蜥蜴の骸 承
カーテンが閉ざした暗い部屋。キーボードが指で叩かれる小気味のいい音、PCの駆動音、それらだけが反響している。
「…………郷田…一体、真逆、あり得る、なら………」
「どうしました?高松さん」
ぶつぶつと呟く高松に、尋ねたのは仲谷という女だった。容姿としては特筆すべき点は無く、概ね普通と評価される、没個性的な女だった。
一月ほど前に『monitor』に入り、手際の良さを評価され、高松の仕事であるシステム管理を手伝うよう言われていた。
事実として仲谷の手際は高松も評価するところであり、その働きには助けられている。
故にかなりの信頼を置いていた。
「………まあ、良いか。兎角対処は早急にした方が良いことには変わりない……か、確かに」
「高松さん」
「……ああ、うん。仲谷。どうした」
「随分深刻そうな顔でぶつぶつ呟いていたので、どうされました」
「いつもの事だ。気にするな」
「そうですけど」
指摘された高松がぶつぶつと呟くのをやめ、再び暗い部屋には静寂が訪れる。
その間に"あの事"を話しても問題は無いのか、高松は僅かに逡巡した後に口を開く。
「そうだそうだ。お前に言わないとと思ったのがあってな」
「何ですか?」
「お前には知らされてなかっただろうけど、この前ある韓国マフィアとコカインの取引があった。結構大きな取引で、まあ大体二千万だったか、そのくらいの」
「…………!? そんな、ことが」
「あぁ。だがあちらから取引の人間は帰ってきて無いし、何なら此方に入る予定の二千万が無い。なら"何か"が起きた。例えば誰かに盗まれた、例えばどちらかが裏切った」
「大問題じゃないですか」
「だからお前にも知らせた。江藤さんから僕に調べるよう言われてね」
「分かりました。手伝います」
「ああ、頼む」
仲谷はやっていた作業を中断し、『monitor』の管理者サイトに入る。一方の高松は部屋の出口へ。
「じゃ、僕はタバコ吸ってくるから。ちょっとしたら……いんや、ちょっとかかるかも」
「了解です」
地下室から出た高松の肌を夜風がを舐める。ぶるり、その寒さに震えた。タバコを吸うだけならそこだけで良かったのだが、それとは別に高松にはやる事があった。
それは同業者である仲谷にも知られてはならない、仲谷には知られてはならない事なのだ。
「……粉雪、スタッドレスにして正解か」
十一月も終わりが近い。その証左として粉雪がぱらぱらと降り注いでいた。道理で寒いわけだ、高松はぼんやりとそう思った。
近くに停めてあった軽トラック、それに掛けておいた緑のカバーを外し、中身を検める。これからする事の準備のためだ。
鉄製のタンク、ドラム缶、工具、鉄棒。
とりあえずはこれで大丈夫、高松はそう思い、ポケットから取り出したタバコに火をつけた。
息を吐く。何より気掛かりな事がある。それをまず片付けねばならない。
「…………ダメですね。その取引があった場所の監視カメラは全部潰されてます。それを知っていたとしても、あちらがその場所を一々確かめはしない筈です。『monitor』側の誰かがやったと見て間違いないでしょう」
「だろうね」
取引があったのは海沿いの廃倉庫。そこで密航戦にコカインを渡し、此方は換金性の高い金品と交換する。それが『monitor』の主な取引のやり方だ。
そしてどちらの抜け駆けも許さないよう、サーモグラフィー機能付きの監視カメラを用意していた筈だった。
「まあでも今はそんな事はどうでもいいんだ」
「どうでもって………お互い被害が大きいんですよ? なら早く解決すべきで」
「話は終わってない。最後まで聞け。郷田さん居るだろ?」
「…、郷田さんが、何ですか」
「昨日、それか一昨日から連絡が付かないらしい。多分郷田さんがやった。調べられるだけ調べる。出来る限り、早急に」
「え………それは、本当ですか」
「らしい。分かったら手を動かせ」
それから一時間弱ほど、最近の郷田の動向を調べた。それにより分かった事が幾つかある。
第一に、郷田は昨日一昨日と東京に居たこと。
第二に、当然東京に居たのだから取引現場である静岡の廃倉庫には居ないだろうということ。
第三に、それとは別に個人的に何かと取引していたという事。それが隠蔽されていた事だった。
