第60話 反撃の狼煙
イーストエンドと呼ばれる、王都の貧困者を一ヵ所に集めた貧民街。
昨日の大雨も嘘のように晴れ渡り、雨のせいで仕事にならなかった露店街の店員は、昨日の遅れを取り戻すように活気に溢れている。
「ここに来るのも暫く振りだな」
露店街を横目で冷やかしながら通りを進む青年がいた。
黒髪黒目でこれといった特徴のない青年であったが、鍛えられた体格に足運びから醸し出される雰囲気から、道行く人は自然と彼に道を譲る。
エドワード・ノウエンである。
「っと、危ないぞ」
「あっ、すみません……」
人で賑わう露店街ですれ違った少女が、昨日の大雨で出来た水溜りを踏みそうになっていたので、エドワードは少女の腕を引っ張ってそれを防いだ。
王都の舗装は殆どが石畳となっているが、イーストエンドでは土を踏み固めただけの舗装となっており、雨あがりなどは水溜りが多く発生してしまう。
「気を付けてな」
「はい。ありがとうございます」
「ものもついでに聞きたいんだけどさ、東区の6の11の202番地って知ってる?」
「番地までは知りませんが、6の11はあそこの路地を曲がった先がそうですよ」
「そっか。ありがと」
エドワードはついいつもの癖で少女の頭をひと撫でし、目的の住所目指して歩を進めた。
「しかし今日のデイリークエストはどうなってるんだ? 指定された住所へ行けと言われたが、それだけでいいのか?」
現在エドワードはイーストエンドを脱し中流層階級が暮す地区で下宿暮らしをしている。
そんな彼がなぜ再びこの地に足を踏み入れたのかと言えば……。
――本日のデイリークエスト
■王都東区6の11の202番地へ到着する(なるべく早く!)
といったデイリークエストメッセージを受け取ったからであった。
「まぁこれで今日のデイリークエスト終わるんなら楽でいいけど」
今日はすぐにデイリークエストが片付きそうなので、久しぶりにルカと一緒に食事でもしようと思い、道中でルカの所属する教会に顔を出してみたが、既にダンジョンへ向かった後とのことで入れ違いになってしまい、少しばかし残念に思っているエドワードであった。
「さて、この辺だと思うんだけども……なんだ、この臭いは……?」
地元民以外は立ち入ることのない貧民街の路地裏。
左右の建物に日光が遮られじめじめとしているのと、捨てられたゴミが原因で常に異臭を放っているが、ここは一際その臭いが際立っていた。
プリムスがデイリークエストを使ってまでここへ呼び寄せたのは何かしらの意味があり、この強い異臭とも関係があるのではないかとエドワードは判断し、臭いの方へ歩を進める。
「っ! 大丈夫か!?」
やがてエドワードは行き倒れている1人の少女を発見する。
身体が汚れるのも厭わず、咄嗟に少女を抱き起すが、意識はない。
汚水で黒く変色したローブとも呼べない襤褸(ぼろ)を纏っており、顔も髪も汚れているせいで、10代前半の少女ということしか分からない。
「マンホールが開いてる。臭いの原因はこれか? いや、この子もかなり臭いな。クリーン」
清潔魔法で少女の汚れを拭い取ると、泥の奥から白磁如き肌と金糸の煌きを放つ髪が姿を見せた。
襤褸も白く漂白され、まるで貫頭衣を纏った神の御使いのような神々しささえ感じる美貌の少女――
「ってマリーじゃねぇか!? こんな所で何やってんだ!?」
エドワードはその少女に見覚えがあった。
腕の中で死に体となっている彼女は、彼の記憶の中の少女よりも一回り小さい気がするが、それでも彼女は小聖女マリアンヌそっくりな顔をしていた。
エドワードは勘違いしており、明確にはマリアンヌではない。
彼女は聖女ラファエラを介し、小聖女マリアンヌを模して創造されたホムンクルスの1体、その7番目である。
大聖堂の地下室を便器の穴を通って脱出し、下水を伝ってここまで辿りついたものも、体力尽きていた所をエドワードに発見された次第であった。
「どうなっている。なぜ大聖堂にいるマリーがイーストエンドに。しかも下水を通ってここまで来たのか? クソ、分からねぇ」
「ん……ぁ」
「っ! マリー、意識が! ヒール!」
回復魔法をかけるも、致命状態になっているようでHPが全快しない。
7番は薄らと目を開け、黒髪黒目の青年を見て呟いた。
「エドワード……ノウエン……王子様……?」
憧れを抱く英雄の名前を呟いた少女は、再び彼の腕の中で意識を手放した。
■■■
「――で、ココに来たと」
「マリーにとって教会が敵か味方か分からない今、頼れるのはお前しかいなくてな」
「ん。そう……私しか、頼れないんだ。ふーん」
豊かな長髪を指先で弄りながら喜びを隠そうするも、もにょもにょと口元が緩んでしまい完全に隠しきれていないホビットの少女は、通称人類最強──サーニャ・ゼノレイ。
エドワードが7番を連れていった先は、ブラックロータスのギルドハウス内にあるゼノレイ邸だった。
