診療所から道花と共に出て来た八恵華は凛香に気づいて目を丸くし、次いで、走って凛香の元へ辿り着くとかがむようにお願いした。

 衝動的なものであったが、抱いていた願望でもあった。

 無理だと諦めて手を振って別れたが、いてくれたのならばお願いしたいと。

 凛香は膝を曲げて耳を近づけてと頼む八恵華の言う通りにした。


「あの。あのね。私。明日の、十三時からここで安眠薬香を使うの。お父さんが一緒にいてくれるから少しも怖くないんだけど。でも。凛香の顔を見たら、もっと怖くなくなると思うの。だから。だからね」


 八恵華は両手で自身の口と凛香の耳を隠すように立てて、こしょこしょと話しながら、徐々に顔が赤らんでいくのがわかった。

 すごく、熱かった。


「明日、来てほしいの」


 八恵華は口元に両手を押し当てたまま、凛香からそっと離れて凛香を見た。

 にかりと溌溂と笑って、凛香はああと声量を小さくして言った。

 八恵華は制御できずに震えている唇を頑張って動かして、ありがとうと、か細い声で言ったのであった。











「これやる」


 八恵華と道花を見送ってから家に戻り、昼食も夕食も客間で取ってずっと籠っていた壮史が出て来たのは二十二時を迎えようとする時だった。

 壮史が凛香の自室を訪れて扉を小さく拳で叩き名前を言えば、凛香が扉を開けて出て来ると同時に、腕を高く上げて或るものを差し出した。

 なんだと問わずに、ありがとなと言った凛香は受け取ってまじまじと見た。

 片手に収められる大きさでラミネート加工されている長方形の紙は、上に小さく丸い穴が開いている部分に真紅の紐が通されており、両端が水色、真ん中が黄緑色で、紙の真ん中に桜の花びらが一枚だけちょこんと置かれていた。


「栞。地面に落ちてないぞ。空中できれいに取れた桜の花びらを使った。世話になるからな。あんたとあんたの弟に渡した」


 髪飾りや首飾りなど装飾品も考えないでもなかったが、身に着けている凛香を、まったく、想像できなかったので、安易ながらも栞にしたのだ。


「本、読まないか?」


 無言でまじまじと見続ける凛香の反応に、無用の長物を渡してしまったのかと不安を抱いた壮史に、いや、と凛香は首を振った。


「本は読むから、助かった。いつもどこからだったか忘れるから。悪い。きれいだったから見惚れてた」

「あんた。きれいの大安売りだな」

「だってきれいだから仕方ないな」


 さらっと軽い、けれど真摯な口調に、あどけない笑顔に、壮史は唇を尖らせて、あっそっと言っては背を向けた。

 顔が、ひどく熱かった。


「まあ喜んでもらえたなら何よりだ」

「壮史。ありがとうな」


 顔が見たい。

 顔を見られたくない。

 せめぎ合って、後者が勝った壮史はお休みとだけ言うと、早足でその場を去って行った。












(2022.2.18)



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