第70話 幼聖女
――15年前。
アルティアナ・アベール、当時13歳。
「よっ、アルティアナちゃん。随分と熱心にお祈りしてるみたいだけど、何を祈ってたんだい?」
「……別に。祈りの時間が退屈でぼんやりとしていただけです」
大聖堂の一角にある聖騎士団の宿舎。
昼食後の祈りの時間、面倒でただ無心で目をつむっていたらうたた寝をしていた。
周囲を見れば彼女に声をかけた直属の上司である分隊長、当時28歳のアイザック・アイスバーン以外の隊員は食堂を後にしていた。
「相変わらずアルティアナちゃんは生臭だなぁ」
13歳で聖職者として神に身を捧げることになった彼女が、最初に配属されたのは第4聖騎士団。
各教区の騎士の手に負えない案件などの要請に応じて出動する治安維持部隊であり、教会が背教者と定めた者を、教会が独自の方法で裁くため、王宮の憲兵より先に身柄を抑えたりなどもする、教会独自の秘密警察めいた業務も担当している。
アルティアナの生家であるアベール家は代々、中央教会に籍を置く聖職者の家系であると同時に、優れた継承ステータスを持っていることもあり、13歳という若さで中央教会の聖騎士団に任命されたのであった。
「アルティアナちゃんは可愛いし綺麗な金髪だし、なのにこんな生臭坊主で人生を無駄にするのはもったいないよ。これは母神から与えられた祝福なんだよ」
「余計なお世話です」
今でこそアルティアナは狂信の騎士と畏怖される、中央教会きっての敬虔な神の僕(しもべ)であったが、当時は彼女の方が偏屈の騎士と言われてもおかしくない、不敬虔な少女であった。
逆にアイザックは現在の様相を知るものからすれば、別人と表現しても差し支えない誠実な青年だった。
「アルティアナちゃんはさ、何かしたいこととかないの? 他に配属されたい部署とかあったら、おじさんが口添えしとくよ。こう見えて結構コネがあるんだよね」
「結構です」
「第3聖騎士団とかはどう? アルティアナちゃんは剣の才能もある中央教会期待のホープだ。将来は騎士団長も夢じゃないよ」
「第3? 危険なダンジョンに潜って殉職するのはごめんです。もっと楽で、なんなら何もしなくても給料が発生する仕事がしたいですね」
「たはは……13歳の発想じゃないよ……」
「若者に説教して充実感を得たいのは分かりますが、私以外の者にしてください。失礼します」
面倒くさい上司に説教まがいなことをされて気を悪くした彼女は、席を立って食堂を後にしようとする。
しかしアイザックは縋りつくように呼び止めた。
「ちょっと待ってよ、アルティアナちゃん」
「はぁ……なんですか?」
「君は神の存在を信じていないのかい?」
「そうですね。正直に言えば、全く」
彼女が聖職者となったのは、両親がそうだったからであり、そのコネクションで安定した職につくことが出来たからであり、神のために身を捧げるためではない。
故にほどほどに頑張りほどほどの地位になったら、面倒な仕事は全部部下に任せて自分は楽をして生きようとする、そんな思想の少女であった。
「神様じゃなくてもいい。それ以外の存在であったとしても、人生の支えになるもの、もしくは人生の支えになってあげたい存在が出来たら、きっとアルティアナちゃんの人生はもっと楽しいものになると思うな。家族でも恋人でもさ」
「あなたの価値観を押し付けないでください。不愉快です」
「ま、君はまだ13歳だし、人生これからだからね。今の助言は頭のどこかに置いといてさえくれればいいよ」
そういってアイザックはアルティアナの頭を撫でる。
「やめてください。セクハラですよ」
ぺしん、と彼女は頭部に乗った上司の腕を振り払った。
「ご、ごめんね……おじさんそういうのに疎くて……そっか、頭触るのもセクハラになっちゃうのか」
「あと自分のことをおじさんと形容することで、己が世間の価値観と乖離していることの免罪符として使うのも不快ですのでやめてください。それに隊長はまだ20代でしょう? 自分がおじさん代表かのように振る舞って、世の中の20代男性をおじさん扱いするのもやめてください。あなたの一挙手一投足が私の気を損ねます」
