【俺と一緒に、花火を見に行ってくれるかい?】

 雨の中、傘を差して歩き始める。あいにく霧島は傘を持ってなかったので、二人で相合傘をして向かう。

 なんだか霧島の距離がやたらと近い。離れようと身をよじっても、詰めてくるというか。幽霊かもしれない、なんて聞かされたから、怖がっているのだろうか。

 かくいう俺も、どんどん不安になっていた。

 ここ数日、薄っすらとではあるが、そういった可能性も考慮していた。だが、幽霊なんて非科学的なものあり得ない、と自分の考えを否定してきた。

 しかし、隣の霧島にこうも怯えられてしまうと、嫌でも感情が伝播してしまう。不意に肌寒さを感じて、二の腕あたりを擦った。


 会話もなく、お互いに緊張した面持ちで歩き続ける。

 バス停留所が近づくにつれて、心臓が早鐘を打ち始める。気持ちの悪い汗が、背中を伝うのがわかった。

 沈黙に耐えかねたのか、霧島の方から口を開いた。


「自殺未遂が、未遂じゃなくなった。なんてこと、あると思う?」

「やめろよそんな話。縁起でもない」

「……だよね」

「第一、そんなことがもしあったとしたら、俺か霧島のどっちかに、なにかしら連絡が来るだろう?」


 言いながら考える。本当に連絡なんてくるんだろうかと。俺たちと森川は、中学時代までしか繋がりのない間柄。不幸事の連絡って、どの程度の知り合いまで回るのが普通なんだ?

 そこに考えが及んだところで、悪い妄想をかぶりを振って打ち消した。

 それこそ、縁起でもない。

 やがてバス停が見えてくると、案の定、今日も傘を差すことなくぽつねんと佇む少女の姿が見えた。これまでと変わらぬ、セーラー服姿で。


「霧島。やっぱり居たよ、バス停の前」

「え……? どこ? 暗くてよく見えない」


 とっぷりと日は暮れて、夜の帳が降りていた。街灯が落としている明かりしかないバス停は、見ているだけでも薄気味悪い。

 並木が落とす黒い影が、余計に恐怖心をあおってくる。

 ほらあそこ、と指を差して教えてみたが、霧島は相変わらず「暗い」と「見えない」を連呼するばかりだ。

 しびれを切らした俺は傘を霧島に預けると、芳田さんの元に走って向かう。良かった、間違いなく彼女はここに居る。


「芳田さん」

「あ、三嶋さん?」


 俺は芳田さんの隣に立つと、彼女の方に手のひらを向けて霧島に紹介した。


「霧島。この子が、芳田さんだよ。芳田──ええと、下の名前なんだっけ?」


 霧島の奴、なんとも形容しがたい表情を浮かべている。驚いたというよりは、栄養が不足している血色悪い顔、とでもいうべきか。

 なんなんだよそれ、と思う間もなく、今度は俺が驚く番だった。


「ああ、名前ですね。菫です。芳田菫よしだすみれ


 すみれ……だって?

 冗談だろう?

「ねえ、蓮……くん」と霧島が酷いかすれ声を出した。聞いたこともない、くん付けだ。ああ、皆まで言わなくてもわかってる。お前が言いたいことは。


「本当に、そこに居るの? 菫の幽霊が?」


 唇が小刻みに震えている。認めたくない現実を突きつけられて、霧島も戸惑っているのだろう。

 お前には見えていないのか? なんて、わざわざ問いただす気にはならなかった。そんなもん、反応を見てれば嫌でもわかる。

 とにかく──芳田菫──いや、森川菫の姿は、俺にしか視認できていないらしい。



 俺にしか姿の見えない彼女が、なぜ濡れているのか。そもそも、雨を避ける必要なんてあるのか。釈然としない要素はいくつかあるが、一先ず俺たち三人は、雨を避けて待合室の中に入った。

 濡れても冷たさを感じないので、頑なに彼女は傘を差さなかったのだろうか。などと、そんなことを妄想しながら。

 状況が斜め上に飛躍しすぎてなにやら理解が追いつかないが、とりあえず浮かんだ疑問をいくつか口にしてみた。


「芳田さん。君の旧姓って、もしかして森川?」

「あ、はい。よくご存知ですね」


 同姓同名の別人なんじゃ──という淡い期待は、この瞬間粉々に砕けた。


「君の自宅って、このバス停から五キロくらいのところにある?」

「ハイ、そうですよ。……ええ? ほんとに詳しいんですね」


 だよなあ。認めたくない真実に向かって、パズルのピースをひとつずつ埋めていくみたいだ。あまり気分がいいものじゃない。


「こんなに夜も遅い時間になってから、君はバスに乗って何処に向かうの?」

「西公園ですよ。そこの案内板の前で、大切な人と待ち合わせをしているんです。その人の名前……名前。ええと……なんだったかな? おかしいですね、思い出せないです」


 うーんと唸りを上げ、少女は頭を抱えた。

 霧島は先ほどからずっと血色の悪い顔でポカンと口を開いている。すまんな。たぶんお前の視点からだと、俺が独り言を呟いてるようにしか見えんのだろな。

 だが、これでハッキリした。残念ながら、もう疑う余地はない。


 この不思議な少女の正体は、間違いなく十四歳当時の森川菫だ。

 幽霊なのか? という結論については、一先ず先送りにしておこう。完全に門外漢もんがいかんだ。

 しかし、なぜ彼女が十四歳当時の姿で現れたのかについては推測ができる。

 森川は、俺と待ち合わせをした西公園に行けなかった事を強く悔やんでいた。それが元となって、このバス停に縛られている。いや、西公園に向かうのであれば、当時の森川にとってここは最寄りのバス停ではない。なぜここなんだ? という疑問もあるが、この場所に拘る理由があるのか?

 それでも、これだけは言える。彼女が抱えている未練を断ち切る方法は、きっとひとつ。


「……八月五日に、毎年開催されている花火大会」


 俺が呟くと、芳田さんがハッとした表情で顔を上げた。


「あっ……それです! その花火大会に行く約束をしてたんです、私」

「芳田さん」と言いながら、彼女の手を握った。「八月五日。俺と一緒に、花火を見に行こう。いやむしろ、行って、くれるかい?」

 彼女は驚いたように目を丸くしたのち、「ハイ」と元気に頷いた。


 俺の素性を理解したうえで頷いたのか。正直真意ははかりかねた。

 なぜあの日、一時間早いバスに乗ったのか? 事故のあと、どうして一度も連絡をくれなかったのか? 聞きたいことだって山ほどある。だが、ここにいるのは会場に向かおうとしている森川だ。答えられないこともあるだろうし、幽霊 (仮)の女の子にあれこれ問いただすのもナンセンスだろう。

 いま大事なのは、彼女の未練を解消し、しかるべき場所に戻してやることなんだ。


 こうして俺は、生まれて初めて幽霊 (仮)の女の子とデートをする約束を交わした。きっともう、二度目はないだろうけど。

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