【ねえ。誰かに似てるって、そう思わなかった?】

 そうして俺たちがやって来たのは、学校からほど近い商店街にある喫茶店。

 高校時代は何度か来たことのある場所だったが、女の子と来るのは今日が初めてだ。大学生になってから交際した女とは、地元で会うことが殆ど無かったから。

 カウンター席を素通りして、店の一番奥にあるボックス席に、向かい合わせで座る。

 お互いにアイスコーヒーを注文したあとで、霧島の方から話を切り出した。


「突然どうしたの? 驚いちゃった」

「……だろうな」と俺は苦く笑った。


 俺と霧島七瀬の家はお隣さん。いわゆる幼馴染という関係だ。

 小学生の低学年の頃までは二人で一緒に遊んでいたし、二人で風呂に入ったこともあった。もちろん、裸でだ。

 親密な関係だった俺たちだが、小学校の高学年にもなると、まわりから冷やかしを受けたことで次第に距離ができ始める。中学になると、霧島が森川と同じ櫻野学園に進学したことで、より一層疎遠になった。高校にもなると、朝、顔を合わせると挨拶をする程度には。

 そういった感情を自覚したことは無いが、森川を好きになる以前、あるいは霧島に心を惹かれていたんじゃないか、とすら思う。とにかく、異性を感じていたことは間違いない。


「見て欲しい物があるんだ」


 言うや否や、昨日仕上げた水彩画をテーブルの上に置いた。水彩紙の中央で、白いセーラー服を着た少女が、物憂げな横顔を晒していた。

 引き寄せられるように目を落とし、霧島の表情がサッと曇る。


「これ……いつ描いたの?」


 いつ? なぜ霧島が、時期のことを訊ねてくるのかさっぱりわからない。


「わりと最近だよ。ここ数日、よく顔を合わせる女の子が居てね。その子の姿を描いてみたんだ」

「最近……」


 呟きと同時に、霧島の表情がいぶかしんだものになる。


「彼女に聞いた話では、家もどうやらこの辺りらしい。港北小の卒業生かもしれないし、霧島だったら、この子の事を知ってるんじゃないかと思ってね」

「直接この子に聞けばいいじゃないの」

「いや、そうなんだけどさ」


 答えてはくれるけど、なんとなく、全てを語っていない気がするというか。


「大の大人が、中学生相手に根掘り葉掘り質問していたら、怪しい奴だと思われるだろうが」

「大学行ってから散々女遊びしてるって噂だよ? それこそ今さらなんじゃ」


 半ば呆れた声を出し、霧島は柔らかく笑んだ。

 それにしても、どうしてあの女の子の事がこうまで気になるのか。何のために、こそこそ嗅ぎ回るようなことをしているのか。自分でも、理由はよくわからないが。


「この子。何年生?」

「中学二年生。だから去年の三月まで、港北小に居たんじゃない?」

「でもさ」と霧島が嘆息する。「私が港北小に赴任してきたの、今年の春だよ? 忘れてない?」

「ああ、そうか……。じゃあ、知らないのか」

「いや。その子のことを、知らないという訳でもないよ」


 霧島は、理解しづらい二重否定の表現を使った。お前はいったい何を言いたいんだ?


「ん、どういうこと? じゃあ、知ってるの?」

「知ってるけど……。その子が中学二年生ってのは、ちょっと有り得ないかな。私の予測が当たっているなら、だけど」

「有り得ない? どうして? お前が何を言ってるのか、理解できないんだが」

「ねえ、蓮」


 唐突に霧島が真顔になった。


「彼女の絵を描いているとき、誰かに似てるって、思わなかった?」


 そりゃ、思ったさ。お前だって気が付いてんだろ?


