第51話 洗脳魔法
――チン。
「助けてください!」
蛇腹扉が開くと同時にマリアンヌはエレベーターから飛び出し、先程会った番兵の姿を探す。
しかし先程までいたはずの人の良さそうな青年騎士の姿はなく、空中廊下は沈黙に包まれている。
心なし気温が低い。
呆気にとられていたマリアンヌだが、背後のエレベーターが上昇を始める。
アイザックが自分を捕まえるためにエレベーターを呼び戻したのだ。
「と、とにかく逃げないと……そうです、アルティアナなら」
日頃何かと規則にうるさい世話係ではあるが、マリアンヌに対する忠誠は誰よりも高く、その誠実さはマリアンヌもよく知っている。
マリアンヌはアルティアナの元へ向かうべく駆けだす。
「はぁ……はぁ……」
走り出してしばらく。
大聖堂内の調子がおかしいことに気付く。
大聖堂には中央教会所属の聖職者が多数勤めており、日中であればそれなりの数の聖職者と回廊ですれ違うはず。
にも関わらずまるで真夜中のように人気が無く、自分だけが世界に取り残されてしまったかのような孤独感に陥る。
「はぁ……はぁ……誰か、誰かいらっしゃらないのですか!?」
懸命に走っているにも関わらず体温は上がらず、むしろ吐く息は白く、真冬の早朝のように冷たい空気がマリアンヌの頬を撫でる。
閉ざされた扉に手をかけるも、そのことごとくが施錠されておりマリアンヌを拒む。
「やれやれやれ。見つけましたよ小聖女様」
「っ!? アイザック様……!」
「名前を覚えて頂けて光栄です」
ようやく人と出くわせたと思ったら、それは今一番会いたくない人物であった。
アイザックはこれまた大げさな手振りで一礼すると、腰を曲げたまま顔だけを上げて胡散臭い目をマリアンヌへ向ける。
「こ、来ないでくださいませ!」
マリアンヌは踵を返しアイザックに背を向ける。
彼の視界から逃れようと曲がり角に入る。
「満足するまでお付き合いしますよ」
「っ!? いつの間に……!?」
がむしゃらに走るマリアンヌを通せんぼするように、先回りしたアイザックが再び立ちはだかる。
その度にマリアンヌは来た道を引き返し違う方向へと逃げるも、行く先々にアイザックが先回りしており数分後、ついに突き当りへと追い込まれてしまう。
「鬼ごっこは楽しんで頂けましたでしょうか?」
「いや……近づかないでください!」
ゆっくりと近づいてくるアイザック。
彼を中心に冷気が溢れ、体温が奪われていくのを感じる。
「……鍵が、開いてる?」
マリアンヌは追い詰められたものも、突き当りは部屋になっており、更に施錠がされていなかった。
一か八かでマリアンヌは部屋に飛び込む。
しかし部屋の中の光景を見て、マリアンヌは絶句した。
「…………お、お母様?」
部屋は窓がなく圧迫感を覚える作りになっており、淡く灯された魔力光がぼんやりと室内を照らしている。
部屋の中央に置かれたイスに元聖女ラファエラがくくり付けられていたのを、マリアンヌは発見する。
「ど、どうしてこのような姿を……?」
ラファエラは服を着ておらず、背もたれが倒れたイスの上でM字開脚をするように手足を固定されていた。
全身には針のついた管が突き刺さっており、何らかの薬液が注入されているように見える。
その目に生気は宿っていないが呼吸で胸が上下しており、時おりビクリと痙攣しているのを見るに死んではいないらしい。
そして何より目を見張るのが――彼女の腹は子を身籠っているかのように膨れ上がっていた。
「……え? ……え? ……これはなんですの?」
マリアンヌとラファエラは頻繁に顔を合わせることはないが、少なくともこの前会った時は妊娠しているようには見えなかった。
にも関わらずここまで腹が膨れ上がっているのはおかしい。
更に追い打ちをかけるかのように、彼女を困惑させる光景が部屋の奥に広がっている。
ラファエラの背後には大きな円柱のケースが5つ設置されており、その全てが液体で満たされていた。
1番右のケースには生まれて間もないと思われる胎児がホルマリン漬けのように浮かんでいるが、呼吸しているのを見るにどうやら生きているらしい。
身体にはラファエラにされているように針のついた管が刺さっており、そこから注入されている薬液によって水中にも関わらず生命活動を可能としているのだと推測した。
隣のケースには3歳と思われる赤子が。
更にその隣には6歳の子供。
次は9歳。その次は12歳。
「……もしかして、これって」
左へ進むたびに大きくなっていく子供。
その顔立ちはだんだん見覚えのあるものになっていて、一番左のケースで眠っている12歳と思わしき少女の顔は――マリアンヌそっくりであった。
「これは……もしかして……お母様の子供? でも、こんな頻度でお母様が子を授かっていただなんて聞いていません」
「おやおやおや。どうされました小聖女様? お望み通りラファエラ様の元までご案内させて頂いた訳でございますが、何か気になさらないことがおありで?」
「っ!?」
背後から這い寄る冷気。
振り向かなくても分かる。
どうやらアイザックはただマリアンヌを追いかけていたのではなく、彼女をこの部屋に追い詰めるように誘導されていたことに、今になって気付いた。
「……これは一体なんですの? お母様はどうしてこんな姿になっていますの!? 水槽に入った子供は誰なのですの!? どうしてわたくしと同じ顔をしているのですの!?」
「まぁまぁまぁ。落ち着いて下さいな。1つずつ丁寧に説明差し上げたい所なのですが、結論から申し上げると、小聖女様がそれを知った所でどうにもならないと申しますか、あなたがそれを知る必要はありません。ただ、すこーし、ラファエラ様のように小聖女様にもご協力願いたいことがありましてね」
アイザックはマリアンヌの頭部へと腕を伸ばす。
「こ、こないで……リフレクト!」
マリアンヌは後ずさりながら魔法を発動するも、不発に終わる。
「ど、どうして……!?」
「阻害魔法です。この冷気を長時間浴びると暫くの間魔法が使えなくなります。体温が下がると手足が痺れて動きが鈍ってしまうでしょう? これは魔力器官を痺れさせる冷気なのですよ」
もう一歩、アイザックは前に出る。
もう一歩、マリアンヌは後ずさる。
「…………い、いや! 助けて! エド様!」
「エド? どなたですかそれは? まぁいい。さぁ小聖女様、怖がらないで。大丈夫、痛みはありません。これはこの国を救うために必要なことなのです。小聖女様、どうかその御身をお預け下さい。これは救済のためなのですよ。斯く在るべき役目を果たすのです」
壁際まで追い詰められたマリアンヌにもはや逃げ場はない。
ついにアイザックの右腕はマリアンヌの頭部を捉える。
「っ!?」
とても冷たい手だ。
彼女が尊敬する黒髪の青年の温かい手とは大違いだ。
歯をガチガチと鳴らしてしまうのは、果たして寒さが故か、もしくは恐怖か……。
「コールドマインド」
――凍(キン)!
