第62話 忍VS剣豪
「(歩行の際に身体の軸が全くブレていない。ステータスだけでなく、素の身体能力が達人の領域にある……)」
ライノルトはテティーヌの尾行に気付いていない。
そのはずなのに、彼の背中を見ているだけでプレッシャーが突き刺さることに戦慄を覚える。
だが相手が格上だからと言って追跡を諦めるような工作員ではない。
テティーヌは細線の注意を払いながら、ライノルト・フロンタルの背を追い続けた。
やがて辿りついたのは、催事の際に使われるであろう大ホール。
ここも大聖堂の例に漏れず、綺麗に磨かれた石床や、高い位置にある窓から差し込む陽光が荘厳な雰囲気を醸し出している。
壁面や天井部には華美な装飾がされているものも、床面には何も置いておらず身を隠す場所がない。
しかし【隠密】スキルを持っているテティーヌからすれば関係のないことだ。
――そう、思っていた。
「……仔猫が1匹逃げ出したと思えば、ネズミが入り込んでいるとはな」
「っ!?」
無言を貫き通していたライノルトが、ゆっくりと口を開く。
低くくぐもった、乾燥した声音であった。
その声を聞いた次の瞬間、テティーヌの首に剣閃が走る!
「【空蝉】!!」
ライノルトが放った居合の一撃がテティーヌに届く直前、数メートル後方へ転移すると同時に、さっきまでいた場所に木の幹が出現し、真っ二つになる。
「……はぁ、はぁ」
冷や汗が止まらない。
全く見えなかった。
直感で回避スキルを使っていたが、あとコンマ1秒でも遅れていればテティーヌの首は落ちていた。
そう実感させられ、それだけで2人の実力差を分からせられる。
「ブラックロータスの間者だな」
「さぁ、どうでしょうね」
確信を持って問いただすライノルトの言葉に、無駄と分かっていながらとぼける。
「(彼の二つ名、剣豪枢機卿の名は伊達ではない。剣の腕のみで教会の最高幹部にまで成り上がった傑物。私では、絶対に勝てない……!)」
ライノルトの職業は、彼の二つ名にも含まれている〝剣豪〟。
剣士職を達人レベルにまで鍛え上げた末に獲得できる特化型上級職である。
だが特化型上級職を持っている人物は限りなく少なく、この国で存命している剣豪職はライノルトのみ。
それだけなるのが難しい職業なのである。
テティーヌも剣士と盗賊の複合型上級職である忍者の身ではあるが、同じ上級職でも複合型と特化型では天と地ほどの差があると言っていい。
「(ダンジョンを攻略するために必要な総合能力値で言えばサーニャ様の方が優れているのは確か。しかし、単純な一騎打ちであれば、サーニャ様でも果たして……)」
自身の主であり絶対の忠誠と尊信を抱いているサーニャを比較対象に持ち出してもなお、勝てるかどうか分からないとさえ言わせる実力、それがライノルトにはあった。
現に今、回避したにも関わらず首に違和感を覚えるテティーヌ。
回避したにも関わらず、死を錯覚させられたことに戦慄を感じざるを得ない。
改めてライノルトの外装を確認する。
見たところ鎧はアーティファクトではない一般的な金属鎧に見え、装飾品の類いは1つしか見受けられない。
首から下げた緑色の石が吊るされたネックレスのみ。
だがそれは、テティーヌに勝利を確信させる要素には足り得ない。
「三十六計逃げるに如かず!」
まともにやり合っても敵わないと判断を下したテティーヌは、左右の指を組み合わせて印を結ぶ。
「【土遁】」
忍者スキル【土遁】を発動し、テティーヌを中心に土煙が巻き上がる。
テティーヌは土煙に乗じて大聖堂を脱しようと企てる――ように見せかけ。
「――【奇襲】」
土煙の中で【隠密】スキルを発動して姿を消すと、ライノルトの背後を取り、懐に忍ばせたナイフを振るう。
「…………」
――斬!
しかしそれさえも察知していかのように、ライノルトは即座に抜刀すると腰を捻って背後のテティーヌの胴を裂く!