「たはは……ごめんよ」
「では今度こそ失礼します」
今度こそアルティアナは食堂を後にする。
その次の日から、彼女は伸ばした前髪を頭頂部付近で結ぶ髪型で人前に出るようになる。
アイザックに頭を撫でられたことが癪に障り、撫でにくい髪型にするためであった。
しかし彼女のそんな対策もしばらくの後に無為に終わる。
アイザックは人事異動を言い渡され、王都の外、寂れた田舎町である地方教区に転勤させられたからであった。
風の噂で聞くには、彼が擁立していた教皇候補が選皇戦に破れ、新教皇によって中央教会から追い出されたらしい。
アイザックが推していた教皇候補は、前教皇の息子ピエールカ・ルカノーヴァ。
対して実際に教皇に選ばれたのは、その双子の弟ラグールカ・ルカノーヴァであった。
こうして15年後に〝聖使徒計画〟を企てることとなるラグールラ教皇の時代が始まるのであった。
■■■
「アルティアナ・アベールに達する。本日をもって貴殿を新設される小聖女聖騎士団への配属を任命する」
何に対しても無関心、不干渉を指針に掲げて生きる無気力な少女。
怠惰なる騎士アルティアナに人生の転機が訪れたのは、アイザックの地方教区への左遷から2年後――今から13年前の15歳の時であった。
第4聖騎士団で下積みを終えた彼女が次に配属されたのは、新たに誕生した小聖女マリアンヌの護衛のために発足した、小聖女聖騎士団であった。
小聖女聖騎士団はいわば、次代の聖女を守護する騎士団であり、小聖女が聖女の座を継いだ後はそのまま聖女聖騎士団になることを意味する。
一握りの者しかなることが叶わない、エリート中のエリート騎士団であった。
彼女が15歳という若さで選抜されたのは、代々聖職者の家系で信用の出来る家柄であるという事と、教会が優遇する金色の髪に整った顔立ちを携えていた事、そして中央教会の聖騎士団の中でも若輩者であるという点が評価された末の人事であった。
小聖女はまだ新生児。
マリアンヌが聖女になってからも彼女の騎士であり続けるためには、可能な限り若い方が良い。
そういった様々な事情を加味した結果、彼女にお鉢が回ってきたという次第であった。
「……どうして私が赤ん坊の世話なんぞを」
しかしアルティアナはその人事に対し非常に不服であった。
小聖女聖騎士団と言えば中央教会きってのエリート、否が応でも顔が広まり角が立つ。
それに格式ばった堅苦しい風潮も彼女からすれば御免蒙りたいものであった。
それに子供の世話という、明確なマニュアルが存在せず、臨機応変に対応しなければらない仕事である点も億劫であった。
何より彼女は我慢が出来ずに泣きわめくことでしか自己を主張できない子供が好きではなかった。
挙句の果てに、マリアンヌの身に何かあった場合、その責任を取らされ一族郎党腹を切るくらいのことをさせられてもおかしくない。
けれどもそんなアルティアナの憂鬱も、マリアンヌが成長してその美貌を少しずつ身につけてくると同時に、解消されることになる。
マリアンヌ・デュミトレス、3歳。
アルティアナ・アベール、18歳。
アルティアナの顔から幼さが抜けていき、美少女から美女へと転換していく頃。
「あるてあなー、えほんよんでー」
「はいはい、分かりましたよ」
厳選された美の遺伝子を、1000年間もの歳月をかけて積み重ねてきた聖女の血統。
3歳の幼女にして既にその片鱗を見せる愛らしい幼女、マリアンヌが覚束ない足取りでアルティアナの元にやってきて本の朗読をせがむ。
この国に生まれたものであれば、必ず1度は聞いたことのある有名な冒険譚。
ダンジョンの中の魔物に囚われた姫君を、1人の英雄が救い出す物語。
「おもしろかったー!」
もう何度も読み聞かせているにも関わらず、マリアンヌは毎回集中してアルティアナの朗読に耳を傾け、楽し気に笑う。
「それはようございました。マリアンヌ様もやはり、いつか素敵な英雄様と結婚したいとお思いですか?」
