【バス停と、相合傘と】

 その後も、「いや、居ただろう。俺の他に中学生くらいの女の子」と問い質してみたが、美帆は断固として首を縦に振らなかった。

 美帆は確かに軽い女だけれども、むしろ口は重いし決して嘘はつかない。そのことは俺もよく心得ている。


 では、どういうことだ?


 俺が出会った少女の姿は、美帆には見えていなかった?

 そんなこと、ありうるのか?

 よもやよもやで、あの少女は幽霊だったとでもいうのか?

 俺は霊感体質なんかじゃない。幽霊なんて見たことも無ければ、実体の有る物しか信じない主義だ。

 とにもかくにも、あの少女にもう一度会って、彼女が実在してるってことを確認する必要がある。そう強く感じた俺は、結局今日も、途中で大学を抜け出した。

 大学を出て、歩き始める。

 歩道の脇に等間隔で植えられている並木から、けたたましい蝉の鳴き声が降り注いでくる。

 強い日射しに釣られて空を見上げると、突き抜けるような青空に、巨大な入道雲が浮かんでいた。

 中学生のころ見た、アニメ映画に出てきた巨大な雲とよく似ている。あんな感じのアニメ映画制作に携わるのが、かつて俺の夢だった。

 届かなくなった夢のひとつが、空というキャンバスに描き出されているようで、どうにも居心地が悪くなる。


 路線バスに乗って二〇分ほど揺られ、敢えて問題のバス停よりひとつ前で下車する。正直歩くにはダルい距離だが、少し考え事をしたい気分だった。


 まず、バス停の少女は何者だ? という点について考えてみる。

 こうして思い起こすと、不自然な点は結構多い。

 彼女はお嬢様学校として知られる櫻野学園の生徒だ。遅刻・早退なんてそうそうするはずもないのに、最初に見掛けたのは正午近い時間帯だった。

 ましてや、夕方になってから男と逢引きのような真似事などしないだろう。最早、考えるまでもなく不自然だ。

 そこまで考え、自嘲した。そういう俺はどうだ。

 偏差値高めの私立大学に通っているにもかかわらず、この素行の悪さだ。櫻野学園の生徒だからと色眼鏡で見ると、視野狭窄になるんじゃないか。

 じゃあどうして、あのバス停を利用しているかだ。

 櫻野学園までは、ここから三〇キロメートルほど離れている。

 あのバス停が、もし、通学の拠点であるならば、少女の実家は、俺の家と比較的近い位置関係にある、ということだ。

 だが……しかしだ。彼女の姿を見たことは、あの日まで一度たりとも無かった。

 それに、彼女はこの間、自宅は西公園の周辺なんだと言ってたような気もする。


「ダメだ。全然わかんねえ」


 堂々巡りになった思考に一応の着地点も見つからぬまま、問題のバス停に到着した。

 停留所の前には、あの少女はおろか、誰の姿もなかった。

 そりゃあ、そうだよな。常時この場所にいるわけがない。無駄だと知りつつも、待合室の中も覗いてみた。この日差しだ、外でバスを待っているとは限らない。

 しかし、中にも彼女は居なかった。

 木造りの壁には日焼けした時刻表がピンで止められており、壁には様々な罵詈雑言が、落書きされていた。

 そう言えば俺も小学生の頃、落書きをした事あったなあ、と懐かしくなり自分の筆跡を探し始めたが、直ぐに諦めた。

 今さらそんなもん見つけても、どうにもなんねえ……。

 疲労から、軽い痺れすら感じる両足を投げだしてベンチに座った。


「結局アイツ、何者なんだよ」


 落としていた視線を、ふと右側の壁に向けたとき、落書きのひとつが目に留まる。

 それは、小学生がよく書きそうな相合傘の落書きで、特段珍しいものでもない。問題なのは、添えられてあった名前の方。

 傘の右側には『三嶋くん』。そして左側には、『すみれ』と書かれていた。


「なんだよ、コレ」


 身を乗り出すようにして、落書きの筆跡を指でなぞった。

 最初は自分で書いたものだろう、と考えた。だが、自分の名前に君を付けることなど有り得ない。となると、この落書きを書いた人物は、このバス停を利用していた『すみれ』という名前の女の子?

