千枚通し
道花が瀧雲の診療所を訪ねた同時刻。
緑山家にて。
どうにも胸騒ぎがして凛香の部屋を訪れた珊瑚、梨響、神路、壮史が目にしたのは。
「ジジイ!?」
梨響は目を瞠目した。
自身の祖父であり、最強の九尾の妖狐である
だけではなく。
「やはり、あなたでしたか。先生」
ひどく静かな空気を湛える神路が見据えた先には、ジイがいた。
否。ジイだけではない。
目を閉じて脱力している凛香を抱えるジイと、血走った眼をぎょろぎょろと動かしながら凛香の首元に千枚通しを当てている男性だ。
「おまえは
神路に問われても、男性、京一はぎょろぎょろと不気味に眼を動かすだけだったが、護らんとする梨響と神路の脚の合間から状況を知るべく顔を押し出した壮史を見つけるや、鈍い光を眼球に纏わせて、口の端を高く吊り上げた。
瞬間、ぺたんと、壮史は床に尻をつけていた。
いつの間にと混乱する壮史の両肩に手を置いて、珊瑚は大丈夫だよと優しく言った。
嘘だ。
刹那に判断して鋭く睨みつけた壮史はしかし、珊瑚の微笑を見て尖りを解いたが。
(くるしい)
壮史は胸の辺りの服を強く握りしめた。
静めようとする呼吸の反動か、激しい動悸がした。
「おい、梨響。落ち着け」
「落ち着いてる」
並び立つ梨響に諭した神路は、声こそ落ち着いているが強がりだとわかった。
忙しなく瞳孔が拡大しては収縮しているのだ。
混乱と、恐怖故に。
(無理もない。先生ばかりか、鉤羅さんまでも)
ジイが自分たちの知る先生かどうか確証はなく、ただの直感だったが、外れてはいないだろう。
神路は舌打ちが表に出たかどうかすらわからなかった。
一族最強の九尾の妖狐に、史上最強の妖怪。
戦力差がありすぎだった。
が。
(鉤羅さんが操られているのかどうか)
鉤羅を注視しても、そこに他の意思が入り込んでいるようにはどうしても見えなかった。
感じ取れないほどの実力差だと言われれば、どうしようもないが。
(いや、操られていないとしても恐らく状況に)
変わりはない。
「珊瑚。おまえを瀧雲の元に送る。壮史。俺の脚にしがみつけ」
神路は二人の返事を待たずに術を唱えて珊瑚を空間転移させて瀧雲の元に送ったのち、言われた通り脚にしがみついた壮史の周囲に何重もの結界を施し、姿を見えなくし、また、周囲を見えないようにして、凛香を注視した。
「凛香の魂はそこにはないようだが」
「ええ。しかし私は何もしていませんよ。本当は魂抜きだけしようとしたんですが、勝手に抜け出しまして。おじいさまの危機を察したんでしょうかね。おじいさまを連れて逃げて行きましたが。急いだほうがよろしいのではないでしょうか?魂も、肉体も」
ジイの言わんとすることを正確に理解していた神路は、ジイから京一へと視線を移した。
壮史の両親に組織を壊滅させられて、居場所を失い、逆恨み、殺意は両親のみならず子である壮史へも向けられている。
壮史が好意を寄せる凛香を殺してのち、失意のどん底へ落としたあとに壮史を殺し、両親への見せしめにするつもり。
などと。
殺意に浸された人間がそこまで我慢できるか。
復讐心のままに無関係の人間を殺すだけの殺戮者になるのではないか。
今でさえ。
どうして凛香を殺さずにいられるのか。
殺すだけでは得られない快楽を埋め込まれたからか。
無関係の者を殺さないという自律が働いているからか。
まだ。
「先生。いや、ジイ殿」
たゆとう、たゆたい続ける存在。
時に背中を預け。時に敵対する。
理由など不要。
ただ時々に任せて思うがままに行動するだけ。
単純明快な答えだろう。
別によかったんだそれで。
痛い目を見るだけで済むのだから。
けれど今回は違う。
ぜんぜん。
「凛香を殺したら、流石に私も赦すわけにはいかない」
「ほお、ではいかがしますか?」
「なので、殺させない」
言い終わるや否や、短く鋭く息を吐いた神路は瞬歩で距離を縮めて凛香の身体を奪い返さんと手を伸ばすと同時に、京一の腕をへし折らんばかりに出現させた金剛杖を振り下ろした。
が叶わず。
突如として身体がその場に留まるばかりか浮き上がる感覚に抗おうとした神路はせめて、凛香の身体へと引き千切らんばかりに腕を伸ばしたが。
「梨響!」
届かない。
判断した瞬間、神路は吠えたが、すでに梨響と鉤羅の姿はなかった。
飛ばされたと理解した神路は力を振り絞り金剛杖を京一の頭めがけて突き投げたが、それすら易々とジイに掴まれてしまった。
瞬間、神路は雄たけびを上げ、四肢胴体を投げ捨て、頭だけでもこの場に留めようとしたが、壮史の存在が脳裏を掠めて躊躇した、その刹那。
凛香の身体が動き出すばかりか、京一の千枚通しを握り潰す瞬間を目の当たりにした神路は諦めた。
今だけ。
「悪い立花少しの間逃げろ!」
抗えない。
実力差だけではない。
魂に刻み付けられた畏怖と尊敬も相まって、抑え込まれた神路は顔を歪ませながら京一とジイから離れた凛香に憑いた立花に懇願して、姿を消した。
「はあ。まったく。頼りないねえ」
立花は握り潰した千枚通しをさらに粉々にして屑籠に捨てて、さようならと一礼して丁寧に扉から逃げ去って行った。
(2022.2.22)
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