君に捧げる最期の贈り物

金石みずき

君に捧げる最期の贈り物

 ――人生は劇的でなければならないの。平坦でつまらない人生なんて死んだ方がマシ。


 それが彩音の口癖だった。

 彩音は何でも出来た。

 勉強もスポーツも音楽も武道も。初めてやることだってすぐに上達し、全員を抜き去っていった。

 特に学問分野の成長は目覚ましく、一〇歳を超えるころには有名な研究機関にしょっちゅう出入りして何かの研究を行ったりしていたらしい。俗に言う、天才ってやつだ。

 そんな彩音はなぜか時間が許せば俺を連れ回した。山に、川に、隣の街に。いつも子供みたいにくたくたになるまで遊んだ。


 ――人生は劇的でなければならないの。平坦でつまらない人生なんて死んだ方がマシ。


 そう言って笑う彩音のことが、俺は好きだった。




 「国の実験施設から実験体が逃げ出した」


 そんなニュースが日本中を駆け巡ったのは、彩音と会わなくなってから一〇年ほど経ったときのことだった。

 最初は誰もがいい加減な週刊誌のでっち上げか何かだと思った。


 しかし警官が、機動隊が、特殊部隊が、自衛隊が、確保に回った全ての者が失敗に終わったことが報道され、その噂はどうやら真実らしいということがわかった。


 そんなときだった。俺に依頼が来たのは。


 ――この女を確保して欲しい。いや、殺して欲しい。あまりにも危険すぎる。


 見せられた写真を見て絶句した。一〇年前にいなくなったはずの彩音だった。


 魔法回路構築理論というものがある。

 その理論が打ち立てられたのは約二〇年前。

 実証され、使用に耐えうるものとなったのは約一〇年前のことだ。


 国は被検者を募集し、俺たち子どもは皆諸手をあげて応募した。

 その中で適格とされた者は幼い頃から夢見ていた魔法使いとなった。


 これまでの人間の限界を超えた存在。

 超常の事象をさも当然のように操れる存在。

 俺たちはそんな存在になり――そして彩音は消えた。


 それから一〇年。俺は必死にいなくなった彩音のことを探し続けてきた。

 魔法に関する各所と関係を持てるように力を付けた。

 魔法を練習した。勉強もした。誰よりも頑張った。

 結果として、名声を手に入れた。誰もが知る魔法使いとなった。


 ――だけど、どれだけ探しても彩音は見つからなかった。


 そんな彩音にやっと会える。

 それだけで俺に拒む理由はなかった。




「よう。久しぶりだな。会いに来たぜ」


 久しぶりに会った彩音は透明なガラスのビー玉みたいな目で気怠そうに俺を見た。緩慢な動きだ。かつての何をするにしてもエネルギーに満ち溢れた姿は微塵も感じられない。


「無視かよ。久しぶりに会ったんだから何か言えよ」


 それでも彩音は虚ろな目をこちらに向けるだけだ。俺の方を見ているのも『何か音を出すものに反応した』という感じで、俺そのものを見ているようには思えない。


「――言葉も話せないのか。どうなってやがる」


 唇を噛みしめる。鋭い痛みが走り、口内に鉄の味がじんわりと広がった。

 嘘だろ。これがあの彩音なのかよ。この一〇年で何があったんだよ。


「なあ、俺を揶揄ってるんだろ? それならそうと言ってくれ。彩音が望むなら何だってしてやる。国中を敵に回してもいい。だから俺と一緒に行こうぜ」


 彩音に一歩ずつ近づく。すると変化があった。はっきりと俺を認識し、敵意を滲ませている。

 距離が縮まるたびに、彩音の纏う空気が剣呑さを増していく。それと同時に魔力も高まっているのがわかる。

 そしてついに二人の距離が約一〇メートルまで近づいたとき、突如生成された石礫が俺の頬を掠めて飛んで行った。石礫は俺がここまで乗ってきた車に当たってその装甲を紙でも破るかのように貫き、車は爆発、炎上した。

 頬を血が伝っていく。今のが何よりの返事だ。やはり腹を括らなければならないらしい。


 ――残念だ。


 戦闘が始まった。

 戦いは苛烈を極めた。お互いがお互いの攻撃魔法に対して対抗しつつ、隙間に攻撃を捻じ込んでいく。

 一瞬でも油断すれば即、死が待っている。そんな高層ビルの間に渡した綱を走りながら渡っているような戦闘が、休みなく続いていた。

 だが俺の精神は高揚していた。


 ――ははっ! なんだこれ! すっげえ楽しい!

