分からないということ

 さて、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉をご存知でしょうか。


 夜に見た幽霊が、実はただのススキであったという事柄から、恐れていたものが実は大したものではなかった、詰まるところ拍子抜けを表す言葉でありますね。


 確かにススキは手を下に向けて彷徨く、そんな幽霊に見えなくもありません。だから見間違える、そんな話も、まああったのでしょう。


 しかし、しかしです。私はこの話、もっと別に解釈できるのでは無いかと考えるのです。


 有名な話でして、「シュレディンガーの猫」という思考実験がございます。小難しい理屈を並べ立てるのは趣味ではございませんので、ざっくりと説明いたしますと。

 まず猫を密閉された箱の中に入れます。その箱ですが、取り付けられたボタンを押すと、丁度ピッタシ五割の確率で毒ガスが流れ込むといったものです。


 この場合押したら猫は五割生きていて、五割死んでいる、そう思うのが普通でしょう。

 ですが違うのです。

 死んではいるし、生きてもいる。箱を開けて猫を見るまで、どちらかの状態が同時に存在するのです。


 摩訶不思議な話ではありますが、私より幾つも頭の出来が良い人がそうであると証明したので、まあそうなんでしょう。


 話を、先程の幽霊云々に戻しましょう。

 幽霊の正体は、ススキだったのでしょうか。

 もっと言えば、恐ろしいものが、直前でススキに成り代わったのでは、そう考えるのです────





 どうも寝付けない日というのはございます。

 明日早いというのに眠れないでいると言うことがままありまして、困ったものです。

 此度はどうも、催していました。このまま漏らすのはとてもよろしく無い。トイレへと向かうべく、布団から出ます。


 季節は秋の終わり頃ですね。

 少々肌寒く、そろそろ冬用の上着でも用意しようかなと思いながら廊下を渡り、トイレの元へと向かいます。


 その、途中です。

 ぎぃ、ぎぎっ、と。

 家鳴りがしました。

 築四、五年程度の木造建築ですので、そのようなことはままあります。だから気にはならなかったのですが、どうも様子がおかしい。


 ぎぎっ、ぎぎっ。


 まるで足音のように、音が近づいているのです。恐る恐る、音がした方を見遣ります。


 何もありません。


 特に、 何か変わったものは無く、私より少し遠くで家鳴りは止まりました。きっと私が歩いた時の体重で、それが原因で家鳴りがしたのだと思い至ります。

 単純にそれだけであり、気にすべきでは無いでしょう。


 ですが、気味が悪いことに変わりはありませんので。一刻も早く用を済ませようと歩みを進めます。


 して、住んでいるのが借家なのですが、寝室が二階、トイレは一階です。ですのでまあ、少しだけ歩く必要があるのですよ。


 いつも気にしない、階段を下るときの足音。

 木がしなり、音を立てる。

 ぎぃ。ぎぃ。

 恐る恐る降りるから、余計ゆっくり、ぎぃ、ぎぃと音が立つ。


 気味の悪さが悪循環で増大していく。


 あぁ、ちくしょう。

 こんなことになるなら我慢するんだった。

 そんなことを考えたって、もう階段まで来てしまっているので、もう遅いのですが。


 そんなこんなで階段を降り切ると、何かが違う。

 空気がやけに重苦しい。蒸し暑い熱帯夜の、肌に空気が張り付くような、それから暑さだとかを引き抜いた感覚です。


 不気味。こんなことは初めてでした。

 そもそも、心霊現象だとか、そういう類は経験したこともないので、そういった話は半信半疑なのが常ですが。

 けれど信じてないにしても、怖いものというのは怖いのです。まあ私の臆病な性分ですね。


 生唾と息を飲み込み、窓から差す街灯と月の灯りと壁を頼りに、トイレまで歩く。なんてことはありません。

 十数歩程度。十数歩程度が、何故だか億劫になる。


 嗚呼。

 そういえばこの家何故か家賃が割安だったっけ。いやどうだったか、この辺りが他と比べて安かっただけだったか。

 借家にあった和室を、そういえば借りた日以来開けていない。和室の中も今のような不気味な感覚がしなかったか。いや、記憶がこじつけられただけか、それとも本当にそうだったか。

 物を置いた後、この借家に住み始めてから、置いたものがずれているような気がしなかったか。いやそんな訳がない。


 普段なら単に気のせいで済ませられる想像が、堂々巡りで肥大化していく。理性がそんな訳がない、衝動がでもこうじゃなかったか、そんなことを言い合い続けている。


 恐る恐るの足取りで、張り付くような空気を掻き分けて、ついにトイレへ辿り着く。

 溜息が出る。親に付き添って貰ってトイレへと向かう幼子、それと自身が重なって厭な気分になる。


 無事用を足し、トイレを出ると、あの不気味な感覚が消え去っていたのです。どうやら気のせいだったらしい、そう考え、寝室に戻ろうと歩き始めた時。


 やけに大きな家鳴りが鳴る。

 後ろから何かが迫ってきている。

 それを否応なく理解する。

 総毛立つ感覚。

 怖い。

 堪らず走り出す。

 すぐに階段に差し掛かる。

 一段二段三段目は飛ばして四段。


 転倒。

 一段飛ばしをしたせいだ。


 何かが迫る。

 迫る。

 迫る。

 それだけが確か。


 何かを見る。見る。見────



 そこで、目が覚めます。

 勢いよく布団を剥ぎ、状態を起こす。

 窓から朝日が差し、一日の始まりを告げている。


 ああ、なんだ。夢か。

 なんとも嫌な夢だったな。


 ええ。はい。

 この話は夢オチという訳です。

 拍子抜けでしょうか。

 まあ私もその通りで、夢で良かったという思いと、なんだ、幽霊なんていないのだという呑気な感想がありました。


 それで、今日の朝食は何にしよう。

 そうしてベッドから降りた時。

 本棚から本が落ちた。ひとりでに。

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練習作置き あらやしきまなこ @arayasikimana

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