「思ったよ、森川にそっくりだって。それで気になったからこそ、お前に訊ねているんじゃないか。森川の親友で、なおかつ港北小で教師をしている霧島だったら、何か情報を知っているんじゃないかと思ったからな」

「その子の名前は?」

「芳田さん」


 すると彼女の顔がいよいよ強張った。顔色も心なしか悪いし、眉間に寄った皺が深すぎて、ババアみたいだぞ、と思う。


「似ているどころか……。私にはその子、間違いなく菫に見えるよ。それに、芳田っていうのは、中学時代引っ越したあとの菫の苗字だしね」

「冗談だろう?」


 森川の姓って変わってたんだ。こいつは完全に初耳だ。

 考えてみると俺は、中学校に進学したあとの森川の事情を全くといって良いほど知らない。

 でも芳田って……。まさか、そんなことが。


「じゃあ、この子は森川だとでも言うのか? まさかそんなこと、ある訳ないだろ」

「……そうだよ。ある訳がないんだよ。だから私も、さっきから困惑してるんじゃない」

「待って、少し話を整理しよう。そもそも森川は今どうしてる? どうして彼女は同窓会に来なかったんだ?」

「来なかった、というよりは、来られなかった、の方が正しいかもね」

「来られなかった?」

「もしかして、中学のとき以来、ずっと菫と連絡取り合ってない?」ああ、と俺は頷いた。「だって、取り合う理由、ないしな」

「そっか。じゃあ、知らないのも無理はないかな」

「さっきからなんだよ。もっとハッキリ言ってくれ。森川になにかあったのかよ? 俺は中学んとき、森川と花火を見に行く約束をして……」


 言いながら、言葉に詰まってしまう。針で刺されるような痛みが、電流のように胸のあたりに走る。


「とにかく! あの日森川は、約束の場所に現れなかった。そんで俺はフラれた。それだけ、なんだよ……」


 何言ってんだ俺、カッコ悪い。

 アイスコーヒーを全部飲み干すと、言葉を選ぶように霧島が沈黙した。気が付くと俺も喉がカラカラで、彼女に釣られてストローを咥えた。

 一呼吸置いてから、ゆっくりと霧島が話し始めた。


「そうね。順を追って説明しようか。ねえ、蓮」

「ああ」

「七年前の花火の日。バス事故があったのを覚えてる?」

「バス事故……?」

 

 記憶の糸を手繰るように思考を巡らせていくと、事故現場を報道していた映像が、断片的に蘇ってくる。

 衝突の勢いで横転したバスの姿。

 無残にひしゃげた車体。

 ああ、確かにあったかもしれない、バス事故。花火の会場に向かっていた路線バスが、信号無視の車と衝突して横転した事故だ。

 何人か、死傷者も出たように記憶している。


「けど、それがどうかしたのかよ……ってまさか!?」

 霧島は、苦虫をかみ潰したような顔で俯いた。「そのまさかだよ。事故を起こしたバスに乗ってたんだよ、菫が。だから彼女は、蓮と待ち合わせした場所には行けなかったのかも」


 冷や水を浴びたように、背筋が冷え込んだ。

 なんだよ。じゃあ──俺は森川にフラれたものだと解釈していたのに、全部勘違いだったのかよ? 森川は単純に、来られなかっただけなのかよ? 俺たちの気持ちは、すれ違っていただけなのか?


「なんだよ……それ。今さら、なんだよ、それ……」


 なんで教えてくれなかったんだ、という不満を霧島にぶちまけそうになって、いったん口を噤んだ。

 森川の事情を俺に伝える義務が霧島にあったか?

 否定。

 森川の事情を、俺は一度でも霧島に聞いたか?

 否定

 俺と霧島の関係は、あれからずっと続いていたか?

 否定。

 じゃあただの八つ当たりだろう。


「いや、でもさ……。俺たちが約束したのは十八時なんだよ。バス事故が起こったのは確か十七時じゃなかったか? とにかく、もっと早い時間帯だった。それっておかしくないか?」

「私に聞かれても知らないよう……」


 まあ、それもそうか。


「取り敢えず、それはいいや。いま確かめても答えはでない。で? 森川は事故のあと、どうなったんだ?」

「右足の下腿かたい骨折と、脊髄神経にも傷があったとかで、二ヶ月近く入院したの。退院したあと、日常生活に支障がでるほどではなかったものの、多少の歩行障害が残った。補助として杖を使うようになって、それからなんとなく、塞ぎこみがちになった」