 

 自分で言うのもなんだが、今の俺はおそらく国で最高の魔法使いだ。こと戦闘においては俺は誰にも後れを取る気がしない。

 だがそんな俺の攻撃を彩音は悉く防ぐどころか、容易に反撃までしてくるのだ。


 ――今の俺はここまで出来る。さあ、彩音は何ができるんだ?


 飛んでくる氷の槍を同じく氷で生成した盾で受け止める。その隙に奪った熱エネルギーを彩音の後ろに展開させ、爆発を起こす。だがいつの間にか纏っていた風のバリアで防がれ、そのまま爆発の熱を巻き込んでこちらに放ってくる。俺はそれを石壁を作って防ぐ。すっかり熱くなった石壁を弾丸のように飛ばそうとすれば、逆に大量の水で押し返してくる。


 俺と彩音の周囲はもはや元の景色を少したりとも残していない。


 ――ここが郊外で良かった。こんな楽しいデート、他の誰かに邪魔させてたまるか。




 何時間経っただろうか。

 自慢の魔力もすっかり底が見えてきた。すでに肩で息をしている。このまま戦えば、魔力も体力もあと一〇分ももたないだろう。


 一方で彩音の表情は相変わらず読めない。 

 疲れているようにも見えるし、余裕を残しているようにも見える。 


 お互いの四肢には夥しい数の怪我が刻まれている。裂傷、打撲、火傷、凍傷……。だが致命傷になるダメージはお互いに負ってはいない。


 ――俺の方はこれで最後だ。これが効かなければ俺は死ぬ。そしてこの国も多分終わる。


 ありったけの魔力をかき集めて石槍を作っていく。より硬く、より鋭く、より速く。

 下手な金属よりも硬いそれは回転しながら煙をあげて赤熱する。


 彩音も対抗するように俺と同じく石槍を作った。


 ――いいだろう。勝ったほうが生き、負けた方が死ぬ。わかりやすい。


 俺たちはお互いを睨み続ける。

 そして俺と彩音の魔力が最大限に高まった瞬間――


 俺は石槍を放った。

 そして彩音は魔法を解除すると、両手を広げてその石槍を身体で受け入れた。


「は……?」


 彩音はその場で膝を折って崩れ落ちる。一瞬遅れて、遥か遠くで甲高い破砕音が響いた。

 大量の血液が穴の開いた彩音の腹から流れていく。


 ――何が起こった? なぜ、彩音は魔法を使わなかった?


 魔力切れが近く、脈を打つように痛む頭を押さえながら、足取り重く彩音の元へと向かう。


 傍に立ってなんとか抱きかかえると、彩音はゆっくりと目を開けて俺の好きだった笑顔を見せてくれた。


「どう……? 私の演技も、なかなかのものだった……でしょ」

「意識、あったのかよ」

「まぁ……ね」


 彩音の顔は白を通り越して青くなっている。

 苦し紛れに治癒魔法をかけてやるが、ほんの少しの延命と苦痛を和らげてやることしか出来ない。

 それでも僅かばかり生気が戻り、彩音はほっとしたような顔を見せてくれた。


「なんでこんなことしたんだよ……」

「だってこうでもしないと、翔真は私を殺せないでしょう……?」


 絶句した。彩音は初めから俺に殺されるつもりだったのだ。

 何も言えずに、彩音を抱きしめる手に力を込める。すると彩音はぽつぽつと語り始めた。


「なまじ才能があったのがいけなかったんだろうなぁ……。魔法が使えるようになって、みんなとは別のところに隔離された後は来る日も来る日も投薬されて、椅子に繋がれて電極をつけられて、食事は点滴だけ。そして実験実験実験実験。それも権威あるお偉いさんたちの何の役にも立たない陳腐な実験ばかり。私が理論立てて否定してやっても、顔を真っ赤にするだけで聞きやしない。そんな生活を一〇年だよ」


