練習作置き
あらやしきまなこ
蜥蜴の骸 起
「前ウチが取引したコーラが消えたんだけど、アレかな。怪奇現象かな。ポルターガイストって怖えなぁ。なあ」
そんな事を宣ったのは、今日高松慎二を招集した江藤という男だった。
江藤の見た目は筋骨隆々で、日焼けした肌のあちこちにはタトゥーが掘ってある。そして髪色は頂点のみが黒い金髪で、プリンのような色合いをした三十代の男だ。
コーラ、コークから転じた言葉の意味は、ここではコカインの事を指していた。
時価相当にして二千万円に登る大量のコカインの在処を、江藤は今問うていた。
江藤の野太い声が響く会議室。当人が投下した言論の爆弾は、会議室に喧騒と疑念を超高速で飛散させるには十分だった。
「で、俺の言いたい事分かんねえグズはここに居ねえよな? え?」
組織のナンバー2を誇る彼が言いたいのは、こうだ。
"お前らカネ持ち出したりしてねえよな? 部下か? なら連れ出してこい。どっちにしろぶっ殺すから"
剣呑な空気がこの空間に満たされた。犯人探しの疑心暗鬼は、所謂人狼ゲームの様相を呈そうとしていた。
「で、そんなバカを今探してんのよ。見つけたら教えろや。高松ぅー」
「はい。何でしょう」
「お前探すの手伝え。とりあえず口座やらの履歴とか調べてこい」
「分かりました」
「あと、お前には別で話がある」
「………? 承知しました」
『monitor』
英語で蜥蜴を指す言葉だが、ここでは全く別の意味を有する。
関東南部から中部地方南部に掛けて活動する所謂『半グレグループ』だが、特筆すべきはその規模だ。独自のネットワークを持ち、潜伏性が非常に強い。
活動内容は現在問題視されている銃器等やコカインなどの違法薬物の密売だ。
末端の構成員までしか逮捕されてはおらず、警察も未だ全容を把握出来ては居ない。有力な指定暴力団より厄介な現状にある。
その組織の名が示す通り、「蜥蜴の尻尾切り」が現状なのが何とも皮肉的だ。
高松慎二はそんな組織でシステムエンジニアをしていた。
彼は中学生で不登校に陥り、その際PC関係にのめり込む。やがてそれは悪い方向に傾き、様々な機密情報を抜き取りバラ撒く犯罪にのめり込んだ。そんな日々を続ける最中、とうとう足が付いて逮捕と相なった。
判決は少年院にて服役。服役中は目立った素行不良も無く、他者との軋轢も然程無く、模範的な評価を得ていた。
そして服役期間を終えてが出所する頃には、彼は二十歳になっていた。
社会復帰の支援に、何度か職を斡旋された。先述した通り目立った素行不良もない為、働き口が全く無いということは無かった。
事実として、彼はある小さな町工場に就職することとなる。月給は手取りで十三万弱。「そのくらいのものだろう」という感覚で働き始める。
────が、当の町工場が経営難により倒産したことにより、彼は途方に暮れる事となる。それは働き始めて三ヶ月が過ぎた頃の話だった。
その時彼は働いて手に入れて金で自作PCのパーツを買い集め続けていた為、計画性のある貯金というのはしていなかったし、自分の生活費も含めたら切迫した生活に成らざるを得なかった。無論、パーツ収集を辞めれば僅かばかりは余裕があったのだが。
町工場で自分によくしてくれた先輩から、煙草を教えられた。それも生活を逼迫させる要因の一つではあったのだが、だからといってやめられる、彼にとってそんな物でも無かった。
かくして、途方に暮れながら街を歩いていた。街に設置された喫煙所で明日の飯をどう食い繋ぐか考えていた時、年は中年程度であろう、髭を生やした郷田という男と出会った。
「お前金に困った顔をしているな」
「何、誰ですか、あなた」
突然話しかけられた高松は、どこか剣呑な雰囲気のある郷田に胡乱な目を向けた。
こうして喫煙所で話しかけられる事は無いわけでは無い。そういう相手は大抵、軽くあしらうのが常だった。
