飛ばなかった蟻 ～あるボクサーの哀歌～

第27話 ラストラウンド

相打ち覚悟で桑田の右に合わせてカウンターを取る。

今の流れをひっくり返すには、この方法しかない。

諸刃の剣。

タイミングを誤ると自分自身に甚大なダメージを負ってしまう。下手すればそのままＫO負け。

でも、やるしかない！

勇二は腹を決めた。

４ラウンド開始。3ラウンドと同じ展開。

桑田は右左と目まぐるしく勇二を回り込みながらジャブ。時折、右ストレート。

ただ１つ違ったのは、桑田が放つ右に被せて勇二はもう一歩踏み込み左フックを放った。

数発ヒット。

警戒する桑田。

その隙に右のボディフックを桑田に放つ。

このコンビネーションが当たり出す。

手数が減ってくる桑田。

効いているのか？

４ラウンドは取ったか？

一進一退の展開。

勇二は桑田の右を喰らいすぎたのか、左目の視界がほとんどなかった。右目は古傷の目尻を切り裂かれ流血。

赤くなった視界に桑田を何とか捕らえての攻撃。

桑田は勇二のボディが効いているのかガードが下がっていた。ボディ中心だった攻撃を顔面中心に切り替える勇二。

そして今リング上で繰り広げられている不思議な光景。

普通、攻めている方が前に行き、攻められている方が後ろに下がる。

しかし、今リング上では、その逆。

被弾が多い勇二が前に出て、攻めている桑田が下がるという展開。

恐らく桑田は思っているだろう。

俺のパンチは効かないのか？

勿論、勇二も効いていないわけではない。

元々の打たれ強さプラス、明らかに何かが憑依したような状態。

それが清なのかは分からない。

ただ勇二も不思議な感覚で闘っていた。

そんな展開のまま、いよいよラストラウンド。

「ラストラウンド！」

闘っていると不思議な事に、相手と同じパンチを打ってしまう事がある。

そんな時は勿論、スピードの速い方がヒットするし、相手に与えるダメージもカウンターになるから大きい。

ラストラウンド開始早々。

顔面への左フックの相打ち。

コンマ何秒か速かった桑田の左フックが勇二の顎を打ち抜いた。

元々ダメージが蓄積されて、次、倒れたら起き上がれないだろうと観客のみならず山本会長も思っていた。

顎を打ち抜かれた勇二は糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

終わった・・・

誰しもがそう思っていた。

「・・・スリーーーっ！」

勇二が気がついた時には、レフリーのカウントは３まで進んでいた。

クソっ！

・・右手、辛うじて動く。

次、左手・・・くそっ！力が入らねー！

右足はまだ動く。

左足・・・何とか動きそうだ。

不細工にもがく勇二。

ごめんな、君子カッコ悪い姿見せちまって・・

どんなにカッコ悪かろうが精一杯抗ってやる！抗って抗って生きて生きて、生き抜いてやる！

このリングに上がる時、そう誓っていた。

桑田も限界なのだろうか？肩で息をし、両手をロープにかけニュートラルコーナーで背を向けて立っていた。

「・・シーーーックス！」

よし！立ち上がるぞ！

声にならない叫びを腹から絞り出した勇二。その声と同時に全身に力を入れて立ち上がる。

信じられないという顔をした桑田が背を向けたまま振り向いていたのが右目の赤い視界に入る。

もう・・もう、残された力は僅かしかない。

「ファイト！」

レフリーが再開の合図を出す。

桑田も信じられないという顔から殺気に満ちた顔に戻る。

勇二も殺気に満ちた顔で返す。

仕掛けた。

先程までの殺気を消す。

目に込めていた力をフッと消す。

“勇二さん！ここでちょっとよろけてみるってのはどうっすか？リアルに効いてるフリに見えないっすか？”

清とよく一緒にこの練習したっけな・・・

いくぞ！清！

後ろによろけたようにコーナーのロープにもたれかかった。

誘った。

のってくる。

必ず。

確信にも似た自信。

桑田の表情が一瞬変わったのを勇二は見逃さなかった。矛盾しているようだけれど、攻める時ほど隙が生まれる。

それも突発的にチャンスが訪れた時に。

桑田が明らかに力んでいるのがわかった。

倒す力を込めた桑田の右。

フッと消した殺気を再び目に宿す。

一瞬、それに気付く桑田。

しまったという目。

だが、もう遅い。

もたれていた上体。

屈めて後ろ足に力を溜める。

膝のバネを使い、その力を一気に解放する。

清、行くぞ！さんざん練習したもんな、お前と。

渾身の右アッパー。

がら空きの桑田の顎に吸い込まれるように弧を描く。

倒すパンチの手応え。

右アッパーが桑田の顎にめり込む。

桑田の視線が宙を泳ぐ。

今度は桑田が操り人形の糸が切れたようにダウンした。会場の興奮は最高潮。床を踏み鳴らす音。

懐かしい。

決まったか？

これ以上ないタイミング、角度。

頼む、立たないでくれ。

祈る勇二。

桑田も必死だった。

もがくようにのた打ちまわり立ち上がろうとする。流石に若さゆえ回復力が凄まじい。

みるみる目に力が宿る。

勇二に残された余力は僅かだった。

まだ効いているはず。顔では平静を装う。

プロは本当に凄いと思う。

あと１回、チョンとパンチが当たっても倒れてしまうその瞬間まで、相手に悟られないよう平静を装う。

カウント9で立ち上がってきた桑田。

少しの時間も無駄にできないと、レフリーの真後ろに立つ勇二。

「ファイト！」

再開の合図と共に攻勢に出る。

経験が浅いと、ついつい効いた場所を狙いがちになる。しかし、勇二は敢えてボディーに狙いを定めた。

効いている顎をカバーすべくガードを上げていた桑田のボディーに勇二の拳がめり込む。

「オゥェ！」

えづく声。

ガードが下がる桑田。がら空きの顎。

７年前の落とし前。

あの頃の自分を助けなきゃ・・・

勝てる・・・