革靴




 気紛れ屋で。

 定位置を作らずにあちらこちらへふらつき。

 背中合わせの刻もあれば、背中を取られる刻もあり。

 非道な目に遭うことも数知れず。

 けれどどうしてだろうか。

 憎めない。




 ただの泡沫のはなしである。










「なあ、おまえ。どっかで会ったことないか?」


 壮史も交わって凛香と八恵華と三人でさくらの花びらを選んでいるところを、少し離れた場所で見守っていた梨響は、並び立つジイを見ないで問うた。

 ジイもまた梨響に視線も向けないで、口を開いた。


「申し訳ございません。今の私は壮史さまにお仕えする身です。心身ともに。なので、梨響さまのお気持ちに応えることはできません」


 ふざけている返答に、梨響は半眼になった。

 嫌な気持ちと、そうでない気持ちが半々で。


「誤解させて申し訳ございませんねえ。俺にも心に決めたやつがいるんでそーゆー意味じゃないんですよ。本当にどっかで会ったことはないかって疑問を投げかけているだけですー」

「そうでしたか。失礼しました。では返答を。いいえ、会ったことはないと思いますよ」

「断言しないんだな」

「ええ。老いたる身です。あちらこちらと記憶を置き去りにしている可能性は大いにございますので」

「へえ」

「私に誰かの面影が見えますか?」

「誰かって。特定しているわけじゃないんだけどな」


 梨響は人差し指で耳の少し上辺りの髪の毛を二、三度巻き付けては、するりと解いた。


「夢の話だよ。俺と、好きなやつと、そいつと。他愛ない日常を。苛烈な日常を。楽しんで、怒って、悲しんで、喜んで」

「眠ったままでいたいと願うほどに慕っていましたか、その方を?」

「いや」


 梨響は凛香たちから視線を外して、地に下げて、ジイの革靴を見た。

 くすんでいたり、輝いていたり、少し剥がれていたり、特定できないものがくっついていたりと、長年使用している証を見せながらも、どうしてか新品さが抜けきれない土器かわらけ色の革靴を。


「いや。さっさと起きて、勝手に消えんじゃねえって、消すんじゃねえって、どつきたいくらいに慕っているな」

「それはそれは。たいそう慕われていますね」


 口の端が上がっているのだろうと、地から視線を上げた梨響。

 凛香に戻すか、それとも、ジイへ向けるか定まっていない状態で、凛香と珊瑚の祖母である幽霊の立花の声が聞こえて、二人の姿が見えない方向へと視線を向けたのであった。










『なんで泣くんだよ。たかだか私がおまえたちから消えるだけなのに。私はぜんぜん』






 さびしくないのに。










(2022.2.6)



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