第5話 発見

 カップを厨房の長谷川に届け、何を言ったものか逡巡しているうちにタイミングを逃した高萩が客間こと自室の前に行くと、廊下のど真ん中にきらりと光るものが転がっていた。

「……人形の、目?」

 高萩が拾い上げると、それは人形の眼球だった。

 ガラスでできたオーロラカラーの眼球。虹彩まで作られた丹念な技術から、高級品であろうと予想がつく。ころりと手の中で転がせばコロコロその光彩は色を変えて輝いて見えた。きょろりと周りを見渡してもそれらしき人形はいない。彼は多比良に後で届けてやるか、とそれ握り込んで部屋に戻った。

 ――ここに来る時や部屋から出る時に落ちていただろうか。

 どこかで痺れるような嫌な予感がする。

 その嫌な予感を振り払うように少し休もうと自室のドアを開く。くぐり抜けた背後でドアがその口を閉じ、小さく無慈悲な音を立てた。


――――――――――――――――――


 高萩は荷解きをするほどの荷物もないが、一応は広げておくかと開いた鞄に一段落着け、デスクチェアに深く腰掛けた。ひどく柔らかい上骨組みもしなり、体にフィットするため、居心地がいい。一つ百円のライターは付けづらいが吸う量相応に手慣れている。滑らかな手付きでタバコに火をつけ、体を侵食する白い気体で深く肺を満たした。ガラスの灰皿を手繰り寄せようと、体の角度を変えた時、ふと目をやったベットの下で鈍く赤い何かが光を反射させていた。


「……?」


 おもむろに立ち上がった彼が腕を伸ばしてやっと手が届くほど奥にポツンと仕舞い込まれた、見覚えのある筒状のそれを引き出す。消火器だ。

 行く前に見かけた、出入り口の横にある消火器に目をやる。どちらも矯めつ眇めつ眺めたところで使用した形跡はない。

 3秒ほど考え込んだ高萩は好奇心に身を任せ、部屋を探索し始めた。


――――――――――――――――――


 これまで気にしたことがなかったが、よくよく室内を見ていくとスプリンクラーもどこかおかしい。天井にぽっかりと1、2センチほどの小さなただ穴が空いているだけで薬剤が散布される様には到底思えない。多比良にこのドールアイを返すついでに聞こうと、ドアを開けた。

 そして、これまで気にしたことのなかったそれが目に付いた。その部屋の前にある防火扉。それは廊下を遮断する巨大な防火扉であるにも関わらず、くぐり戸がない。少し廊下の奥へと動かした視線が次の防火扉と消火器を捉えた。配置された感覚もあまりに狭い。

 多比良に聞きにいくのはどう違和感があるのか、どうおかしいのか考えてからでも遅くはない。部屋に引き返した高萩の頭が回り出す。ただの小さな疑問が謎に形を変えた。


 ――消火器は……冷却材入り……

   必要以上に数が多い。

   廊下にも、この部屋にも……、

   玄関とティールーム、あそこにもあった……。


 ぶつぶつと口の端から漏れる声になりきれぬほどの音、顰めた眉がピクリと動いた。緩く広げた手のひらが口を覆い、指先が頬を撫でる。その姿は探偵らしく、それでいて顔に残った消えない傷が野蛮だった。傷の凹凸まで至った指がそのまま顔をなぞり上げる。

 引き返した部屋をよくよく調べ直すと、部屋に置かれたそれが冷却剤入式消火器だということがわかった。これまで気にしていなかったが、ティールームや玄関ホールにあったものと同じメーカーの同じラベルだ。どれも同一の消火器だろう。少なくとも消火器に詳しくない高萩にはメーカーも品質も成分も書かれていること以上は何もわからない。


 自らの思考の海に溺れる。

 顔から離した手でオールバックに固めた髪をなぞるように強く撫でつける。触れた額からパラと一束が眉を撫でる。つられて軽く皮膚が引かれる。傷が引き攣ったように震える。抵抗にカチカチ歯が音を立てた。瞼を細めると彼の瞳はひどく黒く見えた。

 瞼の裏で眼球が回る。


――スプリンクラー……?

  いや、あれは……スプリンクラーでは、ねぇな。

  あのカタチでは、水が、飛散しない筈だ。

  ……液体では、……気体?


 チカチカ単語が浮かんでは消える。

 ぽっかりと穴が空いたようなあの設計では、ただ持ち上げただけのホースのようにぼたぼた水が降ってくるだけである。掠れた、思考の外側にあるような声が喉の奥で金切音を立てる。狭い喉から息が溢れていく。

 考えながら廊下にもう一度出た高萩はキョロりと見渡した。タートルネックの上から喉仏を撫でる。傾げた頭を親指で柔く支えた。


 ――防火扉にはくぐり戸が、ねぇな……。


 そこにあるのは学校や商業施設でよく見るような、大きく、重たい防火扉だった。しかし、言うようにくぐり戸がなく、もし、これが稼働し、一度閉じてしまえば簡単に出入りはできないだろうと予想ができた。二次被害に繋がらるため、そんな作りにするはずがない。

 キュウと更に細まった目が違和感の一つ一つを鋭く睨みつける。


「これ、本当に防災用か……?」


 誰に言うともなく呟いた言葉が不自然に落ちた。屈んで目線を合わせた、防火扉の足元に無言で自立する消火器を手持ち無沙汰にぐるりとまわす。

 思考が反転した。


 


 向かい、そしてその隣あたりのいくつかの客間を調べるために立ち上がった。鍵はかかっていなかった。長く使われないらしく、家具には埃除けの大きなシーツがかけられている。

 一つ一つを確認していくと、どれも部屋それぞれのコンセプトと装飾の差異はあるものの、防災の観点では似たり寄ったりである。全ての部屋にいくつかの消火器と穴が開いただけのスプリンクラー。つまり。つまり?

 スプリンクラーはどの部屋も同じ形状で壊れている訳ではない。


 ――動きはするはずだ。


 ただ水では意味がないだけ。

 部屋に戻ってタバコに火をつけた。椅子に深く沈み、嗅ぎ慣れた独特の煙が肺に充満してから部屋中に広がる。

 燃え滓を灰皿に落とし、開いた手の人差し指でこめかみを軽く叩く。

 ――つまり、消火剤かなにか、別の薬品をわざわざ引いて……?気体の……?なんのために?



 防火扉は本物。但し、どうにも分厚すぎる。

 さらには、廊下は必要以上に防火扉による区切りがある。過剰なほどだった。その上どれもくぐり戸はない。

 じわじわ削れていくタバコの煙を目で追いながら考える。

 ――つまり、火災が起きた後の行き来を考慮していない?


 消火器は芸術性もなにもない無骨でよく見る形状で、部屋から明らかに浮いていた。見える場所見えない場所合わせてこの屋敷内に何十本置かれているのだろうか。また、経年劣化もある程度見られる。更にはほぼ全ての部屋にニセモノを置く意味がない。

 ついでに言えば、多比良らしくない。

 タバコを灰皿に押し付けて火を消す。

 ――つまり、つまり?


 結論:火災用として当然使えるが、火災用にしては異常。防災用とは思えないが、何用かはわからない。

「……わからん。」

 高萩は肘掛けに両肘を乗せ、その上で組んだ手に額を乗せた。

 考えてもわからない物は仕方がない。浮かんだ想像をあり得ないだろうとかき消した。少なくとも今はまだなにもこれらを気にするようなことは起きていない。そう、ただ西園寺青笹その人が火事を非常に恐る人だったのかもしれない。

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