番外編1話 妹のワンピース
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高萩は偶然一度だけ屋敷の外で長谷川を見かけたことがあった。
その日彼女は長袖の黒いワンピースを着て、ほんのり黄色と黄緑色の入った白い高そうな日傘を差すでもなく持て余している。洋服にはこだわりがないのか、エプロンを外しただけのメイド服だったが、髪だけは普段の様に高く結ぶのではなく、下ろしたまま緩く三つ編みにしていた。質素なメイド服の片腕には有名なブランドの大きなショッパーが引っかかっているのが適当な服に反して酷くアンバランスだった。
彼女は丁度ナンパ師というには身綺麗で誠実そうな男に口説かれていたが、男が口説き文句を言う度に、その無表情に(何を言っているんだこいつは)と言う意味を込めた顔で機械的に「恐れ入ります。」としか長谷川は返さない。ナンパ師は心が折れつつあるものの、かと言って引くタイミングもないといった、いっそ哀れな様子だった。
「……どうも、長谷川さん。」
ただ立ち尽くすナンパ師の肩を掴んで後ろに引き剥がす。いっそソイツを庇うように前に割り込み、代わりに長谷川さんに相対してやる。その光景において絡まれていた彼女より、男の方が安堵していたのが実にシュールだった。そのまますごすご去っていく男を二人は一瞥すらせずに黙殺した。
「……お久しぶりでございます。……高萩様。」
その目を一度二度瞬きし、更に瞬きを一度挟んだ後に高萩を呼んだのは咄嗟に名前が出てこなかったのか、予想外の展開に驚いたのか、……男の話を聞かずに相槌を打っていたせいで頭が追いつかなかったのかはその無表情からは判断が付かなかったが、少なくとも高萩が多比良こと、自分の主人の友人の男であることを理解している様だった。
「あぁ……。 はい、まぁ……。」
その頃高萩は背中にそこそこの火傷を負い、怪我したからしばらくは行けないと一方的に告げ、多比良からの連絡を遮断していたタイミングだった。やっと完治してまた屋敷に行くか行かないかというところでの話題だった故に、ひどく歯切れの悪い解答となってしまったが、長谷川は気にも止めずに彼を見返してくる。どこか睨むような雰囲気のある高萩の無表情と解釈の余地すらない長谷川の無表情がなんの意味もなく向き合う。
「……」
「……」
どちらともなく破ることのし難い、質量のある沈黙が落ちる。二人は仲が悪い訳ではなかったが、そもそも仲が悪くなるほど親しくもなかった。その横を何の事情も知らない自転車が舌打ち混じりに抜けていく。どうやら美女と往来で見つめあっているのは端に避けていても人の反感を買うらしい。
「今日は車で来ているんですか。そこまで送ります。」
「……それは――……。」
高萩は通行人の態度に辟易としながらなんともいえない顔でテンプレートな文面を投げやりに言う。敬語になったのは長谷川との距離を測り損ねたからであり、言葉の中身ですらただの移動のための言い訳に過ぎないそれが沈黙を破る。少なくとも崩した言葉で話す距離感ではない。
……高萩も周囲に似たようなことを度々思われているから人のことを言えたものではないが、長谷川の人形のような無表情が酷く苦手だった。
対してその言葉に彼女は困り眉をさらに悩ましげに顰め、高萩を見つめ返した。
長谷川にとって高萩は主人の友人であり、送ってもらうことに多少抵抗があったが、彼女はその名に相応しく、一人で歩けば蛾も蠅も蝶も蜂も害虫から益虫まで寄ってくる大輪の百合の花である。彼女は静かに思考を回す。
車までは徒歩30分。初めに目的としていた店では納得のいくものがなく、気がつけば車からかなり離れてしまっていた。ここから戻るまでの間に何人に絡まれるのか、彼女に目を奪われた恋人に愛想を尽かす女性が何人いるのかをこれまでの経験から考える。帰り道だけで声をかけていたのは先程のナンパ師で三人目。
最終的に二人は「よろしくお願いいたします。」の一言を合言葉に並んで歩き出した。かと言ってポツポツどころか点々と落ちる会話はついぞ弾まず、高萩が得たのはその高級そうな日傘は出かける前に多比良が長谷川に渡したものであったこと、長谷川には彼女よりも美しい妹が居ること、ショッパーの中身はその妹へのプレゼントであることの三つだけだった。
彼女は高萩から借りたという車の後部座席に丁寧に袋を置くと、優雅に彼を振り返って礼をした。
「本日はありがとうございました。」
ただそれだけの仕草が美しく。彼女より妹が美しいということが事実なのだとすれば、その妹は人間を辞めているようにしか思えない。家族の欲目か彼女の自信のなさによるものか。いずれにせよ高萩が妹殿に会うことは無いのだから何ら関係はない。彼女にとって大切な妹が居る、ただそれだけの情報と、無表情にも感情が籠るのだから自分も気をつけなければならないという教訓を刻み込んだだけだった。――ついでと言ってはなんだが、次の多比良の説教では「気に入った相手に貢ぐのを辞めろ」、と昔から幾度となく言っているカウンターを食らわせる事ができそうで何よりだ。
この時の高萩はこれで満足したが、実際は多比良の「もっと自分を大切にしろ」パンチとクロスカウンターの後、「学生時代の思い出」キックと「先日の事件解決のお礼」パンチで大激論を交わすこととなる。……二人ともまだまだ若かった。実際の手足が出なかったことと怒りの内容だけが大人と言えるかもしれない要素であり、残りは小学生のお子様と大差ない。
因みにこの件は喧嘩がある程度落ち着いていた頃、飲み物のお代わりを持ってきた長谷川が高萩に対し礼を言ったことによって収束することとなった。彼女らの距離が縮まる事はなかったが、かと言ってその後も特段離れるでもないままに終わったのだった。ただし、この件から長谷川百合子が来たら話を一度落ち着かせる習慣が出来上がってしまったことは誰にとっても誤算だった。まぁ、どちらにせよ大人のフリした子供の喧嘩が減ったことは良かっただろう。
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