【拝啓、三嶋蓮様】
「西公園──か」
自室のベッドの上に、仰向けになって寝ころんだ。
あの少女の自宅は、たぶん西公園の近くにあるんだろう。だとするならば、森川がいま住んでいる家とは全く場所が異なっているし、二人の間に接点はない。他人の空似なんだ。
そんなことはわかっているのに、ここ数日、心が波立って落ち着かない。
理由なんて分かってる。あの中学生の立ち居姿が、森川菫と重なって見えるせいだ。
「くそっ」
忘れかけていた心の傷をえぐりやがって、と布団に突っ伏した。
もしかしたら。
もしかしたら彼女は、森川の妹とかなんじゃなかろうか? そうだとしたら、森川に似ている事にも合点がいく。
だが、と直ぐに考え直した。
彼女に兄弟姉妹なんていない。何年も前の惚れた腫れたを思い出すようで酷だが、俺だって当時、彼女に関する様々な情報を仕入れていたんだ。森川が一人っ子だったことも、友人の少ない女の子だったことも知っている。
霧島だったら――彼女が今何をしているのか、心得ているんだろうか?
そこまで考えが及んだところで、女々しい自分に自嘲した。
俺は森川菫にフラれた人間だろう? 何を未練がましいことを考えているんだ? 第一だ、今更彼女と再会したとして、何の話をするつもりなんだ?
──約束をしたあの日。どうして来なかったんだ?
──俺は元気にやってます。たくさんの女の子と交際して、エッチもしました。
アホらしい。こんな報告を今更してなんになる。そもそも会おうと思えば、森川の家に行くチャンスは何度かあった。彼女が引っ越す前の住所を、俺は知っていたんだから。でもそうしなかったのは――つまりそういうことだろう?
失恋をしたという事実を確かめるのが怖くて、会いに行けなかったんだ。
こんなこと……訊けるはずなんてない。
派手に女遊びをしてこそいるが、こんなのは、大学に入ってから作り上げた偽りの姿。本当は、優柔不断で心配性な、矮小な男でしかないんだ。メッキが剥がれ始めた自分に、心底嫌気がさしてくる。
「美帆には悪いことしたな……」
明日にでも謝っておこう。
そう考え直して上半身を起こしたとき、不意に思い出した。霧島と言えば……成人式のあとで掘り起こした手紙の中身、まだ読んでなかったな。
美術関連の書籍が乱雑に積み上げられたデスクの隅に、その封筒はぽつんと置かれていた。
椅子に腰かけ封筒を開けた。『三嶋れんさま』と書かれた封筒の中から出てきたのは、一枚の黄色い便箋だ。
黄色は、森川が好きな色だった。
いっさい記憶にないのだが、わざわざ俺はこの色を選んだのだろうか?
『黄色って、暖かい色だよね』
森川の声が、ふわっと蘇り頭のなかで弾けた。
なんなんだよ、これ?
目蓋の奥が、じんわりとした熱をおびるのを意識しながら、俺は便箋を開いた。
* * *
三嶋れんさま。
おげんきですか? 10年後は20歳になっているそうです。20歳なんて凄いですね。もう大人ですね。
どんな大人になっていますか? 僕には全然、想像できません。
今でも、絵はかいていますか?
中学に進んだら僕は、美術部に入ります。大きくなったら、大学でも美術を習いたいです。絵を描くことを仕事にしたいんです。その夢は叶いましたか?
まだだったら、夢を叶えるために頑張ってください。
──頑張れだって? 勝手なこと言いやがって。絵を仕事にするのが、どれだけ現実味が薄くて大変なことなのか、分かってないんだろう?
大学の講義すらサボり気味になっている自分を思うと、チクチクと胸が痛んだ。
森川すみれちゃんのことを覚えていますか?
僕は彼女のことが好きです。
でも彼女は、中学では別の学校に行くと聞きました。だからそれまでに、自分の気持ちを伝えられたらな、と考えてます。
でも、僕の気持ちに応えてくれるのか、自信がありません。
もし、まだ告白できていなかったら、もう一度彼女のことを思い出してください。そして、まだ好きだったなら、気持ちだけでも伝えてください。
森川の好きな色は黄色です。
森川の欲しいものは、優しいお兄さんだそうです。
僕はまだ子供だから彼女のお兄さんにはなれませんが、あなたは大人だからきっと大丈夫です。
彼女の、優しいお兄さんになってあげてください。
* * *
手紙を読み終えたとき、胸の奥からじわっと染み出してくる感情があった。行き場を失い、心の奥底に封じ込めていたその感情は、穢れを知らぬ純水のようにあまりにも無垢で、今の俺にはとても直視できない。
やめてくれよ。
そんなもの、思い出させないでくれ――。
「バカじゃねーの?」
俺が大人になった時は、森川だって大人になっているんだよ。いつまで経っても、俺は、彼女のお兄さんになんかなれねーんだよ。
優しいお兄さんどころか。
恋人どころか。
知り合いですらねーんだよ。
今の自分の醜さは、自分が一番よく知っている。
あの日約束を破った森川が悪いのか。彼女の期待に応えてやれる男じゃなかった俺が悪いのか。
そんなことは、今となってはどうでも良い。
森川菫の事を純粋に愛して、恋焦がれていた無垢な少年はもうどこにもいない。
ここに居るのは、女の子を性欲の捌け口としてしか見ていない、醜い男なんだ──。
◆
翌日、美帆と一緒に学食で昼食を摂った。
次の講義はお互いに空いてたので、適当に構内をブラついていた。
歩きながら、美帆が腕を組んでくる。ちょっとウザい。昨日の俺の冷たい態度に怒ってるかと思ったが、大して気にもしてないようだ。
そういうサバサバしているところは好きだが、直ぐにひっついて来るところは、正直面倒だ。切り替えが上手すぎるというか。
「三嶋君、今朝から様子が変だよ?」
「何が?」俺はだいたいいつも変だろ?
「心、此処にあらずって感じ」
それも普段通りだ。
「別の女の子のこと考えてるでしょ?」
ちょっと拗ねたような口調。エスパーかよ、確かに考えてた。俺の記憶の中では、永遠に十四歳のままの彼女のことだ。
「いつもなら直ぐに言い訳するのに、黙り込むとかいよいよ怪しい」
ごめんな、と言いかけて、言葉が喉元で引っ掛かった。今の俺のキャラじゃない。
「私の他に付き合ってる子、居るの?」
そういえば美帆って、「好きな人が居るのか?」とは訊かない。
「俺が二股掛けてたら怒る?」
「一応は」
一応なのか、やっぱ適当だな。質問に質問で返す俺も、大概に卑怯者だが。俺らの関係ってやっぱり浅いな、と自覚しながら、さらに質問を重ねる。
「もしかしてだけど、昨日バス停で女の子と会ってるところ、見てた?」
中学生とかロリコンかよ。こう言って、からかうように小突いてくるのを予想してた。ところが──。
「何の話?」
「いや、だから……昨日美帆と別れた後に、俺が向かったバス停での話」
「うん、バス停の方角に走って行ったのは見たよ。そのあと暫く、その場所に居たのも」
『――ひとりで』
ひとりで? お前は何を言ってるんだ?
ひやりとした冷たいものが、お腹の底あたりからせり上がってくる。それは奇妙なほどにはっきりとした質感をともなって、胸のあたりを凍えさせた。
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