生きてりゃ人生色々あるし、とりあえず食べるか緑のたぬき?

東藤沢蜜柑

第1話 生きてりゃ人生色々あるし、とりあえず食べるか緑のたぬき?

「いや絶対美味いからさ、とりあえず一口食べてみよ?」

「食わねーよ、一人で食べてろ」

「えーだってもうお湯注いじゃったし二人分。こんなに食えんて一人じゃ」

「知らねえわ。お前が勝手に作ったんだろ」

 悪い奴ではないのだが悪い奴ではないというだけの、「悪い奴ではない」という概念の擬人化みたいな奴なのだ、幸汰は。そんな奴から向けられる好意に、価値がないとは言いたくないけれど、だけどやっぱり私は"悪い奴"が好きだ。悪い奴は、私を知らない場所へと連れて行ってくれる。あるいは、私の知らない場所から来た人だから、悪く見えるのだろうか。

「なんていうかでもやっぱり無理、なんじゃない?」

 お湯を注いだ緑のたぬきをずい、とこちら側に押しやって幸汰は言う。

「は?」

「いや、勿論分かってるよ僕は。僕に敢えてこんな誰がどう見てもそうだろみたいなことわざわざ指摘されなくたってアイちゃんだってそんなのとっくに承知だってことを分かってるよ僕は」

「あ?」

「え、あ、いやだからさ、DJなんてさ、そりゃ無理だよね。僕も何回か付き合いで回したことあるけどさやっぱ無理だよあれは。だってさ、DJなんてさ、それしかないって人がやるもんじゃないじゃん。それしかないって人はさ、多分人の曲流したりしないんだよ。自分で歌ったり書いたりさ、もっとこう直接的にこうなんだろ、自分の余剰みたいな部分が溢れ出るっていうのかな、その出口がそこしかないからそれをやってるみたいな人なんだと思う」

「ごめん何言ってるか全然分かんない」

「え、分かんない? だから、つまり僕にしとけば良いのにって話なんだけど」

 私の手は衝動的に目の前のジョッキに伸び掛けたが、高速を走っていたら突如目の前に現れた対向車を避けるドライバーのハンドル捌きで枝豆へと落ち着かせる。もしもジョッキを掴んでしまっていたら、そのままこの昼行燈の頭に叩き付けていなかった自信がない。

「お前さあ、何でそんなに自信過剰なの? いや、全然羨ましくないけど」

「え、自信とかないけど別に」

「自信がないなら何なんだよその傍若無人な振る舞いは。何で私がわざわざお前を選んでやんなきゃなんねーんだよ」

「それは、アイちゃんも実は自分が恋に恋してるだけだって気付いてるから、そんな誤魔化しはもうやめて僕にしとけばっていう……」

「あーもううっせえわマジで。何でお前はそんなに馬鹿なの? そんなんで口説けると思ってんの? てか私が馬鹿にされてんの?」

 さっきまでの軽口が止んで、さすがに幸汰も神妙な面持ちだ。ちょっと言い過ぎたかも。っていうか私は一体何にキレてるんだ? 私はただ、フラれてもフラれてもあっけらかんとしているこいつの態度が気に食わなくて、だけどその気に食わなさには確かに憧れも含まれていて、だからこいつを見ていると無性に腹が立って仕方がないのかも知れない。

「あ、ほらもう三分経ったよ!」

 そう言って顔を上げた幸汰は早速緑のたぬきの蓋を剥がす。その表情には曇り一つなく、その顔を見た途端私は何だか拍子抜けしてしまった。馬の耳に念仏、猫に小判。豚に真珠、あれ、狸を使った諺って何かあったっけ。

「ほら見て、チーズとろっとろ」

 ネットでバズったアレンジレシピだと得意げに幸汰は言う。たかだかスライスチーズを一枚乗せて湯を注いだ程度で偉そうに。

「そばにチーズが合う訳ないでしょ」

「いやあそう思うでしょ? でもほら、鮭とチーズってめちゃくちゃ合うじゃん? 緑のたぬきも鰹出汁だしさ、普通に合うと思うんだよね。魚系のやつと乳製品って」

 うんウマッ! と言いながら幸汰は早速そばを啜る。何が悲しくて好きでもない男と一緒に部屋で年越しそばを啜らにゃならんのか。そんなことを思いながらも、溶けたチーズに覆われた天ぷらが出汁を吸い口に運ばれていく様子を見ているとお腹が減ってくる。仕方がない、一口だけ。

「え、普通に美味いじゃん」

「でしょ、だから言ったじゃん」

「そのどや顔マジでうざいな、お前が考えた訳じゃねえだろ」

「でも僕が今日作んなかったらアイちゃん一生食べなかったでしょ?」

「あーはいはいそうですね、ご馳走様です」

 気付くと二口、三口と食べ進み、結局は平らげてしまった。うん、美味しかった。ものは試しとはよく言ったものだ。

「同じ穴の貉、か」

「え、何が?」

「なんでもない」

 結局は幸汰も私も、今自分が持っていないものを、持っていないというだけの理由で欲しがっているに過ぎないのかも知れない。それは悲しいことかもね。でも、それ以外に一体何をどうやって欲しがればいいのだろう?

「ねえ、なんかラップしてよ」

「え、今?」

「うん、早く」

「え、ちょ待って。なんかお題ちょうだい」

「じゃあ"赤いきつねと緑のたぬき"」

「湯注いで五分でできる赤いきつね ただ生き辛れぇような毎日だとしても 生きてりゃ人生色々あるし とりあえず食べるか緑のたぬき チーズも着こなす懐の広さでできれば君を包み込みたい 捕らぬ狸の皮算用?いや狸を捕るまで笑わんぞ」

「おーすごいじゃん」

「どうも」

 何だか結局こんな調子で、来年も変なアレンジの年越しそばを私はこの部屋で食べているのかも知れない。

「DJなんかやめとけって言う割に、あんたはラッパーで、しかも緑のたぬきにチーズとか入れちゃうんだ」

「まあそこはそれ、美味けりゃいいっしょ」

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