第6話 夕焼け

 あと少し経てば夕飯の時間だ。夕飯の直前に渡しても邪魔になるから、その前に多比良に廊下に落ちていた人形の目を返してしまおう。そう考えた高萩は自室のテーブルから取り上げたそれを改めて握りなおした。それそのものが宝石のように手の中で転がる度にキラキラ光る。

 廊下の遠くの方からドアを開け閉めする音がする。メイドが何かしているのだろうか。

 高萩は静かに歩きながら思考を回す。

 もし、アレが防災用でないとしたら、なんの用途だろうか。

  ――あれは……。

 高萩はまた浮かんだ非現実的な考えを否定するように鼻を鳴らした。考えを打ち消すように足元を見つめていた視線を、角を曲がりながら前へ向けた。

 視界の先で次の角を茶色い尾が消えていく。今この屋敷で茶色い長髪をしているのは多比良だけだ。

 声をかけて呼び止めるには少し遠いが、アイツが曲がったのは渡り廊下に繋がる道のはずだ。東館まで行けば問題なく合流できるだろう。予定通りに向こうまで行けばいいだけだ。

 それにしても、高萩は西館を抜け、渡り廊下まで来たが、ここにくるまで火災斧や消防ホースは一つとしてなかった。……本当に、火災用だろうか。頭のどこかで湧いては消える。

 多比良の部屋に向かって歩いていく。静かな廊下だった。静かすぎて絨毯に染み込み損ねた一人分の足音だけがする。またドアの閉まる音がどこかから聞こえた。メイドの作業音だろうか。

 角を曲がると、渡り廊下に差し込む夕日が目に刺さった。思わず目が眩み、瞬きを繰り返す。点々と明かりの灯った廊下が前がよく見えないほどに赤く赤く燃えている。ひどく暑く、燃えて、焼けて。昼間と空気になんら変わりはない筈なのに息が詰まるほど激しく日が落ちていく。完全に落ち切る直前の、瞳を焦がす夕焼け、マジックアワー。木々の隙間、その日差しに目が貫かれた。

 手を翳して影を作り、目を細めて渡り廊下を抜け、壁沿いに歩いた西館の一階の奥。廊下の突き当たりの扉は先代の部屋だったらしい、笹のデザインされた開かずの扉。その、右隣。その赤茶色の扉が多比良の部屋だと高萩は知っていた。

 ノック。返答はない。

 ノック。

 ノック。


「おい、多比良?」


 無音。痺れを切らした高萩が眉を顰めたところで後ろから声がかかる。


「あれ、ハジメ。何か用?」


 間。


「お前、さっき俺より先にこっちに来ていなかったか?」

「うーん、僕は基本的にまだ東館にいたけど……?どうかした?」


 先にこの部屋に向けて歩いていた筈の多比良がそこにいた。多比良が嘘をついている様子ではない。高萩は目を細め、そう判断を下した。


「……西館の客室からか?」

「え?いや違うよ。客間にこっちから運んでおきたかった荷物を選別していたら掃除が捗っちゃって。ゴミの分別を長谷川さんに聞いてたんだ。」


 高萩の質問の意図を汲んだ多比良が詳細に答えながら赤茶色の扉を開き、30センチ程度の小さなボックスを持って出てきた。


「ほらこれ。」


 向こうに持ってっておこうかと。と見せたのはいくつかの筆記用具と本の入っている様子の箱。もし多比良が嘘をついていて、事前に用意したものだとしても高萩にはわからない。ただ、その多比良の様子は嘘をついているようには見えなかった。


「そうか……。ならいい、なんでもない。わるい。

 おい、これ。」


 嘘をつくようなことでもないし、もしかすると西館で多比良だと思ったのは高萩の見間違いだったのかもしれない。そう結論付け、その手を多比良に突き出した。正確にはその手のひらに握ったドールアイを差し出した。オーロラ色のそれが手のひらの上で照明を受けてキラキラ輝く。

