第28話 飛ばなかった蟻


ガードの下がった桑田の顎。


ドンピシャのタイミングで右のショートストレートを・・・


ガクンと視界がずれる。


ウソだろ・・・


先ほどのダメージが足に残っていた。


勇二の右は桑田の顎ではなく、胸の辺りに力なく当たった。


体の力が入らない。


赤いグローブ。


血で染まった赤い視界よりも赤い、桑田の真っ赤なグローブ。


稲妻のような衝撃。


リングの床。


赤く染まった視界にリングサイドの君子。


目をつぶって祈るように両手を組んだ姿。


お腹の我が子。


俺、また会えるかな?


ごめんな・・・


でも、ありがとう・・・


静かに目を閉じる。


漆黒の闇。


ただ自分という人間が存在している感覚。


静寂で何も見えない漆黒の闇が広がっていた。





人は何故、生きているのだろう



わからない



夜も眠れない



ある晴れた日、小さなアリをみつけた



自分の何倍もある大きな塊を一生懸命運んでいた



エサでもなさそうだし、何を運んでいるのだろう



わからない



夜も眠れない



生きるって案外こういう事なのかもしれない



わからない



夜も眠れない






遠くでゴングが打ち鳴らされる音が聞こえた・・・







3年後・・・


「拳?次、何の乗り物に乗りたい?」


「ん~次はあれ!」


そう言って遊園地の違う乗り物を指差す拳。休日の遊園地は人で溢れていた。


「ねぇ、拳のパパってどこ行ったの、ママ?」


「ん~拳のパパ?・・いるよ~。」


遠くを指差した君子。


「パパーーっ!」


そう言って手を振る拳。















「けーーーんっ!」


手を振り返したかったけれど、両手にジュースやポテトを持っていたので声で応えた勇二。


無邪気に笑って手を振る拳。


その傍らでは幸せそうに微笑む君子。


人混みを避けながら君子と拳の側に行く勇二。


「はい!拳、ジュースとポテトだよ!」


「わーーーいっ!」


無邪気に喜ぶ拳。


ふと勇二は空を見上げた。


そこには。


14歳の頃、自殺しようとする直前に見上げた時と同じように2羽の鳥が飛んでいた。


自由にくっついたり離れたりを繰り返していた。


ただ、あの頃とは違う。


14歳のあの頃。


自分も自由に飛ぶ鳥になりたいという羨望の眼差しだった。


でも今は違う。


俺も君たちと同じように自由で幸せにこの世で暮らしてるよという同志のような眼差し。


「勇二変わったね。」


「え?」


空を見上げていた勇二に君子は言った。


「私と知り合った時からずっと下ばかり見ていたのに、今は空を見る事が多いよね。」


自分でも気付かなかった・・・


人は希望を持って生きていると空を見たくなるのだろうか?


・・・という事は、14歳のあの時。


最後の・・生きていたいという最後の希望を持って空を見上げたのだろうか?


あの時、死ななくて本当に良かった・・・


あの頃の自分に勇二は語りかけた。




あの時、飛ぶのを止めてくれてありがとう・・




誰にだって、あの頃の自分を助けたいって思う事がある。


でも実際にドラえもんがいるわけじゃないからタイムマシンに乗って、あの頃の自分を助ける事はできない。


でも。


今というこの瞬間。


懸命に。


命を燃やして。


がむしゃらに生きる事によって、あの頃の自分を助ける事になるんじゃないだろうか?


そんな気がする。




2羽の鳥はどこかに飛んでいったのかいなくなっていた・・・


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