マリアンヌに脱走癖があるとはいえ、たかだか遊びへ行くために下水道まで使うとは思えない。
故にマリアンヌの命が何者かに狙われ、逃げてきたのではないかと判断したエドワードは、彼女の匿い先にブラックロータスを選んだのであった。
「サラに見て貰ったけど、治療を施したから命に別状はないみたい。破傷風に罹ってたみたいだけど、それも彼女が治してくれたわ。今は疲れて眠ってるだけだって」
ゼノレイ邸の客間の一室。
エドワードとサーニャはイスに座り向かい合って会話をし、ベッドの上には治療行為の施された7番が安らかな寝息を吐いて眠っている。
「良かった……腕のいい僧侶がいてくれて助かった」
「そうね。ウチのサラは並の治療師より腕が立つわよ」
ギルドメンバーを称えられて誇らしげに胸を張るサーニャ。
サラは先のミノタウロス・ウル討伐作戦でもサーニャに代わって指揮権を預けられていたりと、サーニャからの信頼も厚いし乳もでかい。
「マリアンヌはかつて母親から命を狙われていたんだろう? もしかしたら今回もそのパターンだと思ってな」
「でも、小聖女を謀殺しようとした元聖女は終身に渡り幽閉され、元聖女派閥の中央教会幹部もまとめて王都外の地方教区の閑職に左遷させられたはずよ」
「ってことはまた別の教会派閥がマリアンヌを殺そうとしたってことか?」
「その可能性は高いわね」
「一体何枚岩なんだよあの組織……」
「汚い商売で利権を独占して外部に敵がいないから、内部抗争が絶えないみたいよ」
「まあおしっこを売りさばいてる点では汚い商売だけども」
中央教会は対立する内部派閥が複数存在している。
それらを教皇の権力でもって粛清して無理やり一枚岩にすると、有望な人材が一気にいなくなり運営が成り立たなくなるので、各派閥のパワーバランスを拮抗させる運営方針をもう何百年も取っていた。
サーニャから教会の内部事情を聞かされたエドワードは呆れてものも言えないと同時に、そんなものに13歳の少女が巻き込まれたことに憤りを覚える。
「さて、にしてもどうしたものか」
「エドワード貴様ああああああああああ!!」
「っ!? なんだっ!?」
――パリーン!
その時!
客間の窓ガラスが外からかち割られ、1人の侵入者が飛び込んでくる。
侵入者の腕には一振りのナイフが握られており、怨嗟の声を上げながらエドワードに飛びかかる!
「うおおおおお!? いきなりなんだ!?」
「やめなさいテティーヌ!」
「殺してやるぞこの害虫があああああああ!!」
エドワードは咄嗟にクナイを取り出し侵入者のナイフを受け止める。
鍔迫り合う相手の顔を見れば、ブラックロータスの副ギルドマスター、青髪が特徴的なエルフ──テティーヌ・ブルーローズであった。
「おいおいおい! いきなりどうした!? 落ち着けって!」
「サーニャ様の貞操を奪っておきながらよくもいけしゃあしゃあとブラックロータスの敷居を跨げたなあああああ! ぶっ殺す! 絶対にぶっ殺してやるぞおおおおおお!!」
「うおおお!? 力強っ!? 筋力差200あんのに押される!?」
「テティーヌ! お座り!」
「へっ! へっ! はっ、つい反射的に!?」
テティーヌはエルフ特有の冷たい美貌を憤怒に歪ませエドワードの首を本気で取りにいったが、サーニャの声に反応して股をM字に開いて両腕を床に付き、舌を出しながら跪いた。
日々の教育により、反射的にお座りの態勢を取ってしまう程の忠犬っぷりを発揮していた。
「狂犬かと思ったがかなりの忠犬っぷりだな……」
「……すぞ」
「うす。すんません」
取りあえずの危機は去り、エドワードはクナイをアイテムボックスにしまった。
「テティーヌ、どうしてエドワードを殺そうとしたの? 説明しなさい」
「だ、だって! サーニャ様の処女膜を破ったゲス野郎がのうのうと生きているなんて、そんな世の中耐えられません! ですからコイツを殺して私も死のうかと思った次第でございます!」
「落ち着きなさい。この前も言ったけど、一緒に寝ただけ。その……こ、子種は貰ってないわ」
「それでも変りありません! 私だってもう5年サーニャ様と一緒のベッドで寝たことないのに!」
「(5年前までは一緒に寝てたのか……)」
「それはテティーヌが寝てる私の髪の毛の匂い嗅ぐ所か興奮して涎でベトベトにしてきたからでしょ」
「涎は生理現象です!」
「でも髪の毛の匂い嗅いできたのはあなたの意思の弱さが原因でしょ。ロリコンは気持ち悪いから嫌いなの」
「んなこと言ったらこのゲス野郎もロリコンじゃないですか!? 小聖女だけでなく幼いシスターとも仲良さげにしていましたよ!?」
「ええっ!? 俺も!?」
「エドワードも……ロリコンなの?」
矛先がエドワードにも向けられ、サーニャは1メートルしかない背丈でエドワードを上目遣いに問いかける。
