番外編4 猫のいるかふぇ

カフェ

「おぉ、らっしゃー、旦那だんにゃぁ


 コーヒーの香りがする。

 ネームプレートを光らせた、エプロンに猫目の店主がぐるぐる回すコーヒーミルがガリガリ鳴っている。


 事務所から徒歩3分、高萩行きつけの小さな喫茶店。どこかで聞いた曲がBGMに流れている。

 客は誰もいない。


「コーヒー。アメリカン。ブラック。」

「はいはいだだいま〜」


 真っ白なカップに店主の後ろに置かれたコーヒーメーカーからトポトポ黒い液体を注ぎ入れた。そしてその横では律儀に毎度添えられた使いもしないスプーンがきらめく。すすったこの店のコーヒーはただただ苦く、今日もまずい。




「なあ、旦那だんにゃ。たまにゃあ、別のもん飲まニャアの?うちなんでもあらぁよ?」

「……。なんで、さっき挽いてたコーヒー豆、使わなかった?」


 高萩が渋い顔をして店主に問いかける。


「そら、ありゃぁ、あんたが飲むニャあ向いてニャぁもん。人向けじゃニャアからにゃ。」


 胡散臭い。店主はガリガリ古臭い形のミルをかき混ぜながらそう嘯く。やたら聞き取りづらい言い回し。じゃあ何向けなんだとの質問を飲み下し、半目の高萩が折れて話をかえる。


「このコーヒー相変わらず不味いな。」

「そらそうだろうにゃあ。おらぁ臭くて  コーヒー淹れんの嫌いだからにゃあ。あんさんのために用意してんだから感謝してほしいぐらいだにゃあ〜。」

「……そのニャアニャア言うのをやめろ。聞き取りづらい。」


 色々なモノを苦いだけの液体とともに飲み込んだ高萩が話を変える。


「んー?おかしいにゃあ。俺はちゃんと大人の言葉を聞いて覚えたからぁにゃぁ?」


 店主はどこまでも不審な言い回しで笑った先の、細い目の奥で瞳孔をキュウと狭めた。事務所が近くなければ高萩がここに来ることはなかっただろう。店主は妖しげな上にコーヒーはまずい。

 コーヒーミルの中身を取り出すこともなくカウンターの奥、高萩からは手の届かない場所にポンと置いた店主はカウンターの中の椅子に腰掛けた。


「よいせ。ソレ匂いがきつぃんだよにゃあー。旦那だんにゃ紅茶党にならにゃぁの?その方がうまいもんだせらぁよ?」

「要らん……。」


 その言葉はどこまでも嘘くさい。


「ならそれ飲んでくれにゃあと。せっかく淹れたんだから頼まぁよ?」



 高萩はうるさい小蝿を払うような仕草をしたが、その泥水味の液体をなんだかんだと残したことはなかった。

 高萩は店主のいつ見ても、彼を面白いものを見るような目で見つめ返してくるところが苦手だった。そのにまにました不審な笑みは煙のようにまとわりつく。


「時に旦那だんにゃぁ。そろそろ旦那ダンにゃのその幸運の秘訣教えてくれる気になったかにゃぁ?」

「……秘訣なんかねぇよ……。」


 累算数十回を超えるその質問に、うんざりした高萩はそう返した。ついでに言えば高萩は幸運であると同時に不運でもある。


「可笑しいにゃあ。ここは普通の人間ヤツが来るような店じゃぁ、ニゃぁんだけどにゃあ。旦那だんにゃの正体が俺はもう、気になって気になって、夜も眠れにゃぁよぉ。そのせいで朝遅刻しちまうわぁ。新しい客逃しちまう。」


 ダラリとついた頬杖の上で子ぶりな白い歯が並んでいた。

 高萩の手の中のコーヒーカップの中身もは冷たくなりつつある。まずいコーヒーは冷める前にさっさと飲んでしまった方がいいだろう。


「この店もともと朝開いてねぇだろ。」

「んははは。そーらそうだにゃぁ。」


 暇を潰すように店主はグラスを片手間に磨き始めた。


「とーころでぇ?旦那だんにゃ〜?変態に監禁されかけたんだってニャア?」


 ニタニタ意地の悪い顔を傾けて質問の形にはしているが、わかっているようだ。どこで知ったのかわからないが、あの屋敷での出来事を聞いたらしい。目の奥がおちょくる気満々でひかっている。


「知らん」


 高萩の不機嫌な声が答えだった。コーヒーを大きく煽る。


「んは!旦那だんにゃほんと、愉快なお人だよニャァ。俺ァ、何があったのか旦那の口から聞きテェにゃあ!?」


 ニヤニヤした店主に煽られた高萩がその顔を睨みつける。表情はそのままだったが、店主は大人しく口をつぐんだ。折れたのを察した高萩はカップを空にする作業に戻った。


「……あんたこそ、あんたの正体ってやつは何なんだよ。」

「そらぁ、前から名乗ってらぁよ?」


 店主がトンとネームプレートを弾く。安全ピンでエプロンに貼り付けられた、シルバーのソレには『猫又』と刻まれている。


「俺は猫又の浅葱だってにゃあ。」

「俺だって高萩 一だ。」

「うーーーん、旦那だんにゃ抜けてるよニャあ。本能ってやつが薄いんかいねぇ。」


 音をよく聞いているのか、それともなければ何か見えているのか、店主が半笑いのまま天井に顔を向ける。チューニングに似た動きでその首を軽く振ると、すぐに一点を向いてピタリと止まった。耳がドアの方を向いている。


旦那だんにゃもう帰るんかい?」


 店主は上を見上げたまま視線だけで高萩を見た。白いコーヒーカップの中身はもう空だ。


「……?ああ。もう帰るが?」

「ほんっとおかしいにゃあ?どうやって検知してんのかいつか教えてほしいもんだニャァ?」


 高萩の訝しげな顔をものともせず、ぶつぶつ言いながら店主はレジスターを慣れた手つきで叩く。高らかな音を立てて開いた引き出しの中は整理されておらず、札と小銭が辛うじて分別されているだけの箱だった。金銀銅の全てがごちゃごちゃになった中身に高萩がカルトンに転がした小銭を中に適当に放り込む。

 チンッ!


「じゃあにゃ。また無事のご来店お待ちしているからにゃあ?」


 閉まっていく扉の向こうで店主が手を振っていた。

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