「とりあえず、郷田さんは犯人ではなさそうですね」
「そうか。使えないな。仕方ない」
「え」
血液と脳漿が飛び散った。無論高松では無い。仲谷のものだ。サイレンサー付きの拳銃による銃声は、地下の密室で反響するばかりで外部に漏れる心配はないだろう。
「な……ぇ」
「時間が無い」
もう一つ銃声が反響する。それで仲谷はついに死んだ。唐突な事態に何が起きたのか理解できないまま、彼女は齢二十五の短い生涯に幕を閉じた。
当の高松は、何か人殺しに対して感慨や悔恨といった感情を見せる素振りは全く無く、ただ今彼は「血で濡れたから着替えが必要だろうな」という感情で以って、事前に用意していた黒いビニール袋に仲谷の死体を押し込んだ。
そうして存外に重い死体を軽トラックの荷台に放り込むと、エンジンを掛けて山に────『monitor』が大麻を栽培する為に偽造した名義で購入した────向かった。
山をある程度進み、荷台積んだものを山に持ち込んで作業を開始した。
まず死体をドラム缶の中に放り込み、入り切らなかった部分はノコギリで切断。そこにタンクに入った苛性ソーダ液を投入する。強アルカリ性剤のそれは、肉をグズグズに溶解させる。『monitor』では死体処理によく使われていた。
それらを事前に掘っておいた穴にドラム缶ごと埋めると、急ぐような足取りで軽トラックに向かった。
高松はここ数年誰かを信用、信頼するということをしていない。
それは麻薬売買に関わる上で裏切りなどを極端に恐れる在り方であり、単純な話、信用に値するのは自分のみだという心情の下の事だった。
この世界に自らを招いた郷田も、その知人である江藤も、新入りの仲谷も、誰も彼もを疑心暗鬼の対象としていた。
何もそれはこの生活を始めた時からそうであった訳では無い。彼が"そう"なったのは、『monitor』のネットワークシステムの構築を教えた富士岡という男が発端だった。
富士岡とは郷田の紹介で知り合った。前職はIT企業勤務のサラリーマンだったらしいが、横領が発覚して解雇と相なった、らしい。
全て伝え聞いただけの話だ。経歴から何に至るまで、今の高松なら既に信用に値しない。
兎角、富士岡から教わって仕事をしていた。専門知識をよく知っていた富士岡は、高松にとっては良い教師のようにも思えていた。
結果的に自身の上司にあたる郷田や江藤等の人間は、高松にとっては得体の知れない何かに他ならなかった。何度か密輸に携わる内に、警戒すべき対象に設定されていったからだ。
そういう背景もあって、相対的に富士岡に対する信頼があった。
だが高松の人間不信を決定的なものにしたのも富士岡であった。
「富士岡が裏切った。瀧川会にヤクを横流ししていた。始末する。協力しろ。でないとお前も殺す」
そうぶっきらぼうに江藤に告げられた。
突如冷水をかけられたような状況に、高松は呆然とした。
そんな高松を置いて、江藤は富士岡を殺す手筈を滔滔と話し続ける。
その手筈に従い、富士岡を高松は呼び寄せた。その後はサイレンサーを付けたショットガンを用い、死角から射殺。死体の処理はその時に教わった。
その時に感じたものは特に無く、ただ無感動が高松を支配していた。それは高松が先程仲谷を殺したように。
そして同時に失望も高松の裡にあった。
富士岡は郷田が拾ってきた。その時職を斡旋した恩人だとかそんなことを言っていたし、郷田と組織に対して深い忠誠のようなものを抱いている風だった。
だが裏切った。結局変わらぬものは無いのだ。
それからだ。
それから高松は極度の人間不信に陥った。
「………ギリギリか。時間だな」
実を言えば高松慎二は今回の一件の顛末を全て知っていたし、コカインの行方も当然知っているのだ。唯一知らないのは郷田の行方くらいか。
「……しかし、フィリピン、フィリピンか。まあ今よりはマシだ」
軽トラックの荷台を高松は確かめている。底を開いて携帯端末のライトを付けた。二十キログラム程度のコカインの入った袋を確かめていた。
コカインを持ち出したのは高松だ。
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