかし剣の扱いは向こうの方が上。現状私は既に8割感覚で剣を振るっている。それでこうして膠着状態を生み出せているのだから、自分でも驚きだわ。そして削られていく神経の消耗も私の方が早い。であればこんなのを続けていけば私の方が先にくたばる……!)」
一瞬の隙が死に直結する戦いに置いて、スキルの発動は邪魔でしかなかった。
スキルを使えば否応にも動作補助が入ってしまう。
しかし今信用出来るのはスキルによる補助よりも、自分の経験と勘。
「(でも……私は剣士じゃなくて冒険者よ。潜り抜けてきた死線、そしてスキルの扱いであれば、私の方が上……!)」
故にサーニャはスキルを発動する。
「(【獣斬り】)」
【獣斬り】
獣属性の魔物に大ダメージを与えるスキル。
だがこれはエルフであるライノルトに対してはなんの効力も見せないスキル。
しかしこれは動作補助が発生しないスキルであり、サーニャの目的は獣斬りではなかった。
「はああああああ!!」
獣斬りはライノルトに弾かれ、弾かれた瞬間に再度振り下ろされる刃がサーニャの首を狙う――――!
「――!?」
ライノルトは感嘆に喉を震わせた。
レベル72を誇るサーニャの首を、一刀にて両断する威力を持つ切っ先が、彼女の首の皮と重なり――透過する。
ライノルトの剣は空気のみを裂き、勢いが削がれないまま振り抜かれる。
「(【残心】!)」
【残心Lv5】
消費MP60
スキル発動後に発動可能。1秒間あらゆる攻撃を透過する。
スキルレベルに応じてクールタイムが縮む。
クールタイム10秒。
1秒の間あらゆる攻撃を受け付けなくする侍特有のスキル。
日常生活においてはあっと言う間に過ぎ去る1秒。
しかし死と隣り合わせの死合いにおいて、1秒の価値はあまりにも重い。
刹那を更に細かく切り分けた単位で戦っている2人にとって、1秒とはもはや永遠に等しいとまで言えた。
「(【急所斬り】!!)」
剣柄を強く握り締めたサーニャは、ライノルトの首目掛けて刀を振るう。
そこに一切の躊躇はない。
刀が剣をすり抜け、ライノルトの首に触れる。
しかしライノルト振り抜く方向と同じ速度、同じ方向に滑らせるように首を動かし、サーニャの必殺を免れる。
首の皮1枚斬られただけのライノルトが、横に跳び退って距離を取った。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
「……ククッ、クカカッ!」
久方ぶりに訪れる剣を振るわない時間に、乱れた呼吸を整えようとするのはサーニャのみ。
対するライノルトは【残心】からの一撃で多少驚きを見せたものも、肉体精神共に疲弊した様相は伺えない。
「……不平等だな、これは」
「……は?」
乾きしゃがれたライノルトの声に顔を上げると、彼のエルフ耳が片方、半ばから切断されている。
先程の首への一撃を回避する際に、避けきれずに持っていかれたのだ。
だがライノルトの首にかけられた緑玉が輝くと、欠損した耳が生えていく。
同様に首の傷も塞がった。
対するサーニャに刻まれた細かな切り傷は、無数に重なることで無視できない出血量になっている。
「〝聖使徒の心臓(エンゼルズハート)〟ね」
「いかにも。だがこれは我輩が求める死合いではない」
ボルボルスが製作し、教皇より下賜された持続回復アイテムを、ライノルトは苛立たしげに引き千切ると、宙へ投げ、無数の斬撃によって切り刻み砂へと還した。
更についでと言わんばかりに、ライノルトは生えたばかりのエルフ耳を自傷行為でもって再度切断する。
大ホールに軟骨が合わせて2片転がる。
「どういうつもり?」
「言った通りだ。不公平であり、これでは死合いにならぬと。さぁ、続けるぞ」