 ここから連想できる人物は、たった一人しかいなかった。


『森川菫』


 だが……。彼女がこのバス停を使うとしたら、櫻野学園に通っていた中学時代のみ。それにこの筆跡、中学生にしては幼くないか? 本当にこれは、森川が書いたものか?


「もし、もし仮にそうだったとしても、今さらどうしろって言うんだよ……」


 俺と森川はあの日デートの約束をして、そして彼女は来なかった。

 あるのはその事実だけだ。

 その後も俺は結局、森川に会いに行く勇気が湧かなかったし、彼女からは何の謝罪も連絡もなかった。二人の関係は、それで終わったんだよ。

 ……それだけの事、なんだよ。


 鬱屈とした感情をかぶりを振って断ち切ると、バス停留所を後にして自宅の方に足を向けた。


 次の日からも俺は、毎日のようにセーラー服の少女を探した。

 バス停のみならず、近場のショッピングモールや喫茶店。レストラン。それこそ枚挙にいとまがないほど、色んな場所であの少女を探し求めた。

 櫻野中の制服を着た女の子を見かけるたび、目で追いかける俺を見て、「いつの間に、ロリコンになったの?」と隣を歩く美帆が冷ややかな口調で言う。「そんなんじゃねーよ」と嘆息しながら否定した。

 食い入るように美帆が俺の顔を見ていたが、恐ろしくて目を合わせられなかった。見つめてる、というよりは、睨むような眼差しだったから。

 流石の美帆も、自分の方に気持ちが向いていないと勘づいたのだろう。ここ数日、露骨に機嫌が悪かった。

 だが、どんなに捜し求めても、少女の姿を見つけることはできなかった。

 

 ──もうこのまま、会えないのかもしれない。


 そのまま五日過ぎ去って、次第に諦め始めたころだった。久方ぶりに、あの少女の姿を見かけたのは。

 それは、数日ぶりに雨が降っている朝のこと。いつものように大学へ行くためバス停の前に到着すると、あれだけ捜しても会えなかった彼女が、何事もなかったかのように佇んでいた。

 ……ようやく会えた。

 安堵、もしくは安らぎのような感情がわきあがってくる。足早に駆け寄ると、彼女の真横から声をかけた。


「おはよう」

「おはようございます。朝にお会いするのは、初めてですね」


 こちらに顔を向けて、彼女は花のように笑ってみせた。今日の雨は小降りだが、傘を差すことはやっぱりなく、ぶらりと片手に提げたまま。


「これから学校に行くの? でも……」


 櫻野学園に行くのであれば、逆方向だよ、という言葉を飲み込む。そう、待つべきバス停が逆なのだ。今日ばかりじゃない。今までもずっと彼女は、こちら側のバス停にしか居なかった。