「いや、俺はロリコンじゃないよ」
「…………そ、そうなんだ」
「(なんでちょっと残念そうな顔なんだよ。どう答えれば良かったんだよ)」
ちなみにエドワードは年下に好かれるだけであってロリコンではない。
それでも年下に好かれる傾向にあるため、客観的にロリコン認定をされていることに違いはなかった。
そしてマリアンヌの騎士であるアルティアナや、サーニャの腹心テティーヌからはすこぶる嫌われており、年上からは嫌われやすい体質でもあるのであった。
「…………んっ、眩しい」
「っ! マリー、起きたのか!?」
テティーヌの乱入が騒がしかったせいか、ベッドで眠っていた7番が覚醒する。
7番は周囲を確認し、見慣れない場所に困惑を覚えるが、エドワードを見ると安堵したように落ち着きを取り戻した。
「……王子様だ」
7番はおぼつかない足取りでベッドから這い出ると、エドワードに倒れ込むように抱き付いた。
「うお!? なんだどうした!?」
「やっぱりロリコンじゃないかゲス野郎が!」
「や、やっぱロリコンなのね!」
「これは俺関係ないだろ! 落ち着いてくれマリー。まずは離れて何があったのか説明してくれないか?」
エドワードはゆっくりと腰にしがみつく7番を引き剥がし、ベッドの縁に座らせる。
「わたしは、マリーじゃない……7番」
「7番? どういうこと? それにいくらか背が縮んでいるように見えるわね。まさかエドワードのストライクゾーンに近づくために若返りの魔法を……!?」
「すまんがサーニャも落ち着いてくれ。この状況下で正常な人間が俺しかいないのは辛い」
殺意を放つテティーヌ。ロリコンネタを引っ張るサーニャ。性格と背丈が変っているマリアンヌと思われる少女。その3人をなんとか宥め、ようやく全員が正気に戻った所で、改めて7番の話に耳を傾け始めた。
――そして数十分後。
「だいたい把握したわ。問題は教会が〝シスターズ〟から集めた膨大な魔力を使って何をしようとしているかってことね……」
7番は産まれてからずっと地下室で暮らしていたため知識量や語彙が少なく、理解するのに時間を要したが、マリアンヌと〝シスターズ〟が置かれている状況をだいたい理解する。
「33番が小聖女であることには間違いないようね。そして7番は見事脱出を成功し、あなたの元へ訪れた。大したものだわ」
エドワード達が得た情報は以下の通り。
マリアンヌのクローンが無数に造られそれらは〝シスターズ〟と呼称されていること。
〝シスターズ〟はマリアンヌと同等のMPを持っており、その膨大な魔力を吸い上げられているということ。
マリアンヌもまた33番という名前で〝シスターズ〟と同等の扱いを受けていること。
マリアンヌの手引きで脱走した7番は、エドワードに助けを求めに来たということ。
肝心ななんのために〝シスターズ〟から魔力を集めているのか? そしてその首謀者が誰なのかということ。
けれども――
「マリーが酷い扱いを受けているって聞いて、黙って見過ごす訳にはいかねぇだろうが」
――エドワードがマリアンヌを救出するために立ち上がるには、十分すぎる理由が既に出来ていた。
「そうね。小聖女は元聖女と比べるのも失礼なくらい、人間が出来ているわ。それに王宮が今後もブラックロータスへダンジョンの攻略を強要し続けるのであれば、61層の時のように彼女の協力は必要不可欠と言えるわね」
「それに元聖女を追放させるために、小聖女聖騎士団とは一時的に手を結んだ間柄です。教会内部と繋がったパイプを維持するためにも、小聖女派閥は今後とも教会内で力を持って貰うのが、ブラックロータスの今後の利益に繋がるかと思われます」
サーニャとテティーヌも肯定的な意見を出す。
どうやら彼女達も協力してくれる模様。
「ブラックロータスが味方になってくれるならありがたい。でもいいのか? いくら教会が非人道的な行いをしているとはいえ、ブラックロータスが介入すると今後の関係に角が立ったりするんじゃ……?」
「構わないわ。むしろうまく行けば教会の弱味を握れるチャンスよ……ふふっ」
教会嫌いのサーニャは、今後の交渉材料になりうる事案に悪い笑みを浮かべる。
日頃よっぽど王宮や教会から不当な扱いを受けてことが伺える暗黒微笑であった。
「まずはテティーヌを潜入させるわ。お願いできるかしら?」
「大聖堂への潜入は元聖女を追放する際に1度行っております故、図面は把握しております。必ずや確固たる証拠を掴んで参ります」
「期待してるわ」
「御意に」
テティーヌは【隠密】スキルを発動してエドワード達の前から姿を消す。
「待ってろよ、マリー」
かくしてエドワードとブラックロータス共同による、小聖女及び〝シスターズ〟救出作戦が立ち上げられたのであった。
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