だが郷田の持つ独特の雰囲気が、高松に疑念や警戒を抱かせ、そして何を言うか身構えさせるには十分だった。
「いや、俺は知ってるんだよ。お前さんみたいな奴は大抵、とりあえず金が欲しい状況にあるってな」
そう言う郷田の言い分が、高松にとっては図星のほかに無かった。
自分のことを一目見て、それだけでどういう状況にあるのかを見事言い当てられた事に内心驚きつつ、では何が言いたいのか、気になった。
そして抱いていた警戒心も僅かばかり薄れている事には気付いて居なかった訳だが。
「…………そうだったとして、何ですか? 自分に何か用ですか」
「いや、単にお前さんに仕事を頼んでみようかなって、さ。どうだ?聞いてみるか?」
にたり、そう笑う郷田が、人を誘惑する悪魔のように笑った。
簡単、簡単、さ────そう言う郷田の仕事は、こうだ。
まず事前に受け取った服を着る。そして神奈川駅で指定のコインロッカーに入ったカバンを、静岡の下田駅でまたコインロッカーに入れる。それだけといえばそれだけの、簡単な仕事だ。曰く"それだけ"で三十万が手に入る。
それに交通費は事前に支給されるらしい。
三十万は、大金だ。
頑張れば少なくとも二月は食い繋いでいける。
だがそれ以上に自分の運ぶカバンの中身が、高松にとって不安の塊でしかなかった。そもそも『カバンを神奈川県から静岡県に持っていくだけ』の仕事で三十万もの金が自分に入ると言う事象がまずおかしいのだ。
拳銃、大麻、MDMA、コカイン。はたまた全く違う何かか。いずれにせよロクなものではあるまい。
ぱっと想像しただけでこれだけだ。
"それだけ"が、"それだけ"であるはずもない。
逡巡、逡巡、うんうん悩んで結論は出る。
『どうにもならぬ事をどうにかするには、それなりのことをしなければならない』
それが、高松の結論だ。
結論として仕事を受ける意思を伝えると、そうこなくっちゃな、そう郷田が笑うのを疑心と不安で高松は見ていた。
その後に通達されたのだが、鞄の中身を見てはいけないという指示も、高松の疑心と不安を増大させていた。
その数日後、やけに厚着の服、帽子、マスクと交通費の一万円を受け取った。やはりロクな仕事ではないのだろう。それがどのような内容であるのかは、やはり知らぬが花というのも、高松は感じ取っていた。
────結論から言えば、仕事は恙無く遂行された。
早朝、駅から数便程度のみが出た程度の朝。
指定の服を着て、そのロッカーの中身であるショルダーバッグを手に、高松はバスに向かった。電車よりもバスの方がこの中身を見られずに済む、そう何となく思ったからだ。
何度かバスを乗り継ぎ、指定のコインロッカーにショルダーバッグを入れる頃には、既に日は暮れていた。
その時、猛烈に高松を駆り立てる衝動があった。
中身が、見たい。
抗い難い衝動は然し、あの得体の知れない郷田と言う男が自分に対し何をしでかすか分からないから、そうやって自身を制した。
下田駅を出て、そこで会ったのは、郷田だった。
「よ。やってくれたみてえだな」
左手が後ろに隠れている。その後ろの窓ガラス、それに映る左手が銀色にきらり光ったように見えた。
ナイフ────バタフライか、ジャックか、どちらも最悪だ。冗談でも笑えない。
「えと、郷田さん、ですよね。はい。頼まれごとはしっかりと」
「ああ。ありがとうな。コイツは報酬だ」
茶色く長細い何かが中で弧を描く。突然のことに驚きながらもそれを掴むことに成功した。
それは封筒だった。中身は僅かに重く、そして中身は封筒と同様に細長いのだろうと察した。
周りを見渡し、おっかなびっくりその封筒の中身を見た。
金だった。全て一万円札。暈増しに千円札が使われているわけでは無い。しっかりと、一万円札だ。
偽札かもしれない。そう思い見た中には、知識のうちで偽札と判別されるようなものは無かった。
しっかり万札数えて三十枚。二千円を足して三十万二千円。
「受け取り、ました」