普段は口を閉ざし、教皇の命にのみ剣を振るう教皇の剣――ライノルト・フロンタル。
しかしその本性は剣士との死合いに極上の快感を覚える戦闘狂。
死合いの末に、ついでに勝利が付属するだけであり、ライノルトの目的は勝利ではない。
生を削り合い、一瞬の隙が死に直結する死闘こそが、ライノルトの求める生き様なのだ。
故に自分の傷だけが一方的に癒される〝聖使徒の心臓〟は、彼の矜持を傷つける邪魔なものでしかない。
「我求めるは最強へ成ることに非ず。我欲するは最強を斬ること也」
「こっわ……教会は異常者の集まりなのかしらね……」
律儀に再生した耳を自分で落とす狂行に、ある種の戦慄を覚えるサーニャ。
だがライノルトと違って、闘争心を満たすことを目的としていないサーニャにとって、彼が自発的に〝聖使徒の心臓〟を捨てたのは僥倖と言えた。
「(時間の感覚が狂っていて、どの位の時間が経過したのか分からない。少なくとも体感時間よりかは短いと思うけど、早くエドワードの加勢に向かわないと……)」
一流の剣士同士の戦いに置いて、膠着状態は剣を切り結んでいる最中と同じくらいの緊張状態下にある。
相手の構え、四肢の動き、息遣い全てを観察し、同時に観察され、飛び込むタイミングを計り、同時に飛び込まれる警戒をしなくてはならない。
ライノルトの目的である足止めは建前に過ぎないが、サーニャにはエドワードと合流するのが主目的。
いつまでも足踏みしている場合ではなく、多少のリスクは承知の上で――仕掛ける!
「【空刃】――【斬炎万丈】――【月下氷刃】――【疾風刃雷】!!」
サーニャの刀身が様々な色に移ろ変わり続け、火、氷、雷の属性を纏った斬撃がライノルトへ飛来する。
斬撃が空気を熱し、冷やし、焦がしながら、剣豪枢機卿に襲い掛かる。
「ぬるい!」
ライノルトは別々の軌道を描く【空刃】を、剣撃を重ねるようにして相殺していく。
一分の隙もなくピッタリと剣筋を重ねたことで、余波の衝撃を与えることも許さず完全無効化される。
だがサーニャもここまでは想定内。
属性魔法を派手に付与した3つの斬撃は一方向から見れば重なり合っているように見え、その奥の小柄なホビットの身体を隠した。
飛び道具による攻撃は囮、本命の突貫攻撃がライノルトを襲う。
「【ダッシュブレイド】!」
サーニャの膂力とスキルによる追い風が加わり、研ぎ澄まされた刃がライノルトへ襲う。
だが特化型上級職である剣豪の領域に到達したライノルトにとって、1度に落とす斬撃が3つなのも4つなのも大した差ではなかったし、【空刃】の連続攻撃の末にサーニャ本人が接近してくることも想定の範囲内であった。
故にライノルトは剣を用いて難なくサーニャの刀を受け止める。
衝突し、衝撃が走り、ホールが響く。
しかしその揺れで2人の身体の軸が揺さぶられることはない。
「もっとだ! 1つ余さず曝け出せ! 貴様の剣を! その剣筋を! 技巧を! 研鑽の末に手に入れた魂を! 我輩へ献上しろ! 極上の剣で我輩を魅せ続けろ! 初めて顔を合わせたその時から、我輩は貴様と死合うことばかり考えていた!」
「この、ド変態がああああああ!!」
再び戦況は超接近戦へと切り替わる。
しかし今度は大ホール内を縦横無尽に駆け回り、その激しさは更に大きくなっていく。
剣響が鳴り渡り、時には壁をも足場とし、上と下の区別も曖昧になりながら、足場の存在しない空中でも容赦なく、幾々もの刃が度重なり、時に肉を撫で、血がしぶき、命を削っていく。
あまりにも剣撃が早すぎて、その軌跡が霧散する前に次の剣撃が飛び出すので、まるで1度に2度3度、同時に斬撃が発生しているとさえ錯覚を受ける。
――斬!
