蜥蜴の骸 転

 高松は軽トラックを走らせながら、荷台に積んであるコカインを奪取した時のことを思い出していた。


 中国マフィアが密航船で送ってきた物を、『monitor』が海岸沿いの倉庫で受け取る。そういう手筈だった。

 それを知った高松は、強引に奪取する手筈を立てた。


 人を数人程度なら余裕を持って吹き飛ばせる爆弾を幾つか用意した高松は、それらを途中で見つかることの無いよう念入りに隠した。

 そうして決行当日、立ち登る爆炎が『monitor』構成員と中国マフィアの密輸人を消しとばすのを、傍らで高松は見た。


「きれいだ」


 自分でも意外だと思ったその感想を胸に宿し、高松はその破壊を目に焼きつけた。

 トランクケースの中に入ったコカインが無事なことを確認すると、素早く回収。高松の立てた計画が最終日に向かうのを、ただ待っていた。


 その最終日が今日だった。


 今日、高松は手配した密航船でフィリピンに発つ。その為にもあちらに、アジアに跨る巨大な密輸業者への手土産が必要だった。

 それは高松の持つ財産の大半を用いれば、それに足るものを用意する事は出来た。けれど新天地で生活をするには、やはりカネが必要なのだ。


 数年間『monitor』幹部として従事してきて、今更真っ当に働くなど無理な話だ。麻薬ビジネスで得た財産を失う、その覚悟が高松には無かった。

 そう思った時に高松はどうしようものを感じざるを得なかった。


 その為のコカインだった。黄金を生み出す粉が、今の彼には必要だった。


 そもそもとして、彼がこのような行動に至ったのにも理由がある。仲谷だ。

 いや、正確には仲谷の後ろに付いた組織である。


 彼女は警察の麻薬潜入捜査官だ。神奈川県警と静岡県警が極秘に結託し、専門の対策室を設立していた。

 極秘なのは、そうで無くては『monitor』に逃げられると思ったからだろうし、実際高松もそうなっただろうと感じた。

 そういった時の為に対策は講じてある。


 だが話は既にそういう段階では無い。


 一月前に仲谷が『monitor』に入った時、何か薄ら寒い予感のような物を感じたのを未だに鮮明に覚えている。


 それから時間の合間を縫って、仲谷のことを調べ尽くした。それで浮き上がってきたのが前述した情報だ。


 それが分かったのは一週間前。

 もう警察側は検挙と逮捕の準備を済ませている。今こうして軽トラックを走らせる高松が、警察車両に追い回される事になったとしても可笑しい事は全く以って無いのだ。


 組織に知らせればもしや自分が逃げ切れないのでは無いのか、そう考えると伝えると言うわけにも行かなかったのだ。

 早い話が、この特に思い入れも無い組織をさっさと見限って逃げ出そうという算段だ。


「郷田………」


 軽トラックは深夜を駆ける。当然車の往来は少なく、目的地である港を目指して進む。

 遅刻すれば待っているのは刑務所だ。尤も、今高松は常にその危機に晒されているのだが。


「何を、何処に」


 そうして軽トラックを運転する最中、郷田の居場所を、目的を考えていた。


 組織のトップに君臨する郷田の連絡が付かないのは、実際それなりに問題だ。奴が数日居なくとも回るシステムは確立してあるが、同時に替えの効かない人材であるのも事実なのだ。

 よって、連絡も無く姿を晦ますのは普通なら考え難い。


 ならば一体何処に行ったものか。


 江藤の口ぶりからして、連絡が付かなくなったのは三日以内か。そして東京に居るらしい。尤も今もそうなのかというのは分からないでいるのだが。


 第一の可能性として、個人的な取引を行なっているという事。

 私腹を肥やす為に組織に伝えない取引を行う事を、今まで郷田は何度かやっていた。大体うまくやっていたし、そうしている人間も組織に結構いた。だから黙認されていた。


 第二の可能性として、警察の存在に気付いて高松と同様に裏切って逃げ出している。

 十分あり得る話だ、そう彼は思う。

 何らかの方法で警察の存在を察知したとして、そうであるのなら郷田は自分と同じように逃げ出す、高松は確信めいたものを感じていた。


 第三は高松の裏切りを感知し、証拠を掴むべく何かしていた。

 これは、あり得る。

 高松は中々急なスケジュールで逃亡計画を敢行してきた。であるなら、どこかでボロを出したのかも知れない。そうなら高松に未来は無い。先程捨てた仲谷の死体と同じ末路を辿るだろう。

 だがしかし高松には東京にここ数ヶ月行った事も何か関連する事もした覚えは無い。で、あれば違うだろうか。


 他に残っている可能性があるとすれば、単純な情報不足。

 もう少し調べれば何が出たかも知れないが、時間が無いのだ。こればかりは仕方がない。


 最後に思った可能性と、数多の懸念材料が高松にはある。その何れかが高松に牙を剥き、想定した最悪が襲うのではないか、そう思うと恐ろしくて堪らない。


 後手に回ってしまった。先手を打つのが"勝利"する為に必須の条件であるというのに。もっと早く仲谷を始末していればこんな事にはならなかった。

 そのような後悔と薄寒い感覚が、高松の脳内で錯綜する。『monitor』に対し、高松は一切以って感慨だとかといった感情を抱いてはいなかった。けれど見捨てるにもまた、まだ早かったのだ。