アイザックが使ったのは洗脳魔法。
対象の頭部に直接触れる必要があるものも、成功すれば意識を刈り取り自身の言いなりにすることが出来る対人魔法である。
「…………」
マリアンヌはアイザックを引き剥がすために懸命に伸ばしていた腕を脱力させ、黄金の瞳は光を失い虚ろと化す。
「んじゃ取りあえず地下へ連れて行こうと思う訳だが、身に着けたアーティファクトが邪魔だな。おじさんが預かっておくからな」
アイザックはマリアンヌが纏う装飾品を全て回収し、ズボンのポケットにしまう。
洗脳魔法を施されたマリアンヌに抵抗の意思は見えない。
「よしよしよし。うまく掛かってるな。それじゃあおじさんに着いて来てくださいね」
マリアンヌは従順にアイザックに追従しラファエラが拘束されている部屋を後にする。
アイザックが洗脳魔法で人気を遠ざけた大聖堂の一角を進み、やがて地下へと続く扉の前に到達する。
「さぁ小聖女様、この中に入ってくださいね」
「……。…………ふはっ!!」
しかしマリアンヌは下り階段を1歩踏みしめた所で、黄金の瞳は光を取り戻した。
「あれ? わたくし、一体どうして……?」
「おいおいおい。こりゃ驚いた。阻害魔法で抵抗力も落としたはずなのに、まさかこんな短時間で洗脳魔法が解除されるとは……どんでもねぇ魔力抵抗値だ。流石は聖女の血筋だな」
「っ!? あ、あなたはっ!?」
「悪いが鬼ごっこの第2ラウンドは勘弁してくれ。実の所おじさんの阻害魔法はかなーり燃費が悪くてね、おじさんのさして多くない魔力を垂れ流しにして空間を冷気で包み込んでようやく完成する魔法なんだ。って訳で、少し手荒にいかせて貰いますよ……っと」
「きゃあっ!?」
マリアンヌは背中を蹴り飛ばされ階段を転がり落ちて行く。
階段の中頃でなんとか止まったが、全身を打ち付けられて起き上がれない。
「おい! 新しいジャリを連れてきたぞ! 運べ!」
「今行きます、アイザック副団長」
アイザックは階下に向かって大声を上げると、階段の下から2人の騎士が姿を見せる。
共に聖職者の鎧を着ているが、所属を示す記章はついていない。
「33番目だ。丁重に扱え」
「了解しました! ……しかし他の〝シスターズ〟より少し大きくありませんかね?」
「成長液から出すのを忘れて他の個体より1年程多く成長させてしまった。まぁ〝聖使徒計画(エンゼルズプラン)〟に支障はでねぇから気にすんな」
「は、離してくださいませ!」
アイザックの部下と思わしき騎士はマリアンヌを地下へ連れて行こうとするも、膨大な魔力量が幸いして洗脳の解けたマリアンヌは抵抗を見せる。
「あの……なんか他の〝シスターズ〟より人格があるのですが……まるで本物のような……?」
「それも成長液に漬けすぎたせいだ。どうせすぐ大人しくなる。いいから連れてけ」
「は、はい!」
先程までマリアンヌに見せていた恭しい態度とは一変し、部下を叱咤するアイザック。
果たしてどちらは素なのかは不明だが、無事マリアンヌが地下へ連行されたのを認めて一息つく。
「やれやれやれ。とんだお転婆姫だぜ。おじさん疲れちゃったよ、指かじかじだし……はぁ~」
自身の冷気に宛てられ凍えきった指先を擦り合わせ、息を吹きかけて温めながら、地下室を抜け大聖堂1階へと戻ってくる。
このまま次の計画へ移ろうとしたその時――
「アイザック・アイスバーンだな。マリアンヌ様をどこへやった?」
――カツーン。
大聖堂の床に、真鍮の軍靴が鳴り響く。
「おいおいおい……」
そこにいたのは果たして、13年に渡りマリアンヌに仕える小聖女聖騎士団が団長。
金の長髪を馬の尾のように括った女騎士――狂信の騎士アルティアナ・アベールがそこにいた。
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