えんまさまの言うことには
十巴
えんまさまの言うことには
カラスと呼ばれる一人の詐欺師がいるという話は、そのスジの者の間では有名な話だった。
初めて人を騙したのは三歳の時。それ以来、保険金詐欺、金融商品詐欺、還付金詐欺、などなど。詐欺の付くものは何でもやっている。幾度となく警察にマークされたが、すべてなんなく切り抜けてきている。ゆえに一人の友達もおらず、家族ともとうの昔に縁を切っている。
カラスに騙された者たちは口をそろえて言う。
「従順で素直な普通の人にしか見えませんでした。まさか一円も残さずすべてだまし取られてしまうとは……」
そんなカラスが今騙そうとしているのが一人の女。大企業の社長令嬢で、金銭に関しては何も不自由なく暮らしてきた箱入り娘。世界のすべてを疑うことなく、誰もが優しいと信じて生きている。そんな人間こそ、彼が一番むしり取ってきた対象であることは言うまでもないだろう。
しかし、そんな優秀な彼もつい失敗してしまうこともある。今、彼は瀕死の重体であった。交通事故を起こし集中治療室で懸命に処置がなされている。
ふと気が付くと、カラスは腕を後ろで縛られて蒸し暑い殺風景な部屋にいた。
「コラ!聞いているのか」
驚いて声のした方を見ると、身長五メートルはありそうな真っ赤な肌の男が真っ黒に塗られた大きな椅子に座ってこちらをにらんでいた。大男はこれまた真っ黒な着物を着ていて、頭に被った帽には「閻魔」と書かれていた。
「すみません、ここはどこでしょうか」
すると、大男はそれを鼻で笑って、
「そりゃあ、地獄に決まっているだろう」
と言った。
「地獄?そりゃあ一体……」
冗談でしょう、と言いかけたところで彼は自分が間違っているような気もしてきた。ゴツゴツとした赤い肌の大男など現実にいるわけがない。それに自分はつい今しがた不注意で反対車線のトラックに突っ込んだばかりなのだ。その事故のあとできれいな自分の体もおかしなものであろう。しかし自分がまさか天国に行けるなどとは思いもしていなかったが地獄が実在するというのには驚きである。見ると周りにはよく物語で見たような鬼が書類の束を抱えながらうろうろしていて、男は鬼の側も大変そうなものだとのんきに考えていた。
ペラペラと紙束をめくっていた閻魔様は
「詐欺詐欺詐欺詐欺……根っからの悪党だなお前は。お前のようなものは問答無用で舌抜きの刑だ」
と閻魔様は言うが早いかふところから大きなペンチを取り出し男の舌をブチリと引っこ抜いてしまった。抜き取られた彼の舌は根元が真っ黒になっていて、ドロドロとした黒い液を垂らしている。宿主のもとに戻りたそうにびちびちと跳ねていたが、閻魔様はそれを無造作に横においてあった箱に放り込んだ。
彼は、しまった!と思った。本当のところは、彼は地獄の存在を完全に認めていたわけではなかった。自分が身動きの取れない状況にあり、逃げ出せそうにもない。ともすれば従順にすべてを受け入れたような様子を見せ相手の同情を誘うのが一番だと思ったのである。しかし、彼が得意の話術を展開する隙を伺っているうちにもう彼の舌は抜き取られてしまったのである。
彼は口の中に大きな喪失感を感じた。骨を持たず自由に四方八方ねじったりもできる体の部位が失われるのはかなりの孤独感を彼にもたらした。商売道具でもあったのだからなおさらであった。
呆然としているうちに彼はその蒸し暑い部屋から鬼たちに外へと連れ出された。連れ出されていく間中彼は金魚のように口をぱくぱくとさせていた。
外に出ると、そこには夥しい数の人が座るなり寝転ぶなり、中には近くにいたものと殴り合いをするものもいながら思い思いに過ごしていた。
これは彼も、そしてこれから彼に話しかける男も知らなかったことだが、そこは死が確定するかしないか決まっていない地獄行の人間たちの待機場所であった。
彼がそのごった返した人の輪を避けて端の方に座ると一人の小汚い男が彼に話しかけてきた。
「お、お、お兄さんはどんな罪で地獄に来なすったんでぇ。こ、こ、こんなところに来るんですから、さぞかしあくどいことしなすったんでしょ」
彼は男の小汚い様子に少し不快感を覚えた。そして大口を開けて自分が舌を抜かれたことを男に示した。
「そ、そか。お兄さんえんまさんに舌抜かれてしまったんやねぇ。そしたらわてがお兄さんの暇つぶしに、いっちょわてのあくどい話したりましょ。あれは数年前のこと……」
と小汚い男はもう数本も歯が残ってない口を大きく開き語りだした。
興味もなかったが彼は暇つぶしに話を聞くことにしたが、どうにも聞き覚えがある。先ほどより注意深くその話に耳を傾けてみると、どうやらその男はカラスが手引きした詐欺事件の受け子、つまりは金銭の受け渡し役を担ったようだった。
「お兄さん一億円って見たことありますかい?帳簿の数字じゃのうて現ナマちゅうやつですわ。これがおもてるより多くて重くてねぇ。でもそこでへばったらバレてまうからちゅうてなんともなさそうにスーツケースを引きずっていくんですわ。警察署の前を通るときなんぞもう気が気でなくてしゃあないんです。あの時ほどドキドキしたことはありまへん」
彼は話を聞くうちに男が哀れに、そして生まれて初めて罪悪感というものを感じてきた。自分が話すことができれば首謀者と打ち明けずともせめて話を逸らすこともはきたはずであると思うと申し訳なく思い、せめて自分があと一言でも話すことができたらと願った。しかし彼のそんな願いを否定するようにぽっかりと開けた口を風がひゅうひゅうと通り抜けていった。
「おい、お前」
ひきつった笑顔を続けて話を聞いていた彼の肩を一人の鬼が叩いた。
「お前はもう一度生きることに決まったからこっちへ来い」
「あら、お兄さん行き返りになるんですか。ほな元気にしてくださいよ」
と男はしわがれた顔に満面の笑みを浮かべて手を振った。
カラスは最後に彼に一言いいたいと願った。強く強くそう願うと口の中でもごもごした感触がありそのまま思い任せに口を開いた。
「面白い話でした!」
彼の口は告げたのである。
気づくと彼は病室で目を覚ましていた。横には泣いて赤く腫れた目をした社長令嬢が驚きと喜びの入り混じった顔でこちらを見ていた。
「こんにちはバカ!金をだまし取らせてくれ!」
そのスジの者の間ではカラスという詐欺師の噂がぱったりと消えてしまったことは周知の事実となっている。
えんまさまの言うことには 十巴 @nanahusa
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