 やけにリアリティのある義眼が高萩の手の中で転がったことに、一瞬驚いたような顔を浮かべた彼は箱を小脇に抱え直し、それを思わずと言った様子で受け取ると、偽物であると気が付いたところでやっと全身の力を抜いた。


「あ。人形の目かぁ、わざわざ持ってきてくれたんだ?壊れちゃったのかな?……ありがとう。」

「……なぁ、多比良。これ、どこに置いてある人形の目だ?」


 高萩はもう一度問いかけた。直感に従って、探るように目を光らせる。細まった目は傷と相まって睨んでいるようにも見えた。


「え。ごめん、わからないな。僕はこの屋敷にある全ての人形を把握している訳じゃないから……どうかした?」


 しかし、傷ができる前であれば高萩の顔など学生の頃から見慣れている多比良は困った笑みでサラッと返す。そもそも質問の意図がわからないようだった。


「これを、部屋の前で拾った」

「え?あの廊下で?」


 きょとり、と瞬き。


「おかしいな……、ハジメが来る直前にあそこは長谷川さん掃除してくれてたみたいなんだけど……。気がつかなかったのかな。」


 訝しげに首を傾げながら手のひらの上でその目を転がす。その言葉に高萩は眉を跳ね上げた。やはり、たしかにあの廊下にドールアイは落ちていなかった。……それどころか、あの廊下にはあの印象的なオーロラアイの嵌っている本体も、なかった。

 あの廊下にドールは居ない。あの目は元々どこにあったのだろうか。

 ――ドールが苦手なお客様が来ることもあるから。客間の廊下には置かないんだ。

 そう言って苦笑いした過去の多比良の声が思い起こされた。説明する彼の声が空虚に響く。


「ハジメの部屋に、じゃなくて?……うーん、わからないな。ずっとあの廊下に落ちていたのかも。

 この部品は壊れてもいないし、どの人形の目か分かり次第直してあげればいいよ。ありがとう。」


 彼の手でキラキラ瞬くそれがやたらと目についた。


「さて、そろそろ夕飯にしてもらおうと思うんだけど。いいかな?」


 話を区切るように多比良が言った。高萩が訝しげに眉を顰めた。


「……早いな?」

「そうかな?もう、6時だけど……。」


 はた、とスマホを覗けば17:48。ティータイムからかなり時間が経っていた。高萩は存外部屋の探索に熱中していたことにそこで初めて気が付いた。……そう言われてみれば、ここに来る途中の渡り廊下は赤く、暗く、夕日に燃えていた。


「、気がつかなかった。食堂か?」

「うん、何か気になることでもあったのかな?夕飯で大丈夫?」


 異存のない高萩が軽く顎を引いた。


「なら、これをしまってから長谷川さんに仕上げを頼んでくるよ。先に行っていて。」


 人形の目を掲げるようにみせると、高萩が頷くのを確認してから多比良は部屋に引き返して行った。

 一人で明るく照らされた長い廊下を歩きながら高萩は夢想する。思考の海は広く、深く、目的の場所へは程遠い。多比良はウソをついていたのだろうか……。そうは、見えなかった。もし、わざわざ嘘をついていたとして、何のために?それともなければ自分が何かを見間違えたのだろうか。あの茶色い髪は多比良の色だった。だというのに、多比良の証言とは矛盾する……。


 ……いや、嘘をついたから何だと言うんだ。別に何かが起こった訳でもないし、自宅でどのように過ごそうがどうでもいいことだろ。

 そう片付けた高萩の頭の隅で、部屋のおかしな防災具がチカチカと点滅している。

 ――早く疑問を解消したほうがいい。

 そう嘯く直感に封をして頭から振り払う。もうこの屋敷に何度来ていると思っているんだ。

 ちょうど差し掛かった渡り廊下の外は差し込んでいた日も落ちてもう暗く、ぼんやりとした木の輪郭が見えるだけになっている。静かな風がザワザワ枝を揺らす。

 廊下を明るく照らす等間隔に並んだ照明のせいで外に何があるのかは全く分からなかった。

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