第19話 告白


 疲労に加え、目の事情や長谷川との取引から医者に連れて行くこともできないまま過ごした次の日の夕方、西園寺家のお抱えだと名乗る医師が銀竜荘に現れた。

 西園寺に関わるすべての問題が大事にならないために存在していると言うその男の登場はあまりにもタイミングが良すぎたし、西園寺青笹の関係者であると言うだけで少しも信用できなかったが、病院に連れていけば大ごとになるどころではない。高萩は自分の精神を削りながら長谷川と医師を警戒しつつ多比良の看病をすることになった。

 もちろんそれにあたって一悶着ありはしたものの、何事もなく二週間も経過した頃には多比良の症状も安定し、しっかり受け答えが出来る様になっていた。とは言っても医者も首を傾げたその黒く染まった白目だけはどうしようもなく、手足にも多少の後遺症が残ることにはなったが。それでも思考や記憶等には問題がない程度には快方に向かっていった。


 多比良が回復するまでの間、高萩と長谷川は互いに向き合うこともなくただ互いの大切な人の世話をする時間を過ごすことになった。どちらもこの館を去ることはなく、害すこともなく、かと言って警戒を解くこともできないまま、静かに多比良の回復だけを待っていた。

 使われていなかったこの館は暗く、陰鬱だ。


――――――――――――――――――


 十分に多比良が回復したと医者が判断した、事件の日から二週間後のその日、二人は徐に多比良を挟んで左右に陣取った。高萩は窓を背負い、長谷川は出入り口を背負う。逆光の高萩の顔は非常に読みづらく、逆に順光であるはずの長谷川の顔は日の光に照らされてもなお中央にぽっかり大きな穴が空いているのではと錯覚するほどに虚無だった。

 両者の心臓の音が聞こえてきそうなほどの緊張感に包まれた二人は逸らすことなく視線を交差させ、そんな二人挟まれた多比良は胡散臭い、どこかやつれた苦笑いを浮かべ、事件から初めて顔を合わせた長谷川に何かを察した様子で困ったような顔のまま切り出した。


「うーん、まずは……僕の知っていることから話してもいいかな?」


 視線を一切動かすことなく2人が軽く顎を引くようにして同意すると彼は口を開いた。そこでようやく睨み合っていた2人の視線が解け、揃って多比良の方を向く。


「僕は実は何にも知らないんだ。」


 その言葉に高萩はぎゅっと眉根を寄せ、長谷川は視線を落とした。それぞれの小さな否定と肯定の仕草を互いに観察し、今度はそれに違った意味で眉を寄せ、視線を逸らす。

 多比良はそんな二人にため息に似た笑いと共に言う。


「本当だよ、ハジメ。あの日の夜、人を人形にしてしまう計画を聞いて……。あ!どこまで説明すればいいのかな……。あの薬がどんなものかって知ってる?」


 2人が口を結んだまま頷くとそれを確認するように二度多比良も頷いた。


「そっか。うん、あの夜僕はまず、隠し部屋に案内をされたんだ。」


 青笹が廊下の照明の一つをぐっと下に引くとドアのノブを回した時の、カチャンとという軽い音を立てて隠し扉が開いた。そこはあのアトリエだった。その迷いない背を追って部屋の中を進んでいったことを覚えている。


「そして、マネキンの手や足、首が置かれたその空間を抜けて、あの部屋にたどり着いた。僕にはそこがデパートみたいにも撮影のセットみたいにも見えた。チカチカ一つ一つの人形が輝いていて、綺麗で、おじさんは人形のこういうところが好きなのかな、と思った。……僕はなんでこれまでこの部屋を知らなかったのかと後悔した。」


 そう言いながら掛け布団の上を視線がなぞる。黒い目の殆どが瞼に隠されると目尻のほくろがひどく目立った。


「ショーケースの中身を見る5歳児とおんなじ目をした、僕と全く同じ顔のおじさんの口が開いて、僕を誘った。

 鏡の中の自分が手招きしてるみたいに不気味だった。

 あの人は『人間を人形にする薬を開発した!』高らかにそう言ったんだ。甥っ子の反応を喜んでる、親戚のおじさんみたいな表情で。」


 一瞬多比良の唇が戦慄き、言葉に詰まったのがわかった。そのまま固く目が閉じられ、眉間に皺が寄る。


「そして僕にあの人は」


 少し大きく息を吸って絞り出した言葉は不自然に途切れ、一瞬開いた視線も逃げるように下に落ちた。その先で思考の糸をまとめるように両手の指先を重ね合わせ、唇を震わせる。それを見られていることに気がつくと、ハッと誤魔化すように緩く右手の握り拳を作り左手で覆い隠した。無意識に出た何かを隠す仕草に高萩の眉が跳ね、多比良が肩をすくめる。

 刻々と迫る断罪を待つように話を聞きながらじっと多比良の足を覆う布団をにらめつけていた長谷川が、止まった言葉に対して訝しげに顔を上げ、そちらを見たところで彼は笑って誤魔化しながら話を続けた。


「この薬を使えばこんな素晴らしい空間を作れるんだ。だから協力してほしいって言った。」


 僕がそんな倫理観に外れたことに頷くことはなくて。


「だってあれは殺人で、遺体損壊で、人権侵害で、きっと僕の知り得ない色々な犯罪の集合体で出来ていて。止まらないおじさんは僕が唖然としている間にも薬の薬効を副作用を説明していた。副作用で白目が黒くなってしまうことと、0.2mlを七本分打つだけで人形として完成することがやけにはっきり聞こえてた。」