膝の上に乗るマリアンヌに問いかける。
彼女の胸に頭を預ける幼女は、首を持ち上げてアルティアナの顔を見ると、ふるふると首を横に振る。
「左様でございますか」
「うん。だってもうマリアンヌには、あるてあながいるもん! あるてあなはマリアンヌのきしさまだから!」
「マ、マリアンヌ様……っ!」
その時アルティアナの中で今までの価値観が崩れ去り、雷に撃たれたかのような衝撃が走る。
アルティアナはマリアンヌのいじらしいまでの愛おしさに感情を揺さぶられ、恋に落ちた。
「(な、な……なんだこの可愛すぎる生物はああああああああ!?)」
他者に対し庇護欲をそそらせるのもまた聖女の血統のなせる技か、怠惰なる騎士アルティアナは、その日を栄えに己の人生全てをマリアンヌに捧げることを決意したのであった。
それからマリアンヌは人が変わったかのように熱心に仕事に打ち込むことになった。
小聖女は教会が崇拝する母神の現し身、教祖デュミトレスの末裔である。
すなわち小聖女にも母神の血が受け継がれている訳であり、小聖女を崇拝するということは、神を崇拝することでもあった。
アルティアナはその日から狂信的なまでにマリアンヌを溺愛し、やがて狂信の騎士とまで呼ばれるまでになる。
献身的にマリアンヌの世話をし、教育を施し、立派な聖女となるべく彼女を見守り続けた。
こうしてマリアンヌが6歳、アルティアナが21歳の時、彼女はその若さで小聖女聖騎士団の騎士団長に任命される。
マリアンヌを守護するために時にはダンジョンに潜りレベルを上げ、実力共に騎士団長に相応しい聖職者へとなるアルティアナ。
それと同時にアルティアナは思い知ることとなる。
教会内に蔓延る汚い権力争いの様相と、小聖女に迫る数多の敵の存在に。
聖女との子を作った者の家系は、必然的に教会内で発言力を高めることとなる。
マリアンヌは聖女ラファエラ・デュミトレスと、教皇ラグールカ・ルカノーヴァとの間に出来た子であったが、教会内ではそれをよく思わない派閥も存在する。
いわゆる非教皇派閥である。
そういった者達に小聖女が暗殺されれば、聖女は再び小聖女を産み直す必要があり、その際また別の男性と子を成す可能性も出てくる。
聖女は結婚が許されておらず、小聖女を妊娠する際は、その時に最も次の聖女を作るに相応しいものが性行為の相手に選ばれる。
故に自分の血を聖女の血統に織り交ぜたいがために、小聖女の命が狙われるリスクが存在していた。
「(マリアンヌ様は私が命に代えてもお守りせねばならない。そして他の者が文句のつけようのない立派な聖女様となってもらうため、時には厳しく接する必要があるだろう。例えマリアンヌ様に嫌われても、私はマリアンヌ様を立派な聖女へと育てる義務がある……!)」
その決意に胸に秘めてから、アルティアナのマリアンヌへの態度は一変し、厳しいものとなる。
全ては権謀術数が渦巻く教会で、マリアンヌを守るために。
「アルティアナ、今日も本を読んで!」
「マリアンヌ様、言葉遣いがなっておりません。改めくださいませ」
「アルティアナ、もうお勉強疲れましたわ……」
「いけません。祝詞の暗唱が出来るようになるまでは休憩も許可できかねます」
そういった厳しい教育も祟り、だんだんとマリアンヌはアルティアナに反抗を見せるようになる。
「わたくしもう、アルティアナが口をつけたものを食べたくありませんわ」
「そうは仰いますが、万が一毒が盛られている可能性を加味すれば、毒味は必須となります故、ご理解下さいませ」
「そうは言ってもマリアンヌ、お皿の縁までぺろぺろ一周して舐めまくるではありませんか! 汚いですわ!」
「食事ではなく食器の方に毒が盛られている可能性もございます。ご理解ください」
「アルティアナ、わたくし、ダンジョンに行ってみたいですわ」
「そうですね。もう少しレベルが上がれば身を守る術が増えるかと思います。小聖女聖騎士団を招集いたします故、明日にでもいかがでしょうか」