 だがそれも高松の目的地に着いてしまえばそれまでだ。連絡を取り合った密航船が、高松を乗せるべく港に停泊してあるのだから。


「大丈夫だ。まだ僕は負けてない」




 ────さて、時間は少し遡る。


「…………出ねえ」


 江藤は電話を掛けていた。その相手は高松と仲谷である。普段の仕事ぶりから、そろそろ成果が出始める頃だと思った。

 だが実状として、一向に掛け直して来る気配が無い。何か起きているんじゃ無いのか、そんな感覚がする。


「…………GPSだな」


 仲谷と高松のスマホが何処にあるのか、その高松と殺された富士岡が作ったもので検索する。

 が、仲谷も高松も一向に反応する気配は無い。明らかにおかしい。

 スマホが何か不具合が起きているのか、それともGPSを切っているのか。後者であるなら、それをする何かしらの必要がある、そういった状況だということになる。


 実を言えば、江藤の勘は当たっていた。

 仲谷のスマホは壊され、彼女の溶解された死体と共に山に埋められている。高松のものも同様だ。


「なら、履歴は」


 GPSの辿った履歴を確認する。そうすれば江藤は彼らの所在が何処で途切れたのか、取り敢えずは把握できると考えたからだ。


 だが調べた結果得られた情報、それは実際大したものでは無かった。一応の収穫として、町外れにある高松の作業室から、二十一時より途絶したらしいということしか分からなかった。


「…………誰だ。誰が盗んだ」


 あの取引は、コカインの取引は極秘だった。『monitor』構成員でもそれを知り得るのは一部だった筈だ。ならば、何処に行った。誰が盗んだ。何の為に。

 郷田のGPSもやはり反応は無い。東京スカイツリーの付近を最後にその反応が途絶した。そして今まで郷田を疑っていたが、新たに高松が怪しくなったのだ。



 電話の着信音が鳴る。



 江藤は突然のことに少し驚き、スマホの画面を確認した。発信先は公衆電話。携帯にかかって来るのはおかしい。

 恐る恐るスマホを手に取った。


「誰だ。お前」

『俺だよ。俺。郷田崇』


 その声の主は、今正に江藤の探していた一人である郷田のものだった。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔になるも、江藤はすぐに切り替えて瞠目する。


「────郷田? お前、今まで何処に」

『東京だよ。GPSで見てたろ』

「いや、だが、三日前からお前のスマホは」

『あぁ〜。それな。まぁ色々あったんだよ。気にすんなって。な?』

「郷田。誤魔化すな」


 江藤が凄む。一般人なら萎縮してしまいそうな、底冷えのする声だ。それに応じる郷田の声は、その気配を全く感じさせない飄々としたものだった。


「二千マン分のコーラが消えた。まさか知らねえ訳ねえだろ。お前が持ってるのか」

『はぁっ〜ん。へぇ。いや。まさかそんな事があったとは。いやまあ知ってたけど。そうかそうか』

「何の。お前の中で勝手に話をまとめるな。おい。お前は、何を知っている」


 郷田が僅かに黙る。どこか勿体ぶったように、ゆっくりと口を開いた。


『あー。例えば、そうだな────そのコカインを盗んだ奴、とかな』


 余りに突飛な内容に、江藤は自分の耳を疑った。

 当然だろう。今回の一件、江藤の中で容疑者候補筆頭である郷田が、その犯人を知っていると宣ったのだから。


「それは、本当か」

『ああ。俺はあんまし嘘は吐かねえ。知ってるだろ』

「早く教えろ」

『ああ。そうだな。早くしないと、コカインどっか行っちまうか、あー、消えちまうかもしれんしな』

「そういうのは────お前、何を知っている」


 郷田は自分の知らない何かを知っている。それだけは確かだった。それだけが確かなのだ。

 先程からの口振りが、どうにも江藤の神経を逆撫でするようであった。現に苛立ちを声に含まないよう、江藤は必死に堪えていた。


『さあな。俺が知っているのは俺が知っている事だけだし、そしてお前が何を知っていて何を知らないのかを俺は知らない。そういうもんだろ。もうちょい具体的に言いなよ江藤クン』

「黙れ。お前は今何処に居る。お前が盗んで無いなら何処の誰が盗んだ。早く答えろ」


 江藤は溜息を電話越しに聞いた。それがどんな意図を含んだものか、知る由も無いのだ。何故なら今の興味はコカインをくすねた馬鹿を始末する、それだけだった。

 それを郷田は見越している。


「オーケー分かった。盗んだのは高松だ」





 ショットガンから排莢が行われ、甲高い音が地面からカラカラと鳴る。ただの一発で彼の、江藤の目的は達成された。


 郷田から教えられた地点で、江藤は高松を先回りした。あとは角で身を隠し、サイレンサーを付けたレミントン870が高松の胴体に風穴を開けた。


 高松が富士岡を殺したときのように、郷田は同様の手法で高松を手に掛けた。


「替えが要るな」


 こうして、この話は幕を閉じる────

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