黒蓮の戦乙女

第40話 お姫様になりたい英雄

 この大陸に住む者ならば、誰もが1度は読んだことのある冒険譚。


 王様の住む都の地下には広大なダンジョンが広がっており、お姫様が凶悪な魔物、ミノタウロスに捕われてしまう。

 そこに1人の冒険者が立ち上がり、ダンジョンを潜り、数多の魔物を退け、罠を回避し、最後はミノタウロスを倒してお姫様を助け出す。

 勇者とお姫様は恋に落ちて結ばれるハッピーエンド。


 かれこれ何百年も読まれ続けている物語で、赤子の頃に親から絵本を読み聞かせられ、読み書きが出来るようになる年になったら児童向けに改編されたものを読み、大人になってからも原本の物語を読む者だっている。


 誰もがその冒険譚に惹かれ、憧れ、読みふける。


 ある者は自分もこんな英雄になりお姫様を助けたいと冒険者を志し――


 ある者はお姫様に自己投影して自分の元に駆けつけてくれる英雄の姿に思いを馳せ――



 そしてきっと――英雄になることを定められたお姫様だっているはずだ。



 私の知るダンジョンには冒険もロマンスもない。

 冒険者貴族として王宮に納める魔石を無心にかき集め、部下に指示を出し効率的かつ安全にダンジョンを攻略し、血濡れのお姫様は刀を握って魔物を切り刻む。



 お姫様は待っている。

 ダンジョンという存在そのものに捕われた自分を救い出してくれる英雄が来るのを。


 ずっと。


 ずっと。


 ずっと。



■■■



「…………んっ、もう、朝?」


 いつもと同じ午前5時に目を覚ます。

 ホビットの私が使うにはいささか大きすぎるベッドから這い出る。

 鬱陶しい毛量ある桃銀の髪をゴムで簡単にまとめて、寝間着の襦袢姿のまま中庭に出た。

 外の空気と吹き抜ける風が、わずかに残った睡魔を吹き飛ばす。


「……ふぅ【精神統一】」


 勝手口の隅にかけてある木刀を手に取り、日課の素振りを行う。

 本当はこんなことしたくはないが、研ぎ澄まされた魂は研ぎ澄まされた肉体に宿るという家訓に則り、きっちり1時間汗を流す。


「はぁ……熱い」


 私のいる中庭の塀の向こうはブラックロータスのギルドハウスになっており、朝の鍛錬を行っている団員の声が聞こえてくる。

 素振りで身体も温まり、ふと思い出すのは天賦から最も遠い黒髪黒目の冒険者の顔。


「彼は……元気にやってるかしら」


 彼のことを思い出すと、連想的に浮かび上がるのは先日の61層攻略作戦のこと。

 階層主を討伐したはいいが、流石の私も教会の横暴な対応に堪忍袋の緒が切れた。

 聖女直属の部隊である聖女聖騎士団が、玄室の扉を閉じ私達と小聖女を閉じ込めた件について、白を切りなかったことにしようとしたのだ。

 必ずや邪知暴虐なる教会の悪を取り除かねばと決意し、テティーヌを単身で潜入させたのである。


 決して鬱陶しい世話係を追い払おうとした訳ではない。


「シャワーは……面倒臭い、テティーヌも今は教会に潜入させて不在だし、軽く水を浴びるだけでいっか」


 口うるさいな世話役がいないのを良いことに、中庭の隅に設置されている水道から水を汲む。

 着の身着のまま桶に汲んだ水を頭から被ると、張りついた汗が流れて気持ちいい。

 今日は私の下着等を横領する変態も不在なので、このまま襦袢も干してしまおう。


「……ッ!」


 肌に張りついた襦袢を脱ごうとした矢先、侍特有の機敏となった感覚が、邪悪なる気配を察知する。


「……そこかっ!!」


「ぐへっ!?」


 気配の方向へ木刀を投擲すると、隠密が解除され木刀がめり込んだ腹部を抑えて蹲るテティーヌの姿が露見した。


「帰っていたのね、テティーヌ」


「……ぜぇーはぁー、は、はい、つい先刻……帰還致しました」


「それでなんで隠密で姿を消して私のことを見ていたの?」


 青髪のエルフは弁明するも、鼻血を垂らしながら私の貧相な身体を舐めまわすように見るのはやめない。


「世話役である私が、サーニャ様の護衛につくのは当然の務めです。鍛錬の邪魔にならないように、隠密で気配を消していたのです」


 その割には鼻息が荒すぎて隠密で隠し切れてなかったけれども……。


「嘘。私の着替えを覗こうとしていたのでしょう。興奮して鼻血が出ているわ、厭らしい」


「これは先程のサーニャ様が投擲した木刀が命中したのです」


「お腹にあてたつもりだったんだけど?」


「…………」


 無言を貫き白を切るテティーヌ。

 だがその邪な視線は、まばたきも忘れて眼球が乾くのもお構いなしに私へと向けられている。

 凄い執念だ。