 敢えて遠回りをしているとも考えられるが、流石に不自然だ。


「いえ、今日は学校が休みなんです」

「平日だぞ? 開校記念日か何かか?」


 櫻野学園の開校記念日なんて、俺は知らない。


「んー。そうではなかったと思いますが」


 歯切れが悪いな。正直、開校記念日だろうがサボりだろうが、俺には関係ないが。


「もしかして今日も、西公園に行くのか?」

「はい。よくわかりましたね?」


 正確に言えば、彼女と繋がる拠点情報を、他に知らないだけなのだが。

 というか、この話の流れだと、西公園の周辺に彼女の自宅があるはずは無いな。きっと、この近所なのだろう。


「君の家って、この近所?」

「ええ。……ちょっと遠いといえば遠いんですけど、私、歩くの好きなんで」


 そうか。じゃあ、この間のはやはり、俺の早合点なのか。


「ところでさ、君の名前、なんていうの?」

芳田よしだです。芳野とかと同じ漢字を書く方の芳田」


 いきなり名前を訊ねたら、警戒心を植え付けるだろうかと心配したが、彼女はごく自然に答えた。

 芳田姓なら、同級生の男子に一人だけ居た。でも、彼に妹なんていなかったように思う。


「ふ~ん、そっか。俺は三嶋っていうんだ、宜しくね」と言いながら、おもむろに彼女の手を握ってみた。


 目的はひとつ。

 少女、いや、芳田さんが幽霊じゃない事を確認するためだった。そんで、普通に握れた。

 なんだ、幽霊じゃないな。と安心していると、彼女の手が小刻みに震えてるのがわかった。何事かと驚き顔を上げると、芳田さんの顔が熟れたトマトのように真っ赤になっている。

 一拍遅れて事態を把握した俺は、慌てて彼女の手を離した。


「ゴ、ゴメン」

「いえ……」


 呟いたきり、彼女も俯いてしまうものだから、照れくさい感情がこちらにも伝播してしまう。

 そうこうしているうちに、雨脚が次第に強くなってくる。傘を忘れていた事に気が付くと、そこで雨宿りをしようか? と芳田さんに提案した。

 彼女も頷いたので、二人で木造りの待合室の中に入り、ベンチに並んで座った。

 おもむろにバッグの中からスケッチブックを取り出すと、彼女に向かって半身になった。


「芳田さんの横顔を、描かせてもらっても良いかな?」

「え?」と言いながら、彼女の顔がもう一度赤くなる。

「三嶋さん、絵、なんて描く人だったんですね?」

「まあ一応、芸術学部所属の大学生だからね」


 ……というのは口実で、森川菫に似ている女の子の姿を、何がしかの方法で記録しておきたかった、というのが真相。

 もちろんスマホカメラで彼女を撮影すれば手っ取り早いんだが、敢えてそうしないのは、俺なりのプライドみたいなもんだ。

 色鉛筆を走らせながら、色々と質問を繰り返した。

 家はどの辺りなのか。

 兄弟は居るのか。

 何か趣味はあるのか、等々──

 家はここから二キロほどの場所にあるんだけど、近々引っ越しをする予定なんです。兄弟は居ないよ、一人っ子。趣味は強いて言えば読書。あと、花火を見るのが好きかな、と芳田さんはひとつずつ丁寧に答えた。


「三嶋さん、絵が上手なんですね」


 下書きが終わりつつある絵をチラリと覗き、彼女が感嘆の声を漏らした。落書きに毛が生えた程度のものだし、褒められても正直恥ずかしいのだが、悪い気はしなかった。


「最近、あんまり描いてないんだけどね」

「そうなんですか? 勿体ないですよ」

「別に辞めたわけじゃないさ」と俺は自虐的に笑った。「昔、好きだった女の子が居てね。彼女も、君と同じように、俺の絵を褒めてくれたんだ。だからかな……なんていうか、今でも未練がましく絵は描いているんだ」


 なんの接点もない彼女に、森川の事を語り聞かせている自分に軽く辟易する。

 なにを感傷に浸っているのか。まったくもって俺らしくもない。愛想笑いを浮かべたちょうどその時、路線バスがやって来た。


「あ、バス来たみたいです。それじゃ私行きますね」


 それじゃあ、と告げて立ち上がった芳田さんに手を振りながら、すっかり本降りになった空に視線を移す。雨宿りついでに、大学はサボろうかな……と、ぼんやり考え事をしていた。

 そのまま暫く、ぼーっとベンチに座ってた。思い出したように待合室から顔を出してみると、雨はいつのまにか、止みそうになっていた。

 重苦しい灰色の雲間から、うっすらと陽が射し始めていた。雨上がりの虹が見えた。

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