「ぐっ!?」
合わせて5桁の斬撃が飛び交った末、ライノルトの剣先がサーニャの餅のような顔肌を撫で斬る。
「(目がっ!?)」
それは額から目を通過して頬までを縦に斬り裂いた。
咄嗟に目を瞑ったものも、まぶたごしに左目が潰されたのを実感する。
剣士にとって片目が潰れるのは、片腕を落とされるのと同じくらい重い。
「このくそおおおおおおおお!」
「そうだ! 片目くらい捨て置け! その程度で鈍る剣ではあるまい! 人類最強はこんなものではないだろう!」
既に限界ギリギリであるサーニャにとって、片目を失う損失はあまりにも大きい。
しかしサーニャは【残心】などのスキルを駆使することで、なんとかライノルトの背を取ることに成功し、がら空きの背に渾身の一撃を見舞うのだが――
――キィン!
――それさえも防がれる。
ライノルトはまるで背にかけた剣鞘に得物を納刀するかのような動きで、サーニャの斬撃を見る事無く受け止め、そのまま上腕三頭筋に力を込めて、背を向けたままその剣を弾き返した。
一般的な剣術の型にはない受け止めかたで、力が入りにくい体勢だったにも関わらず、刀を含めれば20キロにもなるサーニャが宙へ浮かぶ。
挙句、ライノルトは遠心力を乗せた振り向き様の一撃を、宙に浮いたサーニャへと叩き込む。
サーニャは咄嗟に剣を構えて刃で受けるが、酷使の果ての酷使でついに無銘刀が半ばからぽっきりと折れた。
刀で受け止めたことで、多少勢いを弱めたとはいえ、まだ十分な威力を秘めたライノルトの斬撃が、サーニャの胴を切り裂いた。
――斬!
「がっ! ごっ! げっ!」
血を巻き散しながらホールの床を2転3転跳ね、ゴロゴロと転がりながらようやく制止した頃には、既にサーニャは死に体の様相であった。
【サーニャ】
HP800/5600
「かはっ……!?」
今まで何度も死の瀬戸際を体験した経験から、肉体の状況を分析する。
肺を含めた内臓は、衝撃を受けたものも損傷はない様子。
しかし肋骨が数本折れており、潰れた左目と折れた刀の件を加味すれば、とても戦闘を継続出来る状況ではない。
「(驕っていた訳ではない……彼は……剣に置いて誰よりも愚直で、真摯だった。私の完敗ね……もう、戦えない)」
何よりもう、彼女の心が折れかけている。
――ピシッ!
そんな時だった。
仰向けに倒れたサーニャの残った右目は、天井一杯に描かれた絵画に向けられている。
その天井にヒビが入ったと思うと、一部が崩れて瓦礫となってサーニャの身体に降り注いだ。
「けほっ……けほっ!」
サーニャの高レベルのステータスであれば落ちてきた瓦礫などとHPを削るには至らない。
大きな瓦礫が地肌に直接当たって掠り傷をつけるかどうかといった程度。
だが舞い散る粉塵が肺に入って咳き込み、それが折れた肋骨を圧迫する。
「これは……正宗……? 上で、エドワードが戦っているのね……?」
瓦礫と一緒に身に覚えのある一振りの刀が、サーニャの脇に落ちてくる。
真上は丁度大聖堂最上階、謁見の間。
その天井の一部に穴が空いて、エドワードが持っていたはずの正宗が落ちてきたと言うことは、彼もまた苦境に立たされているのだろう。
「(このまま私が死ねば、ライノルトは階上の教皇に加勢しに行くでしょう。私とエドワードは戦闘スタイルこそ差異あれど、ステータスはほぼ同じ。彼にはまだクナイがあるとはいえ、ライノルトと教皇を同時に相手して勝てるとは思えない)」
「これで終わりか? まだ我輩の飢えは満たされておらぬ。立て、人類最強。人類最強は、同じ人間に負けないからこそ人類最強なのであろう?」
「無茶言ってくれるわね……」
致命状態には陥っていないとはいえ、既にサーニャの疲弊は著しい。
これ以上の戦闘継続は不可能に近い。
「(でも……タダでは死なない……例え相討ちになろうと、エドワードの元へは行かせない!)」
サーニャは瓦礫と共に降りてきた天啓の閃きに、最後の望みをかける。
それは教会の者がすがりつく神頼みではなく、悪魔に魂を売り渡す所業に近い。
しかし、教会を毛嫌うサーニャにとって、その行動はまさに様になっていると言えた。
「正宗……! 私に力を貸しなさい!!」
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