 まあ、そうなるだろうな。

 森川は元々、ひと付き合いが上手いタイプではなかった。数ヶ月の入院生活を経たのち障害が残ったとなれば、殻に閉じこもってしまうのも頷ける。


「森川は事故のあと、俺のこと何か言ってなかったか?」

「さあ……。私も中二の夏頃から、菫とは疎遠になり始めていたからね。事故の後となると、殆ど会話をした記憶がない」


 どうして友だちだったお前が支えてやらなかったんだ、と憤りそうになって、再び抑えた。森川の為に何もしてこなかった俺に、責める資格なんてあるはずがない。

 情報を頭のなかで整理しているうちに、段々理解できてきた。

 森川は事故に遭ったあと、俺に連絡を寄こさなかったんじゃなくて、出来なかったんじゃないかと。俺ですら、森川の家に電話一本入れる勇気がわかなかったんだ。それが彼女の意思でないとしても、結果として約束を反故にした彼女の視点でみれば、連絡しづらかったことは容易に想像できる。


「結局菫は、退院してから間もなくして引っ越した。彼女の姓が変わったのも、丁度そのときの話ね。なんでも、母親が再婚したらしいの」

「再婚だって?」


 うん、と霧島が頷いた。そういえば森川は、小学校のとき両親が離婚をしていて、片親だったのを思い出した。

 そうか。芳田というのが、新しい父親の苗字なんだな。


「いったん話を戻そう。それで先ほどの、同窓会に来られなかったって話はなんなんだよ? 引越ししても、来られなくはないだろう?」

「同じ櫻野中の卒業生から、人伝に聞いた話だけど」と前置きをした上で霧島が語り始めた内容は、更に衝撃的なものだった。


 花火大会に向かう途中で遭遇した事故。不自由になった身体。だが森川の不幸は、それだけではとどまらなかった。

 百キロほど離れた場所にある地方都市に引っ越したあとも、森川は新しい環境に上手く馴染めなかったようだ。そして、彼女が高校二年生になった夏のある日、自宅で自殺未遂を起こしたらしい。


「自殺未遂だって!?」

「うん」と霧島が悲痛な顔で頷く。「病院に緊急搬送されて、でも、発見が早かったので一命は取り留めたみたい」

「それで?」

「一週間ほどで退院したって聞いた。まあ……そんな事情もあったからさ、同窓会だってやっぱり来づらいじゃない?」


 彼女がなぜ命を絶とうと考えたのか。いま現在、どこで何をして暮らしているのか。そういった諸事情については霧島も知らないのだという。

 今はまったくの疎遠らしいし、昨年まで、霧島も他県の短大に通っていたのだから、しょうがないだろうか。


「でもね」と彼女は口添えた。「菫の母方の実家であれば、場所も知ってるよ。そこで訊ねてみれば、何かわかるかも」

「なるほど」


 唯一情報を仕入れられそうな連絡先といえば、そこか。森川の身に何があったのか、気になってしょうがない。なるべく早く、実家に連絡してみよう。そう考えながら水彩画を仕舞い始めた俺を横目にみて、霧島が不安そうな顔をした。「でも……」と蚊の鳴くような声を出す。


「その絵の女の子さ、菫の幽霊なのかな……?」

「幽霊? ははは、まさか。あんまり突飛なこと言い出すなよ」


 幽霊なんてあり得ない、と笑い飛ばすつもりだった。が、霧島がさっき告げた『自殺未遂』という単語が小骨のように喉元に引っかかって、上手く返す言葉がない。


 ──西公園に行くんです。

 ──名前。芳田ですよ。


 少女が告げた二つの台詞が、不意に頭の中で繋がった。どうにも嫌な予感がする。


「なあ、霧島。今から、この子が幽霊なのか確かめに行こう」

 俺がそう提案をすると、霧島はあんぐりと口を開けていた。「本気で言ってるの?」

「自分でも頭が可笑しくなってるんじゃないかと疑ってしまうが、残念ながら本気だ」


 顔面蒼白で視線を彷徨わせていた霧島だったが、やがて観念したように頷いた。なぜだろう。確信めいた予感があった。あの少女はきっと、今もあのバス停にいる。

 七年前の花火の日。あの時も今日と同じように、霧雨が降り続く悪天候だった。もし、彼女が森川の幽霊だとするならば、おそらく、雨の日しかあの場所に現れない。

 彼女は、雨の日に残した未練が、きっとあるから。


 俺たちは喫茶店の会計を済ませると、降り止まない雨の中、傘を差してバス停を目指した。

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