第11話 空白の7年間


勇二は常々思っていた。


不謹慎だとは思うけれど、毎試合直前に天変地異が起きて試合自体が無くなればいいのにと。どのボクサーも、それくらいの恐怖と闘って試合に臨んでいると思う。それはつまり自分からは逃げ出すことは出来ないという事。


勇二はそのまま病院に運ばれ、検査の結果、腰椎の3番目が疲労骨折している事がわかった。


「先生!勇二をリングに上げられるようにしてやって下さい!大事な勝負を賭けている試合なんです!」


「あなたね、骨折してるんだよ!試合は無理に決まってるじゃないですか!」


お医者さんとトレーナーが会話しているのをベッドの上で他人事のように聞いていた。まともに歩くことすら出来なかった。もちろん試合なんて出来るわけなかった。


ベッドの上で、考える時間は無限にあった勇二。だんだんと現実に向き合わなくてはならなかった。




“試合はできない”




この事実だけは動かしようがなかった。あれだけ天変地異でも起きて、試合自体なくなればいいと思っていた自分。




“望み通りになったじゃないか”




もう1人の自分が勇二に囁いてくる。




くそっ!




ぶつけようのない怒り。試合の恐怖から逃れられた安堵。試合からわざと逃げたと思われるんじゃないかという情けなさ。


いろんな感情が沸き上がってきて、気がつくと涙が頬を伝っている。そんな日をただ消化していくだけ。


退院してからも、脱け殻になってしまった不甲斐ない自分を、もう一人の自分が見ている感覚。




“勇気ある侍ボクサー”




“ラストサムライ”




勇二の事をあれだけ持ち上げていたマスコミ。




“怪我にかこつけて逃げた”




“怖くなって、わざと怪我したのではないか?”




手のひらを返すように批判的な記事が、新聞や雑誌に載っていた。こんな事だったら、まだ試合して派手にゴンザレスにぶっ倒された方がましだった。不甲斐ない自分を責めて、何度も死のうと考えた。


しかし、“死ぬ”という事が、どれほど怖いのかというのは中学生の時に試みてわかっていた。


いつしか無感情になっていた勇二。そして・・・・ボクシング界、世間から姿を消した。




空白の7年間。




「そうか・・あの中井勇二だったのか。でも、何故、またリングに?」


藤本会長は勇二に問いかけた。


「死んだ山中の為でもあり、自分の為でもあるんです・・。」


「・・・そうか、わかった。試合まで時間ないからな。ウチのジムの選手とスパーして、ブランクで鈍った勘を早く取り戻さないとな!お前の好きなように使っていいから!」


「ありがとうございます!」


そして、試合に向けて本格的に動きだした勇二。









翌日から早速、仕事終わりにジムへと向かった勇二。


「ちわーーすっ!」


挨拶と共に更衣室に入った。


「ちわっす!」


「こんちわ!」


4、5人のジム生が中にいた。普通どこのジムでもそうだけれど、知らない人間だろうが挨拶を返してくる。


ただ、その中で1人。


フンっ!という顔をして勇二に一瞥だけくれて、ソッポを向いて無視した人間がいた。背格好も勇二と同じくらい。


勇二はこういう挨拶をしない人間には、異常なくらい腹立たしい気持ちになる。たった一言声を発するだけなのに、それをしない。


挨拶には “私はあなたに対して敵対していませんよ” というような意味合いもあるらしい。つまり、挨拶をしないという事は、こちらのことを舐めているか下に見ているという風に勇二は思っていた。




ふーーん・・・




いつか手合わせする時、覚えとけよアホンダラ。


勇二はそいつのツラを脳内にインプットした。戦闘的な気持ちが湧いてくる。7年前のあの出来事以来、腑抜けになっていた自分。




久しぶりだな・・




腹が立ったけれど嬉しかった。


そいつは練習が上がりらしく、練習着を脱いでいた。気持ちを切り替え、階段を昇って2階のジム内に。


「ちわーーーっす!」


一際大きな声を出して挨拶した。


「ちわーーーすっ!」


「ちわっす!」


「こんちわ!」


勇二の声量に正比例するように、練習しているジム生は返してくれた。




懐かしいな・・・




「会長!今日から宜しくお願いします!」


これから3ヶ月お世話になる藤木会長に挨拶した勇二。


「おーー勇二!頑張れよ!後、3ヶ月しかないからな!どうだ、少しスパーやってみるか?」


「いや、7年ブランクあるんで、今日はやめときます。」


普通の人間ならこう言っていただろう。


しかし、勇二は常々、いつ何時、誰の挑戦でも受ける!的な考えだった。自分から逃げるという気がして断るという選択肢はなかった。


「そうですね。時間もないですし、少しでも早く実戦の勘を取り戻さなければいけないのでお願いします!」


「そうか、じゃあアイツが試合近いから相手してやってくれ。」


会長が指差した相手は、スピードのあるシャドーボクシングをしていたバンタム級くらいの選手だった。


「おーい!山下!今日2Rスパーな!」


山下と思しき男が振り向き、ちょこんと頭を下げた。


7年振りの実戦。不安がないと言えば嘘になる。


大したもので、バンテージを巻きシャドーボクシングを始めたら現役の頃にタイムスリップしたような気持ちになった。


な~んだドラえもんがいなくてもあの頃に戻れるんだな・・・


勇二は、くだらない事を考えながら体を暖めていた。山下選手は1ヶ月後に試合があるらしく、仕上がりは良さそうだった。


7年蓄積された錆。


「よしっ!じゃあ2Rな!いくぞ!」


ゴングが鳴る。


山下はステップを刻み、距離を取って速いジャブを小刻みに突いてきた。勇二も相手の戦闘力を量る。


山下のジャブに合わせてボディにジャブを飛ばす。山下はうまくステップバックしてかわす。


1Rはお互いの戦闘スキルを見ていたせいか、大した山場もなく終わった。


2R目、、、


攻撃のギアを上げてきた山下。ボクサーファイターらしく出入りが速かった。コンマ何秒か動きについていけない勇二。


そりゃそうだ。


1ヶ月スパーしないだけでもミリ単位でパンチが避けられなくなり被弾してしまう。


7年間蓄積された錆。


この後、痛切に思い知らされる事になる。


「ラスト1分!」


会長の声。スタミナが切れ気味の勇二。山下のパンチを被弾する場面が増える。


息が上がる。


上への軽いフェイント。


わかってる。


でも反応してしまう。


試合でもそうだ。ガス欠になると相手の簡単なフェイントに引っかかってしまう。


山下は少し屈んでのボディストレート。




ドスっ!




鳩尾にまともに入った。経験の浅い普通の選手だったら倒れていただろう。効いてないと思わせる為、平静を装う。


しかし、悲しいかな声が洩れてしまう。


口から子犬のような鳴き声。なんとか誤魔化しラウンドを終える。


後、3ヶ月・・・間に合うだろうか?


例えようのない不安が勇二を襲った。

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