「(やはり【隠密】状態でも位置がバレている……だがそれも承知の上!)」
テティーヌの胴に剣線が引かれるものも、その姿は陽炎のように霧散する。
ライノルトに【隠密】が通用しないことを、先の居合で経験していたため、スキル【瞬歩】でもって再び元の位置であるライノルトの正面へと移動する。
「(剣豪に対し【隠密】が意味をなさない以上、ここで逃げても追いつかれることは目に見えている。であれば、足の筋一本切断させて貰う!)」
ライノルトは未だ腰を捻って背後へその剣を振るっており、正面ががら空きだ。
「【ダッシュナイフ】」
テティーヌは再び腰を落としてライノルトへナイフを振るう。
狙うは足の筋。深く刻めば部分的な致命状態を狙える。
そうすれば下級の回復魔法では癒すことが出来ず、逃げる確率は大幅に上がる。
――キィン!
「っ! これも防ぐかっ!?」
常人の域を達した体幹でもって、ライノルトは再度身を捻り、テティーヌの何重にもフェイントを張った末に繰り出された渾身の一撃を受け止めた。
だがテティーヌの手札もまだ尽きていない。
「【――2連】「――3連】!」
盗賊が序盤で獲得可能な攻撃スキル【ダッシュナイフ】だが、それはレベルを上げる度に連続発動可能回数も増えていく。
最大5回連続で発動可能なその汎用スキルでもって、縦横無尽に飛び回りライノルトの右側へ左側へと連撃を食らわす。
――キィン! キィン!
「この……っ!!」
だがそれら全てを長剣で受け止められてしまい、テティーヌの刃は通らない。
「……スキルに頼ってその程度、欠伸が漏れるぞ」
「【――4連】【――5連】!」
かっとなったテティーヌは残り2回ある【ダッシュナイフ】の連続発動を攻撃に使う。
だがそれさえも造作なく受け止められてしまう。
ナイフと長剣が重なり、ライノルトが剣を押し込む勢いを利用して飛び退ることで一度距離を取る。
「はぁ……はぁ……」
「…………」
ナイフを逆手で持って構え、しっかりとライノルトを見据えるテティーヌ。
対するライノルトは抜いた長剣を無造作に下ろしており、好きな所に打ちこんでこいと言いたげに佇んでいる。
「(ダンジョンの最先端に10年以上潜っている私が、近衛騎士に手も足も出ないなんて……複合型と特化型にそこまでの差が出るなんて……しかも、奴はまだスキルを1つも見せていない!)」
重ねてテティーヌは思い知る。
【ダッシュナイフ】での剣戟の間、ライノルトはテティーヌの攻撃を全て彼女のナイフで鍔迫り合うようにして防いだ。
彼の実力があれば、確実にテティーヌの身を切り裂けるはずなのに。
事実それは可能であり、ライノルトの脳内ではテティーヌは既に6回死んでいる。
そしてテティーヌもライノルトには及ばないものも、最高クラスのステータスを持っているため、ライノルトが本気を出せば既に6回は殺されていることを自覚する。
「(まずい……足が……震えて……)」
ダンジョン深層部で過去何度も死にかけたテティーヌでさえ、恐怖で身が竦む圧倒的実力差。
当初足の筋を切ってから逃げようと企てていたテティーヌだが、今はとにかくライノルトから距離を取りたくてたまらない。
本能が、逃げろと言っている。
「……来ないのか?」
「く……っ!?」
「いつから、私の尾行に気付いていましたか?」
「……先月」
「は?」
「……元聖女の謀りをコソコソと探っていた時からだ」
ライノルトはくぐもった声で答える。
その乾いた肌や髪はくたびれた中年にしか見えない。
だがその目ははっきりと、全てを見通していると言わんばかりに彼女を射抜く。
「なるほど……そりゃバレる訳ですね」
テティーヌは打ちひしがれる。
一流の潜入工作員を自称し、自分の手腕で元聖女を追放したと自負していながらも、まさかその全てを見透かされていたとは。
ざまぁない。無様さに恥じ入らずにはいられない。
「でも……あなたが対話に応じてくれて助かりました」
「…………」
――おかげで時間が、稼げたので。
「【土遁】!」
テティーヌを中心に土煙が発生する。
「……尻尾を巻くか、ネズミ」