 きっと今のテティーヌは肌に張りついた私の襦袢姿を目に納めることに全力をかけているのだろう。


「……このロリコン」


 蹲るテティーヌの頭部を踏みつけると、「おっひょいっ!」と歓喜を上げるので、それが気持ち悪くて、素振りで上昇した体温が急激に冷めていくのを感じた。


「今すぐ消えて頂戴。着替え終わったら執務室に行くから、そこで潜入任務の報告をして」


「御意に――【隠密】」


 忍者らしく、隠密で姿を消しながらその場を去るテティーヌ。


 ……。


 …………。


 ………………。


 いや、違う。


「ねぇ、まだそこにいるでしょ」


 木刀を振るう。


「ぐへっ!?」


 木刀の一振りはテティーヌの頭部にめり込み、私は折檻のためテティーヌの身体を滅多打ちにするのであった。

 1度死んだ方がましになるのではと思ったが、バカは死んでも治らないというし、教会に払う蘇生代が無駄なので致命状態ギリギリで勘弁してあげた。

 テティーヌが「おほっ!」「凄いっ!」「もっと!」「致命状態になってからが本番!」と悶え声を上げるのがただただ気持ち悪かった。




■■■




 場所は変わってギルドハウス内にある室内訓練場。

 いつものアーティファクトの装備に身を包んだ私は、無数の団員の視線を浴びながら訓練場の中央に立つ。


「テティーヌ、正宗を」


「は。こちらに」


 足元で跪くテティーヌの手には、魔力を練り込んだ布で包み封印をかけた正宗が収まっている。

 私以外の者が抜こうとすれば、たちまち正宗の持つ妖気に肉体を支配される危険性を孕んでいる故の封印だ。


 私が魔力を込めた手をかざすとシュルシュルと布が解けて、鞘に収まった正宗が姿を見せる。

 正宗の柄に手を伸ばす。

 周囲の団員はその光景を固唾を飲みながら見守っている。


「…………」


 柄に手をかけ抜刀する。


「うっ!?」


 その瞬間、正宗の妖気が私の肉体を奪おうと指先から流れ込んでくる。


「……ぐ、ぐぐっ!」


 私は必死に正宗の精神支配に抗う。



――殺セ。血ヲ寄越セ。斬レ。斬レ。斬レ!!



「……あ、あ、ああああっ!!」


「サーニャ様!!」


 しかしついに私は正宗の妖気に押し負けてしまい、肉体の所有権を奪われる。

 私の思考は正宗と混ざり、命を斬りたくて斬りたくて仕方がなくなる。

 理性は1割程度まで減少し、思考の隅へと追いやられる。

 ダメだと分かっているのに、私は正宗を振り上げ、あろうことか仲間であるテティーヌへ振りかざした。


「がああああっ!」


「サーニャ様!!」


 正宗による斬撃を、テティーヌは紙一重でもって回避する。

 掠ったテティーヌの青髪が宙を舞い、返す刀が再びテティーヌへ伸びる。


「サーニャ様! お気を確かに!!」


「がああああああああああっっっっ!!」


「サーニャ様、御免!」


 テティーヌは私の斬撃をギリギリの所で回避し続けながら、周囲の団員に合図を送る。

 ブラックロータスの魔術師たちが杖を突きだし魔法を連打する。


「「「スロウ!」」」


「「「サンダーショック!」」」


「「「パライズ!」」」


「があああああああっ!?」


 速力を低下させる妨害魔法、雷属性の攻撃魔法、麻痺状態にさせる魔法が立て続けに直撃する。

 肉体が麻痺して動けなくなった私は屈強な前衛職の団員達に押し倒され、四肢を固定されるも、それでも暴れて4、5人の団員を放り投げながらもようやく正宗を取り落として精神支配から解放される。


「……はぁ、はぁ。皆ありがとう」


「団長、今回復魔法を」


「ありがとうサラ、でも先に吹き飛んで気絶している団員を回復させてあげて」


 封印に使う布越しに正宗を鞘に戻して再封印を施す。


「やっぱりダメね」


「その様ですね」


 61層の階層主との戦いから、私は正宗の精神支配に抗えなくなった。

 理由は判明している。

 共闘したエドワード・ノウエンが正宗を振るい階層主を倒したことで、階層主の経験値が正宗に蓄積されてしまったのが原因だ。

 拮抗していた私と正宗の力関係は逆転してしまい、ゼノレイ家の代名詞とも言える正宗を扱えなくなってしまったのだ。


「いかがされましょう、サーニャ様」


「そうね。うちの家宝をめちゃくちゃにしてくれた張本人に、責任を取って貰おうかしらね」


 私はテティーヌへそう告げて、こうなった元凶宛ての手紙をしたためるべく、室内訓練場を後にするのだった。

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