 過去を思い出しているのであろう彩音の目には何も映ってはいない。ただ淡々と昨日の夕飯の内容でも語るような語り口で話し続ける。


「死んだように……いや、実際に私は死んでいた。平坦な人生なんて死んだ方がマシだと語っていた私が誰よりも起伏のない人生を辿ることになるとは……いやはやなんて皮肉だろうね」

「……だから施設を飛び出したのか?」

「そうだよ。これだけ耐えたんだ。最期の望みくらい叶えたって罰はあたらないかなと思ってね。きっと翔真が来てくれると信じてた。一応、施設にいても噂くらいは聞こえてきたから」


 俺を見て力なく笑う彩音はとても綺麗だった。

 そんな彩音の顔を直視することが出来ず、俺は苦し紛れに吐き捨てる。


「人生は劇的でなければならない、か。確かに親しくしていた幼馴染に殺されるなんて、ある意味これ以上ないくらい劇的な最期だな」


 それを聞いた彩音はきょとんとした顔をする。

 そしてなぜだろうか。可笑しそうに笑い出した。もう力なんて入らないくせに、目に涙をいっぱいためながら精一杯笑った。

 手はだらっと垂れたままでその涙を拭くこともできない。昔から嫌と言うほど見た彩音の笑顔に伝っていく涙だけが、見慣れないものだった。


「あー、笑った笑った。そうか、翔真は覚えていないんだね。そりゃあ、そうか。あの頃の私は小さかったけど、翔真は幼かったから」

「どういうことだ?」

「子供の頃の戯言だよ。『人生は劇的でなければならないの。平坦でつまらない人生なんて死んだ方がマシ』。確かにこれは私の口癖だけど、実はこれを翔真に最初に言ったときには続きがあったんだよ」


 そのとき、俺の脳裏にぼんやりと昔の記憶が蘇る。が、靄がかかったようにうまく思い出せない。

 その表情を見て彩音も悟ったようで、俺を宥めるようにとても穏やかな顔をした。


「心配しなくても教えてあげるよ。私はあのとき、こう言ったの」


 今の穏やかな彩音と、記憶の中の幼い彩音がだんだんと重なっていく。


 ――人生は劇的でなければならないの。平坦でつまらない人生なんて死んだ方がマシ。でも最期は好きな男の腕の中で穏やかに死にたい。そんな人生って最高だと思わない?


「あ……」


 思い出した。最初に会ったあのときだ。確かに彩音は、そう言った。


「その顔、思い出したみたいだね。全く。覚えていて来てくれたのかと思ったのに、ただの結果オーライだったんだ? けど悪くないかな。これも、これ以上ないほどに劇的だね…………ぐっ……」


 彩音は大量の血を吐いて、力なくむせた。しかし口元は血だらけでも、それは彼女の美しさを損ねはしなかった。


「ああ、もうすぐ終わりみたいだね。最期だから、少しだけ弱音を吐いてもいいかな……?」


 俺は頷いたが、もう彩音の目は透き通ったビー玉みたいになっている。今度は恐らく、本当に何も写してはいない。だが、不思議と彩音には俺がうなずいたことがわかったようだ。


「死にたくないなぁ……。もっと翔真と一緒に生きたかった。幼い頃、翔真を色んなところを連れ回したでしょ? あのちょっとした冒険が私にとって人生で一番楽しかったの……」


