第47話 62目の守護者
羊のような顔をした魔物の魔法によって強制転移させられたことまでは把握していたが、転移先の私がどこにいるのかを理解するのに数秒の時間を要した。
「……がぼっ!? がぼがぼかぼっ!?」
刺さるような目への刺激。
鼻孔に走る激痛。
肺に入り込む異物感。
鉛を埋め込まれたかのように、思うように動かない手足。
「(……ここは、水の中っ!?)」
ダンジョン内に湖のようなものが存在しない訳ではないが、非常に珍しいことには変わりない。
そして壁の中に転移させられたよりかはマシだが、それでも非常に厄介な所に転移させられたことには変わりない。
強制転移魔法を使う魔物を私は知っていた。
実際に見たことはないが、10年前の61層階層主討伐作戦が失敗し敗走する最中に、かつてのギルドメンバーがその魔物を目にしている。
当時の副ギルドマスター、テティーヌの父親はその魔物の強制転移魔法を受け、その後行方不明となっている。
つまり……そういうこと。
知識でのみその魔物の恐ろしさを知っていたが故に、なんとか私が身代りになることでエドワードを守ることが出来た。
恐らくエドワードのことだ、無事あの魔物を倒していることだろう。
まずは自分自身の心配をしなければ。
「(落ち着いて……闇雲にあがいても体力と酸素を消費するだけ……)」
水の流れに身を任せ全身の力を抜き、転移の際にリセットされた強化魔法をかけなおす。
「(【心眼】【パワーブースト】【精神統一】【スピードブースト】)」
亡き父の教えだ。
心研ぎ澄まし目を凝らさんとすれば、また刃も光を宿し、されどその身は凪の如く、疾風怒濤で打ち抜けば、正宗に斬れぬものなし。
例えそれが魔物の脅威から身を守るためでなくとも、その教えを忠実に再現することで見えてくるものがある。
水の中は闇に包まれていて何も見えないが、心眼を使えば周囲10メートルの情報を把握することが出来る。
「(少なくとも水深は10メートル以上あるみたいね。大丈夫、体力を温存しながらゆっくりと上へ登れば……)」
手に持った刀はもはや重荷でしかない。
武器を手放し両腕で水を掻いて上昇していく。
「……っ!?」
その時心眼が水中に潜む魔物の存在を捉えた。
「(水中で活動する魔物……!?)」
事前に察知することが出来ても戦況は最悪の一言に尽きる。
こちらには武器はなく、そして相手のホームグラウンドである水中戦。
私は呆気なく水中の魔物の攻撃を受ける。
「(腕が……っ!)」
心眼で特徴を把握するに、どうやら蛇のような形をした魔物らしい。
しかも半径10メートルある心眼の視野でさえその全長を捉えきることが出来ない程巨大だ。
「(もしやコイツ……62層の階層主……!?)」
大樹の幹のように太い身をうならせながら水中を移動し、鋭利な牙が私の右肩に齧りつく。
牙が肉に食い込んで骨まで砕こうとしてくる中、大蛇のような魔物は水中を移動しながら私を引きずりまわす。
「(腕を……斬るしかない……!)」
発生する水流に振り回されるたび、噛みつかれている腕が千切れそうに引っ張られる。
私は左手に魔力を溜め【空刃】を纏わせるが……諦める。
「(無理だ……ここは階層主のいる玄室内。腕を捨てて陸地まで逃げることが出来ても、コイツを倒さなければ玄室の外に出ることは出来ない)」
精神統一によって冷静になった思考が、これ以上は無駄な足掻きであることを告げてくる。
冒険者の家に生まれた時から、自分はダンジョンの中で死ぬのだという覚悟は出来ていた。
現実はおとぎ話のような格好いい死に方さえ出来ない。
バットエンドの冒険物語よりも呆気なく終わる。
どれだけレベルを上げてもダンジョンという巨大な死神は狡猾に、そして嘲笑うかのように冒険者の命を刈り取る。
「(人類最強ともてはやされていても、所詮はその程度ってことね……)」
