第44話 人類最強の就寝
「だから……キ、キスのこと……口と口でちゅーすると……赤ちゃんが出来るって……そうでしょう?」
「…………まじかぁ」
目を見つめる。
どうやら本気でそう思っているらしい。
俺はこれから、ちゅーすると赤ちゃんが出来ると思い込んでいるサーニャに、本当の性知識を伝授してそのまま実践に移さなければならないのか……?
サーニャは大規模ギルドのギルドマスターであり貴族の当主でもある。
田舎でずっと畑を耕してきた俺とは比べものにならないくらい社会的な経験と地位を築いており、田舎育ちの若僧よりよっぽど大人だと言える。
だとしても……だ。
「…………すまん、無理だ」
「どうして……?」
だって無理だろ……。
俺が自分の倍くらい体重のある異種族に同じことをされたら絶対に泣いてしまう自信がある。
「本当の意味で、お前がそれを求めていないからだ」
「そんなことない……!」
「手、めっちゃ震えてるだろうがよ」
俺は身を起こしベッドの縁に腰掛ける。
そしていつも妹にしているように、サーニャの頭を撫でた。
「んっ……」
「悪いな。据え膳も食えない男で」
サーニャの頭から手を離すと、「あっ……」と名残惜しそうな声が漏れる。
「その、頭撫でられるのは怖くない……もっと、して」
「……分かったよ」
再び頭を撫でてやると、サーニャは心地よさそうに目を細めた。
サーニャは性交渉を断られたにも関わらず、むしろ安堵も表情を浮かべており、肩の震えも収まっている。
「ねぇ、その、キスがダメなら、代わりに……して欲しいことがあるの」
「なんだ?」
「お腹ぽんぽんして欲しいの」
「お腹……ぽんぽん……? なんだそれは……?」
「んと……私のお腹を、ぽん、ぽんって、撫でるように叩いて欲しい」
サーニャは「ん……」と腹部を差し出すように身を寄せてくるので、俺は要望通りにサーニャのへその辺りをそっと叩く。
筋肉の欠片も感じ取れないぽっこりとした児童みたいなお腹だ。
ホビットの骨格や筋肉の作り皆はこういうもんなのか……?
頭を撫でるのには馴れているが、お腹を撫でるのには馴れていないので、これでいいのかと思っていたが、サーニャの顔は満足気だ。
「他にはなにかして欲しいことはないのか?」
「……それじゃあ、後ろから抱きしめて欲しい」
サーニャはベッドの脇に置いてあるクッションを抱き寄せると、口元を隠して上目遣いになりながらそんな要求をしてくる。
「ママが生きてたとき、いつもそうやって私を寝かしつけてくれたから」
「生きてた時?」
「うん。もう死んじゃったけど」
「……俺で良ければ」
俺は再度ベッドに這いより、サーニャの隣で横になる。
腕を帯に見立て、背中から手を伸ばして腹部の前に持ってくる。
俺の胴部にサーニャはすっぽりと収まり、目の前にある頭部からは甘い匂いが漂い鼻孔を揺さぶる。
「そのまま私が寝るまで、お腹を撫でて……」
「はいはい。注文が多いな」
そのままお腹を再び撫でる。
強張っていた肩はいつの間にか緩み、小さな背中を俺に預けてきているのが分かる。
「俺にも両親がいないから、少しだけ、サーニャの気持ちが分かるよ。甘えたくても、甘えられる大人がいないのは、辛いよな」
両親が病で死に、俺は1人で妹を守る必要があった。
サーニャが4歳で家督を継いで家とギルドを守らなければいけなかったように。
「同じね」
「俺なんかより、サーニャの方がよっぽど苦労してると思うけどな。人類最強と同列に語るのもおこがましかったな」
「そんなことない……ねぇ、あなたの昔のお話、聞かせて欲しい」
「大したもんじゃないぞ」
「それでも構わないわ」
俺は彼女のことを英雄視し過ぎていたのかもしれない。
サーニャ・ゼノレイは危険の孕むダンジョンを肩で風を切りながら歩き、常に先頭に立って最先端を切り開いくことで、後続の冒険者への指標を残し続けてきた冒険者貴族の末裔であり、14歳にして人類最強の名を手に入れ、沢山の部下を従え、そしてこれから数々の偉業を成し遂げていく、なるべくしてなった英雄であるのだろうと思っていた。
でも誰もかれもが彼女のレベルとステータスしか見ておらず、本当の彼女はまだたったの14歳であり、重責に苦しみ、周りから強者であることを求められ、その期待に応えるために傷付き続ける、不器用で生真面目で、とても繊細な女の子なのだ。
俺はサーニャの苦悩を本当の意味で理解することは出来ないだろうし、重荷を肩代わりしてやることも出来ない。
それでも……。
常に一番前で、一番高い場所で飛び続けることを求められる若鳥に、一時の休息を与える止まり木程度にはなれるはずだ。
「私が寝るまで……離れないでね……」
「ああ……今晩は特別、お前の背中を守ってやるよ」
今は一時の休憩を。
おやすみ、人類最強。
■■■
――夢の中。
幼いホビットの少女が、ホビットの父親とヒューマンの母親に挟まれて楽しそうに笑っていた。
父親の手には英雄がお姫様を助ける英雄譚が綴られた本があり、母親は少女を背中から抱きしめながら、物語を読み聞かせている。
父親がページをめくり、母親が優しい声音で続きを音読する。
少女は思った。
こんな時間がずっと続けばいいのにと。
――でも。
――読み終わったら、また最初から、読んで貰えばいっか。
少女はそう思いながら、物語に登場する囚われの姫君に自己を投影しては、いつか自分の元にも駆けつけてくれるであろう英雄の姿に思いを馳せるのであった。
朝5時。
いつもと同じ時間にサーニャ・ゼノレイは覚醒する。
いつもより薄着であるにも関わらず、いつもより温かい。
「……約束、守ってくれたんだ」
背中に当たる大きな身体はエドワード・ノウエンの鍛えられた身体で、その腕はサーニャへ伸びていて、腹部の前で離れないように組まれている。
本来であれば日課の素振りをしないといけないのだが……。
「今日は……いっか」
青年の温もりに包まれながら、サーニャは再び夢の世界へと旅立った。
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