 彩音の身体の重みが増した。


「なんでこうなっちゃったんだろ……。いっぱい色んなことがしたかったのに、結局何も出来なかった。だけど……最期の望みだけは叶ったのはせめてもの救い……かな」


 彩音の口元がゆがんだ。たぶん、笑おうとした。


「じゃあ、そろそろ逝くよ……。でも、最期に私からの贈り物をあげる。――手を握ってくれないかな……」


 だらりと下がった彩音の手を取ると、「ありがとう」と声に出さずに言い、同時に手に魔力が灯った。


 淡い光が起こり、そして同時に俺の意識が霞んでいく。


「なに……を……した……」

「私を……忘れる魔法……。翔真はこれからも生きて…………。幼い頃の亡霊にとり憑かれないで……翔真は…………翔真の人生を生きて……」

「そんなこと……誰が望んで……」

「もう逝くね……。待ってないけど、ゆっくり……来て……。向こうで……会えたら会おう」

「忘れたくない。嫌……だ……!」



 気が付くと、俺は病院にいた。

 なんでも国の施設から逃げた危険な実験体の始末に奔走し、成功したらしい。

 巨額の報酬に褒章ももらった。

 それで十分なのに、なぜか心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚は消えてくれなかった。


 ――その六〇年後、すっかり天寿を全うした俺は、子と孫に囲まれて幸せに死んだ。




 死後の世界で先に逝去した妻に会った。まさか会えるとは思っていなかったため、嬉しかった。

 妻と俺は手を取り合って歩いた。

 そのままどれだけの時間を過ごしただろうか。あの世には時間の概念がない。一年かもしれないし、一〇年かもしれないし、一〇〇年かもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。気にすらしなかった。


 そしてある日、いつものように妻と散歩していると、一人の若い女とすれ違った。

 若い女とすれ違うことなんて度々あることなのに、何かが引っかかって思わず足を止めてしまった。

 違和感の正体を知ろうと振り返ると、女も振り返ってこっちを見ていた。


 ――目が合った。


 その瞬間だった。俺に失われていた記憶が、まるで電撃でも浴びたかのようにフラッシュバックした。


 ――ああ、そうだ。俺はこの女を知っている。


 妻に「ちょっと待っててくれ」と告げ、その女の元へと歩いた。女は待っていてくれた。


「久しぶりだな、彩音」

「久しぶりだね、翔真」

「約束、守ったぞ。しっかりと生きた」

「ありがとう。私の最期の贈り物がちゃんと届いていたようで安心した」

「今、幸せか?」

「ここは退屈だね。今、どう劇的に生きてやるか考えていたところ。前とは違って、私は自由だから」

「そうか。なら、いいや。じゃあそろそろ行くな。――妻が待っているから」

「うん、どこにでも行っちゃえ。……ばか」


 俺は彩音に背を向け、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 俺が泣いてはいけない。

 俺には妻がいる。五〇年以上連れ添った妻だ。俺にとっては誰よりも大切な人だ。

 そのまま歩き続けるが、妻には近づいているはずなのに、なぜか距離が縮まっている気がしなかった。


 そしてまた次の一歩を踏み出した時、なぜか心に蠢いていた澱のようなものが一気に軽くなった。

 不思議だ。先ほどまで葛藤も躊躇も悲しみも、何もかもなくなってしまった。

 ――彩音が何かしたのだろうか。


 先ほどまで躊躇っていたのが嘘みたいに、何も考えずに振り返ることが出来た。

 すると俺の足跡を逆にたどるように、若い青年が歩いていた。

 どこか見覚えのある青年だ。どこかで会ったことがあるだろうか。

 青年の背中越しに彩音の顔を見ると、呆けた面をしていた。初めて見る顔だ。あんな顔も出来たのだな。

 そしてその青年は彩音の前で立ち止まり、一言二言会話を交わすと、手を繋いでそのまま歩いていく。

 彩音は笑っている。純粋な少女のような綺麗な笑みだ。


 ああ、そうか。あの青年は俺だ。彩音と最期を迎えた俺だ。俺もあの時、彩音と一緒に死んでいたのだ。


 連れてくるのが随分遅くなったな。だがちゃんと渡したぞ。これが俺からの最期の贈り物だ。


 俺と彩音は別々の道を行く。


 ――俺は妻と。

 ――彩音は今の俺じゃないあの頃の俺と。


 俺たちの結末には、それが相応しい。

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