土下座




 瀧雲の診療所前にて。

 夢鏡蔓を挟んでジイと向かい合っていた瀧雲は、地面を蹴りながら荒々しく歩を進めて間近に迫り、目を少し大きく開いて口を開いて言葉を紡ぐより先に、誰かが駆け寄ってジイに体当たりしては、キッと睨みつけた。


「裏切ったな」


 ジイは静かに頭を少し下げて、ぼんやりと腹の底から言葉を捻り出す壮史を見つめた。


「はい」

「父と母が言っていた。おまえが俺を傷つけるかもしれないって」

「そう、ですか」

「なんで俺だけじゃなくて凛香を傷つけようとした?」

「京一さまの想いを遂げる為には必要だと判断しましたので」

「ゆるさない」


 震えていた。

 声も、輪郭も、髪も肉も骨もその身に宿るすべてが。


「ゆるさない。絶対に。おまえは危険だ」

「………はい」

「絶対に、絶対に絶対にだ」

「はい」

「ばかやろう」


 拳を握り続ける壮史に気づいて、ふと、ジイは解きたいと思った。

 あんなに握りしめては傷つくと。

 けれどどうして言えようかできようか。

 傷つけると決めたのに。


(ばかやろう。でしたね)


 底なし沼へと沈みゆく意識は、思考が停止するまでただ落ち続けるだけのはずだった。

 眠れない、けれど、起きてもいない、かろうじて残っていた生さえ消え失せて、何者とも言えぬ残骸と成り果てるはずだったのだ。

 壮史の一言がなければ。


「俺が保護してやる」

「………はい?」


 ジイは小さく首を傾げた。

 壮史は睨みを解かないまま、ジイの脚に抱き着いた。


 傷つけられるまでは傷つけないと信じて来た。

 傷つけるとまざまざと見せつけられてからは、ずっとずっと考えて来た。

 ゆるさないまま、手放すか、留めるか。

 両親に言って封じてもらう手も考えたが、それができたらきっとしていたと思った。

 できないから誰かに見張っていてもらわなければならなかったのだと。

 両親は自分ならできるのだと判断したからこそ、託したのだ。


(目を離して、凛香をひどい目に遭わせた。けど。次は。それにジイが閉じ込められるのは)


 いやだ。


「俺が保護して、傷つけない術を一緒に考えて、そして、送り出してやる」


 鼻を大きく膨らませて仰ぐ壮史を見て、ジイは目を丸くし、瀧雲は噴き出しては目を細め、やおら破顔一笑した。

 自分たちが策を講じればいい、彼はそのままの彼でいいと悪く言えば放置してきた。

 関わった者は痛い目を見るだろうが、尾を引くものではなくあっさりとした解決を迎えるだろうと。

 縛りたくなかった。

 傍にい続けさせたくなかった。

 怖かったのだ。

 たゆたう性を持つ彼から歩みを奪うことが。

 己も、そして彼自身も悪い方向に変わってしまいそうで。

 だから、近しい誰も言えなかった。

 が。

 彼なら大丈夫だと。

 恐怖と楽観視が相まって放置し続けた結果が、今回の事件を招いたのだ。

 操霊師であり、操魂師である彼は数え切れぬほどの生に、時にぶつかって、時に溶け合って、時に侵されて、眠れなくなって、己を失って行ったのだろう。

 生を慈しむものだと判断できないほどに。

 容易く握り潰しても構わないと、判断してしまうほどに。


(一時保護、ですか)


 瀧雲は屈んで震えが大きくなった壮史をジイごと思いきり抱き締めた。


「うわっなんだ?」

「感謝の気持ちです受け取ってください」

「いらねえし暑苦しいから離れろよ」

「いえいえ遠慮しないでください」

「する早く離れろ。はっ。そうだ。凛香はどうした!?」


 ジイをどうするかばかり頭を占めていて、凛香の存在をすっかり忘れていた壮史がジイに視線を戻すと。


「目を瞑って。いや。寝ている。の、か」


 瀧雲は立ち上がってジイを背負うので壮史に離れるようにお願いした。

 壮史が言われた通りに離れると、瀧雲はジイを背負った。

 初めて。

 見た目よりも、ずっしりと重みがあった。

 芯を護る骨も、脂肪も、筋肉も、血も、皮膚も、細胞も、すべてががらんどうではなく、働くべく身を成していて。

 生きている。

 そりゃあそうだと自身に突っ込んだ瀧雲は目を潤ませたまま、壮史が言を継ぐ前に口を開いた。


「京一さんも保護していますし凛香は大丈夫ですよ」

「そう、なのか。よかった」


 気が抜けた壮史はその場に尻もちをつきそうになったが、寸でのところで踏ん張った。


「早くしろ」

「いえ私も疲れているので労わってください」


 診療所にいるであろう凛香の顔を早く見たいけれど、ジイから目を離したらいけないと、ジイを背負う瀧雲に早く歩けとせっつく壮史に、実は結構くたくたの瀧雲はそう言ったのだが、壮史の気持ちもわかるので、叱咤激励して診療所へと急いだ。

 ら。

 待合室でなぜか珊瑚に向かって土下座している凛香の姿があった。








 空には白く輝く二十六夜月が厳かに、優しく佇んでいた。

 夜明けはもう、近かった。











(2022.3.2)

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