第57話 プリズンブレイク
マリアンヌが地下室からの脱出を計り1週間が経過したが、表立って生活模様が変化することはなかった。
魔宝石に魔力を供給する際は大人しくMPを差し出し、見張りの騎士がいない時は〝シスターズ〟に外の世界の話を聞かせたり、聖典の記述を引用した説教をしたり、祈りを捧げたりして過ごした。
騎士が忘れていった焼きごては部屋の隅に積み重ねているシーツの山の中に隠し、地下室を出入りしている騎士が紛失していることに気付いた様子は今の所ない。
マリアンヌが確保した焼きごての印刻は8であり、現在最も新しい〝シスターズ〟に振り分けられた番号が34であることから、まだ暫くはバレないのではないかと読んでいる。
かといっていつまでも悠長に地下室に籠り続けるつもりもなかった。
「この大きさならギリギリ通れるかもしれませんわ」
マリアンヌが発見した脱走ルート、それは地下室内にある便器だった。
彼女は地下室の壁沿いに仕切りもなくポツンと存在している便器に目をつけた。
地下室のトイレに便座はなく、床をくり抜いた穴に配管を通して下水へと続いている。
そしてその管は華奢な少女であれば通れなくもない幅であった。
「…………ふぅー」
現状、現実性のある脱走口はここしかない。
けれども文明的な生活をする人間が、排泄物を流す穴に入ることは愚か、顔を覗かせるだけでも嫌悪を抱くことは仕方のないことである。
それでも教会に身を置く者として、教会内部でこのような人道に反する行いを黙って見過ごすことなど出来ない。
「ふぅー……絶対臭いですわ……清潔魔法をかけ続ければなんとかなるかもしれませんが……いや……だとしてもこれは……お嫁に行けないのでは……」
「なにしてるの?」
「ひゃわっ!?」
背後から7番に声をかけられる。
マリアンヌは驚いて思わず便器の中に落ちそうになるのを、ギリギリ持ちこたえた。
「ナナちゃん、驚かせないでください」
「ごめんなさい……」
「いえ……ナナちゃんが驚かせようと思っていた訳ではないのは理解していますわ。わたくしの方こそ驚いてしまい申し訳ありません」
「それで、なにしてるの?」
7番はぽてんと首を傾げて尋ねてくる。
マリアンヌは丁度良い機会だと、他の〝シスターズ〟全員を招集し、脱出計画の話をする。
「わたしも外の世界行きたい」
「外にはもっと色んなごはんがあるんでしょ?」
「怖い大人に痛いことされないんでしょ?」
「王子様にも会ってみたい」
日頃の宣教活動のかいもあり、〝シスターズ〟は脱出計画について肯定的だった。
「ですが全員で脱走してはすぐにバレてしまいます。けれどもこの中から1人いなくなった程度では、恐らく彼等がすぐに気付くことはないかと思います。ですのでわたくしがまずお手洗いの穴を通って外に出て、助けを呼んで参ります」
「ここから外に出れるの?」
「嫌な臭いする所だよ?」
「ばっちいよ?」
〝シスターズ〟はトイレの配管を通ることに否定的であったが、その中で1人、7番だけが違った。
「わたしが行く」
7番は立ち上がり、マリアンヌの前に立つ。
「いえ、このような汚れ仕事を他の子に任せる訳にはいきません。わたくしがやります。皆さんはどうか、わたくしが無事外に出られることをここで祈っていて下さいませ」
「ううん。ダメ。33番は他の子より大きいから、この穴は狭いと思う。それに怖い大人にもいなくなったことがバレちゃう。33番以外が行くべき。だから、わたしが行く」
「ナナちゃん……」
7番の意見は最もであった。
だからこそマリアンヌは否定することが出来ず、辛い役目を押し付けてしまうことに申し訳ない気持ちになる。
「分かりました。どうか、わたくし達のためにお願いします」
「外に出たらどうすればいい?」
「……エドワード・ノウエンという方の場所を尋ねて下さい。きっと助けて下さいます」
教会内で誰が〝聖使徒計画〟に加担しているのか分からず、アルティアナを筆頭とした小聖女聖騎士団が奴らの手に落ちたと思われる現状、教会内部の者に助けを求めるのはリスクが大きすぎる。
しかし大聖堂で産まれ、大聖堂で育ったマリアンヌにとって、教会外部の人間関係はないに等しい。
そんな彼女が唯一、そしてアルティアナと同じくらい信用出来る外部の人間が、エドワード・ノウエンであった。
「それって、王子様の名前?」
「そうです。彼ならばきっと、わたくし達を助けて下さいます。なぜなら彼は、世界で1番優しくて、1番強い、最強の冒険者なのですから」
「わかった。外に出たら王子様に会いにいく」
「お願いします。ナナちゃん」
危険を孕む大役を担う7番へ、マリアンヌは慈愛を込めて抱きしめる。
「どうかナナちゃんが、無事エド様の元に辿りつけること、お祈り申し上げます」
