竹筒




 予想はしていた。が。


(まさかこれほどとは)


 異界に飛ばされた神路は細く長く息を吐くと同時に身体の力を入れて、短く強く息を、大気を飲み込んだ瞬間、脱力しては普段隠している濡れ羽色の翼を現出させてのち、全身傷だらけの梨響の元へと飛び、鉤羅と相対して僅かに眉根を寄せた。

 圧迫感故に。

 銀色と金色が綾なす艶やかな毛。

 鋭利で剛健な漆黒の鉤爪。

 目まで届かんばかりに大きな口。

 先鋭で銀色の歯。

 充血する強膜に金に発光する虹彩と銀に鈍く光る瞳孔。

 鋭い針で織りなしているかのような雄々しい九本の尾。

 獰猛さが際立つ中で唯一愛嬌を見せる三角のふさふさの両耳。

 人間の姿を解き、九尾の妖狐の巨躯の姿に戻った鉤羅の妖気は、先程凛香の部屋で相対した時とは比べられないほどに凄まじかった。

 じくじくと突き刺さった細かな棘が毒を撒いて徐々に肉を、骨を腐らせていくような感覚に陥らせるほどに。


「さっさと戻れ」

「たかだか数分でそんななりをしているおまえを置いて帰れるか」


 立っているだけで精一杯の梨響は、ちらと神路の右脚を一瞥した。

 視線の意図を理解していた神路は見せかけだけの脚を半歩前に出した。


「凛香は立花がいるから少しは大丈夫だ。壮史は脚ごと置いて来た。壮史の護衛が最優先で傍にいてもらいたいが、これから飛び回るからな」

「最優先ならさっさと戻れよ。立花がいるから少しは大丈夫って。少しなら尚更だろうが」


 息も絶え絶えに非難の目を向けてくる梨響を、神路は鼻で笑った。


「鉤羅さんがどんな状態にせよ、戦うと決めたなら殺す気で向かってくる。現に死にそうだしな」

「反論はしねえよ」

「おまえは鉤羅さんを殺せるか?」


 静かな問いかけに、梨響はやおら目を瞑り、自身の荒い呼吸だけが耳に入る中、力なく頭を振った。


「殺さない」

「殺せない。だろう」

「うっせ」

「ならどうする?」

「………あーあーやだねーほんと。おまえはほんと」


 いつだってまっすぐな、ともすれば貫かんばかりの眼差しは、あちこちひん曲がった自分もそうしろって強迫してくる。


(やだやだほんと。こんな格好悪いとこなんか何度も見せたくねえってのによう。俺だけでパパっと解決したいってのによう。ジジイに負けて)


 本当は努力とかって大嫌いなのに。

 幻滅されたくないからって無理して。

 なんて健気なんだろう自分は。


 くすりと笑った梨響は満身創痍の己の身体を見た。

 鉤爪で引き裂かれてできた紅や紫の線、頭突きや拳、蹴りを喰らったり地面に叩き落とされたりしてできた紫や青の痣、咆哮を喰らってできた内出血、狐火で焼かれて火傷の痕、出血吐血の痕などなど。

 止血は即できるので貧血に陥ることはないが。


(繊細な操作と胆力と持久力が必要な治癒を覚えるのだるいから敬遠してたけど、頑張るかなあ)


 痛いのだ言葉にできない痛さだ痛い痛すぎる。

 原形を留めているのが奇跡なくらいだ。


(神路は気合入れりゃあ治るっつって、本当に治すからな)


 色々と敵わなすぎると項垂れる。


(くそっ。ジジイは神路が現れたら体力を戻そうと攻撃を止めて、神路だけ警戒しているしよ。あーもーいろいろむっかつくう)


 梨響は倒れないように細心の注意を払いながら脱力し、足を引きずって身体の向きを変え、神路に頭を下げた。

 小さく。これ大事。


「俺だけじゃジジイを足止めできないので、協力してください」

「ああ、任せろ」


(あーあー。爛々としちゃって。あっちもこっちも)


 正面突破喧嘩莫迦。

 梨響が心中で呟くと同時に飛び出した神路に続くように懐から竹筒を取り出し、最小範囲で結界を張れる場所を特定しては空に飛び出して、迷いなくその場所めがけて竹筒を突き落とし、限界突破の妖力を飛ばし続けた。

 不甲斐ない。あまりに情けない話だが、神路が鉤羅の体力を殺がしてくれなければ、この場に留めてはおけないのだ。

 それが、今の梨響の実力。

 神路がどうして強いと思ってくれているのか、常々疑問になるほどの非力さ。


(あーくそ。くそっくそ)


 はやくはやくはやく。

 いくら嬉々として闘っているといったって、惚れたやつの傷つく姿なんか見たくない。

 それに。


(くっそ。余力残せ、ねえな)








「わりい。俺もうだめだから」

「ああ」


 両の手に乗るほどの大きさで、動物の狐とそう大差ない姿になった梨響は地面に伏したまま神路を見上げて半眼になった。

 己とそう大差なく痛々しい姿になっているにも拘らず、疲労なにそれ美味しいのってくらいに気配も目も立ち姿も生き生きとしているのだ。

 しかも気合を入れたらしく、瞬時に傷も癒やす始末。

 そしてすぐに帰って行った。当然だ。

 ふと鉤羅に視線を向ければ、結界で身動きが取れない鉤羅は鉤羅で恨みがましい目を向けている。喧嘩を邪魔しやがってと怒っている、というよりは、拗ねているのだろう。


(ぜってー操られてねえなあのジジイ。いや別に心配して損したなんて思ってないからね)


 頭に青筋が立った梨響は、けれど限界を感じて目を瞑った。


「あーくそ。強く」











(2022.3.1)


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