こうなっては四の五の言っていられる状況ではない。
今までの人生で得た技能を総動員し、なんとしてでもこの場を脱する必要がある。
ライノルトへの問いかけで稼いだ時間でスキルのクールタイムを終わらせ、【土遁】【隠密】【空蝉】【瞬歩】【ダッシュナイフ】と、所持している回避系・移動系スキルを、ためらうことなく連続発動させる。
「……スキルに頼らねば逃げることも出来ない、か。所詮はネズミよ。であれば、我輩も見せよう」
ライノルトは土煙の奥にいるテティーヌを見定め、得物を納刀する。
手は長剣の柄に当て、ゆっくりと腰を落とし、目を閉ざす。
目を閉ざしている間、隠密状態を含めた周囲のあらゆる情報を把握する【心眼】の上位スキル、【真眼】及び――
「【秘剣】――――《絶剣》」
踏み抜いた石床が爆ぜる。
剣閃が床を抉るように刻み、深い傷跡の描きながら一直線に進む。
その剣技は刹那にも満たない速度で、音を置き去りにし、定めた対象を撫で刻む。
「きゃああぁ――!?」
剣豪が空を振り抜けば、陽炎が実体を得るかのように、隠れていたテティーヌが姿を見せる。
【隠密】が解除させられた。
彼女の背に深い刀傷が刻まれる。
けれどもライノルトの長剣に血は付着していない。
遠心力で付着した血を即座に振り払っており、大ホールに血が弧の字を描きながらこびりつく。
――チン
納刀。
再び大ホールが荘厳な静寂を取り戻した。
「……つまらぬ」
ライノルトが切り捨てたテティーヌに手を伸ばそうとすると、ガチャガチャと鎧を擦り合わせながらこちらへ向かってくる存在を察知する。
「な、なんだこれは……!?」
「フ、フロンタル卿!?」
大ホールにやってきたのは2人の騎士であった。
地下室で〝シスターズ〟の管理している部下ではない。
記章を確認すれば第2騎士団所属であることが分かる。
大聖堂内の警備を主な目的とする騎士団であり、歩哨の最中に大きな音が鳴り響き、大ホールへ駆けつけてきたのであろう。
「これはどういうことで? そこで倒れている者は……?」
「…………」
騎士は所属は違えど格上の階級に位置するライノルトへ畏まりながら、状況の説明を求める。
抉れた石床、そこから伸びる一直線に刻まれた深い傷、背を着られ死に体となっている女間者、見事なまでの弧の字型に伸びる振り血の跡。
戦闘が繰り広げられていたことは理解出来るが、なぜこのような事になったかまでは把握できない。
「…………」
「フ、フロンタル卿……?」
ライノルトは彼等の問いかけには答えず、身を屈めるとテティーヌを担ぎ上げる。
たった一撃で数代に渡って継承しているレベル51のHPを一瞬で刈り取られたものも、まだわずかに息がある。
しかし致命状態な上に出血も酷く、放っておけば死んでしまうだろう。
「……ネズミが入り込んだだけだ。身柄は第1で預かる。貴様等は持ち場へ戻れ」
「し、しかし……」
「…………」
食い下がる第2聖騎士団へ、今度は無言の睨みで返事をする。
すると彼等はライノルトの瞳に孕んだ覇気に当てられ、身を縮こませると前言を撤回した。
「はっ! 枢機卿殿がそう仰るのであれば!」
「持ち場に戻ります!」
教会騎士としての矜持を保てたのはここまでで、後はへっぴり腰で度々足をもつらせながら、2人の騎士は逃げるように大ホールを後にした。
ライノルトも身を翻し、テティーヌを運ぶ。
「…………」
その時ライノルトは、大ホールの高い位置にある窓から、1匹の鷹が飛び去っていくのを見た。
王都には生息していない、地方領主が道楽の獣狩りに使うような、調教次第で人間にも従順に従う鳥類。
大聖堂を離れていく鷹が見えなくなった後、ライノルトは1人呟く。
「……紛れ込んでいたのはネズミではなく忍だったか。大した女だ」
その言葉は誰にも届かずに霧散する。
それから数日が経過するも、テティーヌ・ブルーローズがブラックロータスのギルドハウスへ帰還することはなかった。
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