抵抗を諦め階層主にされるがままに身を任せる。
「(パパ、ママ……1000年継承してきたゼノレイ家のステータスを、次代へ残すことなく死ぬことになってしまってごめんなさい。こんな悪い子じゃきっと天国にはいけないわね。元々神様だって嫌いだし……きっと私は地獄に落ちるわ……)」
『――――ャ! ――――ニャ!』
「(声が聞こえる……私を呼ぶ男の人の声? パパなの?)」
『――――ーニャ! サーニャ!!』
だんだんと、私を呼ぶ幻聴が鮮明になってくる。
それだけ死が近づいているということなのだろう。
酸欠になった身体は麻痺して逆に気持ちよくなってきて、噛まれている腕の痛みも薄れている。
『――サーニャ!! 死ぬな! サーニャ!!』
「(違う……これはエドワードの声。最後に聞く幻聴があなたなのね……私が思っているより、あなたのことを、好いていたのかもしれないわね)」
こんなことなら、例え子供を残せなかったとしても、子種、貰っておけばよかったわね。
お姫様になれなかった私だけど、あの夜だけは、私はただの女の子になれたのだから。
『サーニャ!! 今助ける!!』
――突!!
『ギャアアアアアアアアアアアア!?』
強靭なアゴで私を捕らえていた階層主の牙から解放される。
心眼で周囲を確認すると、何者かが階層主の瞳に刀を刺していた。
『サーニャ! 生きてるな! 生きているなら返事をしろ!!』
これは幻聴じゃない、念話魔法だ!
「(生きてるわ! エドワード!!)」
『上々だ! よく耐えたな!』
階層主から片目を奪ったエドワードは、私の身を抱えると水を蹴り上げ移動する。
『グギャアアアアアア!!』
しかし階層主が再び水中に引き込もうと、巨大なアギトが私達に迫る!
「(食べられる!?)」
ガチン――と階層主の牙が噛み合わさるも、その中に私達は含まれていない。
代わりに牙の間には砕けた木の幹が挟まっていた。
忍者の回避スキル【空蝉】だ。
その後もエドワードは【瞬歩】や【ダッシュナイフ】などの移動スキルで水中を高速で移動しついに陸地へと到達する。
私の思った通りここは玄室内で、63層への下り階段のある玄室の奥が湖、扉のある手前が陸地になっていた。
「けほっ……けほっ!」
『グギャアアアアアアアアア!!』
「うおおおおお!? ここまで追ってくるのかよ!?」
水柱を立てながら、水面から階層主が姿を見せる。
心眼ではシルエットしか把握できなかったが、肉眼で見るとそれは蛇というより竜に近い。
エドワードは私をお姫様だっこで抱えながら扉へ向かって走る。
背後の階層主は喉奥から圧縮した水の塊を発射してくる。
ドラゴン型魔物のブレス攻撃!
「こんな所で死ねるかああああああああ!!」
間一髪私達は玄室の外へと飛び出し、すかさずエドワードは背中で扉を閉める。
玄室の扉には不思議な力が働いており、閉じた扉にはあらゆる衝撃を吸収してしまう。
故に階層主のブレスも扉ごしでは届かない。
「し、死ぬかと思ったぜ……」
エドワードは玄室の扉に背中を預けたまま、ズルズルと落ちるように腰を落とす。
「でも……サーニャが生きてて良かった」
エドワードはびしょ濡れの顔で笑いながら私を見る。
水で前髪がおでこに張りついた顔を見られるのが恥ずかしくて、エドワードの腕の中にいる私は顔を逸らした。
「…………ばか」
「おま……バカはないだろうが……」
エドワードは呆れながらそういうが、これ以上文句を続ける体力もないのか、扉に背中を預けたまま脱力する。
けれども両腕はしっかりと私のことを抱きかかえているのであった。
ずぶ濡れで全身の熱が奪われるも、彼と触れている箇所が温かく、私はまた「……ばか」と呟いた。
この気持ちをどう言語化すればいいのか分からなかいのだ。
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