 話疲れたらしい多比良が小さく身じろぎをし、ヘッドボードに積み上げた背もたれにしているクッションにもたれかかると古臭いベットから小さく軋む音がした。乾いた喉を潤すように唾液を飲み下す。


「後は知ってるんじゃないかな。それ以降に僕の記憶は殆どない。遠い意識の中で目の前に立つ人は見えていたぐらいだ。

 とにかく、僕はおじさんの説得に失敗して、こうなった。僕に言えるのはそのぐらいかな。」


 困った顔で笑ってため息をついた。全てが終わった今になってさえ、その瞳は相も変わらず黒いまま。

 何も続きがないことを悟った高萩の視線が長谷川へと移るのに合わせ、多比良の目も自然に彼女へと向かった。

 二人の目が集まってから数拍の間を置いた長谷川が口を開く。唾液を飲み下す音が聞こえた気がした。何から話し始めるか迷うように口の端で印象的な黒子が震えた。ゆっくり息を吸い込んで口を開いた。

 少し、その仕草は多比良に似て見えて、高萩が思わず苦い顔をした。


「私は、何も知りません。」


 高萩の手に力がこもり、多比良が困った顔で吐息が漏れる。


「いいえ、本当に、何も。」


 それでもなお言い募る長谷川はそのまま続けた。

 ――……私のわかりうる全てについて初めからお話しいたします。と、

 彼女は結局逃げも隠れもしなかった。


「私には、妹がいます。

 妹は幼い頃からだれよりも、なによりも美しい子でした。私は妹のために生きてきましたし、妹の望みこそ全てでした。」


 妹は誰もがその目を奪われずにはいられない世界の至宝でした。そう続ける目がその言葉を心から信じていることを示す。向き合う高萩を見ているようで見ていない。伸びた背筋は微動だにせず、レコードが中に組み込まれた機械を見ているようだった。


――――――――――――――――――


「しかし、私が十六の終わりを迎える頃でした。あの子はある病気にかかりました。その疾患は彼女の体を蝕んでいき、後に彼女は死ぬはずだったのです。

 醜く死ぬぐらいであれば早く死にたいと、そう零す姿は見ていられなかった……。」


 両親は頼りにできなかった。自分は子供だった。


「ある日、妹が珍しく一人で出掛けて行きました。気がつくとフラと姿を消していたのです。不安ではありましたが、私は彼女の行動を制限はしませんでした。私に声をかけなかったということは一人になりたかったのだろうと思いました。」


 そして、そして。

「帰ってきた妹は、」

 西園寺邸に行って

「自分はこのまま」

 美しさを損ねないまま、

「私の愛したまま」

 眠りにつくのだと言った。


「どのような経緯であったのかは知りません。

 ただ、その日帰ってきた、確信と決意に満ちた妹が、姿を変えぬままに眠りたいと望むのならと。

 引き止めなかったわけではありませんが、最終的には妹が望むままにあのお屋敷へと向かいました。」


 疲労で弛緩しかけた体に鞭を打って彼女が続ける。


「……妹は0.2mlを七本分打つ、たったそれだけで人形として完成しました。老いることも、死ぬこともなく眠り続けるのだと。」


 私は、妹の望むまま、あの子の体に針を刺し、その薬を打ち込んで、殺しました。


「それが丁度私が17になった頃のことです。」

 あまりにもあっさり妹は死にました。

 冷たくなるはずの暖かさの消えたその体は温く生暖かく、冬眠でもしているだけなのではないかと期待せずにはいられなかった。

 いいえ、それでも妹は死にました。


「青笹様は誰よりも美しいあの子のことをとても気に入って、優遇を。私はあの子専用の部屋で眠るあの子を何よりも優先して世話をやくためにあのお屋敷でメイドになり、隠し部屋を含めた館全ての管理を任されました。

 私があのお屋敷に入った時にはもう隠し部屋はお二方がご覧になった状態でした。

 妹と同じように人でできたお人形のお世話を。」


 その頃ですね、千歳さんがあのお屋敷を引き継ぐことが決まったのは。

「青笹様はあの隠された部屋たちを教えろとも教えるなとも言いませんでしたから、私は黙秘しました。妹に対してどのような反応があるか分かりませんでしたから。」


 それが私の知るすべてです。

「あの隠し部屋の存在を知っていました。

 人形たちが人間であることも。

 原材料が黒い粘性の生き物であることも。

 その生物たちが寒さに怯えていることと、あの生物たちを消火器を使って封じ込めることが出来ることも。」

 しかし、それでも既に自分が来た時には全てが終わっていた。

 だから詳しくは、なにも。すべての理由を何一つとして知りません。

 でも、少なくとも妹と同じように望んでああなったのだ、そう聞いています。

 私は全てが飾り立てられたあの場所を美しくあり続けさせるためだけの番人とさほど変わりありません。

 何も、知りません。


――――――――――――――――――


 いつのまにか長谷川の視線は下がり続け、多比良の布団に埋もれた足先だけを見ていた。正確には見ているようで見ていなかった。白い清潔なシーツの向こう側にあるものが動かない他の誰かであるような目で見ていた。

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