すると他の〝シスターズ〟達も7番を取り囲み、抱き付いてぺろりと身体を舐めていく。
全員とハグを交わした7番は、改めて便器を向き合うと、穴へ足からゆっくり身を沈めていく。
石積みの隙間に指をひっかけ、慎重に下っていく7番の様相を、彼女達は姿が完全に見えなくなるまで見守り続けた。
「我らが母神よ、どうか彼女を見守り、その道を照らし、お導き下さいますことを畏み申します。祝福あれ」
「「「「祝福あれ」」」」
マリアンヌ倣い黄金の少女達も7番を思い神へ祈りを捧げる。
果たして彼女達の祈りは、崇める神に届くのか――
■■■
穴の中は暗く、異臭で満ちていた。
一寸先も見えない闇に包まれ、こびり付いている粘度のある水に何が混ざっているのか想像するだけで吐き気を催した。
それでも7番は壁に手を添え、穴を下り続ける。
「……一番下までついた」
やがて底まで辿りつくものも、光が届かず何も見えない。
次にどこへ向かえばいいのか分からない。
この穴はどこにも繋がっておらず、マリアンヌ達のいる地下室へ戻ることも出来ないのではないかと不安に駆られる。
衣服の代わりとして外套のように纏ったシーツも、既にドロドロに汚れてしまった。
「神様……助けて下さい。わたしを外まで導いて下さい。お願いします」
早くも挫けそうになる心を支えるために、指を組んで神への祈りを捧げる。
絶対に王子様に会いにいくとマリアンヌと約束したのだ。
7番は懸命に神へ祈りを捧げる。
するとどうしたことか、7番の組んだ指の隙間から光が漏れだす。
「なに……これ?」
組んだ指を解くと、手の平の上に白く輝く魔力光のような光の玉が浮いていた。
暗闇を照らす照明魔法である。
マリアンヌのクローンであり魔法の才能も引き継いでいたのが原因か、神への祈りが聞き届けられたのかは分からない。
けれどもその光で穴の底が照らされ、壁に下水へ続くであろう横穴が広がっていることを発見する。
「神様、ありがとうございます」
横穴は7番が這って進むことがギリギリ出来る大きさだった。
少女は横穴に頭を突っ込み、腹這いになって進む。
腕や腿、髪の至る所に汚水が付着し、肘や膝は石材に擦られ無数の切り傷が出来る。
切り傷に便尿が擦り込まれて染みてこれがまた酷く苦痛だった。
「痛いけど、痛くない……!」
まだ見ぬ外の世界を目指し、物語の中でしか知らない王子様に会えるのを夢見て、そして地下室で自分のことを信じて待ち続けている家族のことを思い浮かべ、7番は地の底を這い進んだ。
■■■
「外……じゃない」
横穴を這い進んで数十分。
7番を照らす光の玉が横穴の終わりを知らせる。
7番は横穴から抜け出すも、ここもまだ光の届かない穴の中だった。
少女の腰当たりまで汚水が溜まっているが、トイレ以外から流れた生活用水もここに行きついているようで、多少便尿の臭いが薄れていた。
「でも多分、ここが下水道って場所だと思う」
マリアンヌに指示された内容を思い出す。
なるべく下水道を通って大聖堂から離れ、地上へ続くハシゴを見つけたらそこから外に出る。
そしてエドワード・ノウエンという名の青年を探し出す。
まだまだ目標の半分も達成してしないことを認識する。
「大丈夫……きっと平気」
生まれてから〝シスターズ〟以外の人間を殆ど見たことがなく、かつ外の世界を知らない7番は、外にどれだけの人がいて、汚水の汚れが染み込み乞食めいた人間にどれだけの者が親切な対応をしてくれるのか理解していない。
だが知らないからこそ、彼女は悲観することもなかった。
「まずは、なるべく遠くへ行く。そして、ハシゴを見つけて外に出る」
マリアンヌからの指示を復唱しながら7番は下水をかき分けながら進む。
しかし計画を練り上げたマリアンヌに1つ、誤算があった。
階上の音が届かないマリアンヌは、地上の様相を測り知ることが出来ななかったこと。
そして運悪く地上では大雨が降っており、大量の水が排水溝を通して下水道へ流れていた。
「……音が聞こえる。大きくなってる……こっちに、来てる?」
ゴゴゴゴゴ――何かが迫る音が下水道の奥から響く。
手を伸ばして、手の平に浮かぶ光の玉で道の奥を照らす。
「……っ!!」
地上の雨が排水溝を通って、巨大な波となって押し寄せてきたのを7番は認める。
「やっ、こないで……!」
身を翻し迫る波から逃れようとするも、腰まで汚水が溜まった状態で素早く動くことはままならない。
7番は波に飲み込まれ、下水道の奥へ奥へと流されていく。
口や鼻に水が入り込む。
呼吸が出来ない。
意識が遠のく。
「(神様……!)」
少女は祈る。
それでも波は静まることなく、少女を下水の奥へと連れていく。
雨はまだ止まない。
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