「そうではありませんわ! あんな大量の護衛に守られながらダンジョンに潜っても全然ワクワクしませんわ! わたくしは血肉湧き上がる冒険がしたいのです!」
マリアンヌは冒険譚や英雄譚を愛読するようになり、実際にダンジョンに潜りたがるきらいがあった。
しかし常に死が隣り合わせにあるダンジョン内に、マリアンヌを1人で送りこむことなど許可できるはずもなかった。
「許可できかねます」
「もう! アルティアナのバカ!」
「(マリアンヌ様もすっかり私のことを鬱陶しく思われるようになってしまった。しかしそれも全てはマリアンヌ様のため。きっとマリアンヌ様にとって、囚われの姫君を助けに来る英雄は、もはや私ではないだろう。それでも、それがマリアンヌ様のためなれば……私は例えマリアンヌ様に嫌われようと構いはしない)」
アルティアナの人生は、マリアンヌのためにあったと言っても過言ではなかった。
マリアンヌの幸せはアルティアナの幸せであり、マリアンヌの苦悩もアルティアナの苦悩であった。
死の瀬戸際に立たされたアルティアナは、今までの人生を振り返る。
しかし浮かび上がるのはマリアンヌのことばかりであった。
「あるてあなーごほんよんでー」
「はい、マリアンヌ様」
「あるてあなはわたしのきしさまだから!」
「ええ。私はマリアンヌ様だけの騎士でございます」
「アルティアナ、わたしが寝るまでそばにいてね?」
「承知致しました、マリアンヌ様」
「アルティアナ! わたくしも魔法が使えるようになりましたわ! これからはわたくしがアルティアナの傷を治して差し上げますわ」
「それはなりません。マリアンヌ様の魔力は崇高かつ高貴なるもの、わたくしめのような身分の者に使ってよい代物ではございません」
「アルティアナ、お勉強はもう疲れましたわ」
「なりません。そんなことでは立派な聖女にはなれませんよ」
アルティアナ。
アルティアナ。
あるてあな。
アルティアナ。
アルティアナ。
マリアンヌの玲瓏な声音が、アルティアナの耳に心地よく溶け込んでいく。
そして最後に浮かびあがる光景は、61層の階層主、ミノタウロス・ウルの一撃からマリアンヌを庇った時のこと。
「……マリアンヌ様……わたしのことは構いません……早く、脱出なさって下さい……」
「喋らないで! 血が沢山出てますわ……」
「ふふ……わたしのために、泣いて下さるのですね……こんな、口うるさい、いつもあなたを縛り付けているわたしを……」
――そうか。マリアンヌ様は、こんな私のために泣いてくださったんだな。
「そうだよ。だからアルティアナちゃんが死んだら、小聖女様が悲しむ」
夢見心地の走馬灯。
その最後に現れたのは、果たしてどのような因縁なのか、アイザック・アイスバーンであった。
それは洗脳魔法の残滓がそうさせたのか、もしくは潜在的にアイザックの存在が大きかったのか。
「君は強くて、綺麗で、誰よりも優しい。だからこんな所で死んじゃダメだよ」
「黙れ。私の中から出ていけ下郎。私の思い出を汚すな!」
「君の狂信は、ただ自分に酔うための崇拝ではなく、小聖女様のための献身の末の崇拝であることをオレは知っている。ここで満足して綺麗な思い出の中で死ぬことは、他でもない、狂信の騎士アルティアナ・アベールが許可しないはずだ」
「知ったような口を聞くな! どちらにせよ私はもう死ぬ。渾身のファナティックキャリバーがゴーレムに通用しなかった今、私が死ぬのはもう時間の問題だ」
「いや、剣はまだ折れていないはずだ」
アイザックはゆっくりとアルティアナに近づき、ほっそりとした彼女の首に何かをかけた。
それは緑色の宝石のついたネックレス。
最後にアイザックは彼女の頭をそっと撫でる。
「どうか小聖女様を、斯くあるべき姿で、斯くあるべき場所を連れていってあげてくれ」
その光景を最後に、彼女の世界は光に包まれ、やがて――
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