「余計な二千円は俺からの餞別だ。交通費に使え。それじゃ、あとは────」
「待ってください」
────限界が、来た。
もう、彼は聞かずにはいられない。
「アレは、何だったんですか!」
「アレ?何のことだ。指示語で話すなよ若人」
「カバンの中身ですよ!こんな仕事で三十万も手に入るはずが無い!おかしいんですよ全てが!」
もう外聞なんか構ってられなかった。自分が何を口走っているのか分かっている、つもりでいる。ここ数日不安だった。そして予感があった。何が巨大なものが自らを巻き込んで蠢く、そんな感覚が。
故に、高松は郷田に対し最大の疑問をぶつけた。
「あのカバンの中身は!あなたは!何なのですか!」
「それを────。それを知ってどうする。どうなる。高松慎二」
軽薄そうだった男の目が、怜悧なものに変わる。この男には名乗っていなかった筈の名前を、高松慎二、その文字列を知っていた。
瞬間、答えに詰まる。考えていなかった。この質問は感情的な発作がそうさせた。けれどこの質問は運命の分岐路だと、直感が叫んでいた。
次の答えで、郷田の左手の銀色が閃くかもしれないのだから。
「それは、聞いてから決めます」
「────。高松慎二。神奈川県三浦市生まれ。中学校にていじめ被害を受け、その影響により不登校に────」
滔滔と、郷田は高松の経歴を話していく。間違いは無い。不明瞭な点も無い。何一つの誤謬も無く、郷田は高松の過去を言葉にした。
何を言い出したものか、高松はただ呆然と立ち尽くしていた。それは、恐怖からだったのかもしれない。
彼を見つめる怜悧な双眸は、まるで釘のようだった。
「────そして、お前はここにいる。中身が何かも分からない、お前にとっての不安の塊をコインロッカーに入れ、その封筒を受け取った」
「何、何を、それを」
纏まらない思考を痛むくらいの歯軋りで鎮める。
「………探偵でも、頼んだのですか」
「いや、自分で調べた。そんで、お前を俺はよく知っている。知りすぎている位に」
郷田がポケットからタバコとライターを取り出し、火をつけた。煙を吐き、それで話が続く。
「答え合わせがしたいんだろう。高松」ポケットから取り出したタバコの箱に、ボールペンで書いていく。「お前は明後日、ここに書いてるところに来てもいいし、来なくても良い。だがまあ、俺は来ると思っている」
そう言って、タバコの箱を手渡された。
高松がいつも吸う銘柄とは違う、ペパーミントの香料が入ったタバコだった。十本入りの中身のうち七本が残っており、多分吸わないだろうな、という感想を抱いた。
「ラッキーセブン。七は何かといい数字だ」
高松の耳朶を打つ声。心臓の鼓動が早鐘を打つ。
当日、高松は街を歩いていた。
結局────否、最早高松の中に『行かない』選択肢は無い。
自らを巻き込んで蠢動する『何か』が何であるのか、確かめなければならなかったからである。
自分がどうなるのか。その果てに何に行き着くのか。恐怖は好奇に代替され、タバコの箱を頼りに行進していた。
書かれた地点にあるのは、何の看板も掛けられていないビルだった。普段は臨時の会議室などに貸し出されているらしい。
一つだけ明かりのついたビルの部屋、そのドアノブに触れた。
「ふむ、まあ時間通り、か」
「あなたの予想通り来ました。答え合わせ、してくれるんですよね」
「ああ。まあ座れよ」
部屋を見回す。机が二つ並行に置かれ、椅子が一つずつ置いてある。その片方には郷田が座っていた。
「さてまあ、結論から話すと、お前が運んだのはコカインだ。俺は普段からヤクの売人をしている」
「…………やはり、やはりそうですか」
そう言いながら、高松は逡巡する。
何故そのような事を自分に言ったのか、警察に通報されるなど郷田が困る事態が発生するんじゃ無いのか、呼び出してどうするつもりなのか、様々な思考が張り巡らされた。
「警察がどうこうって、お前は出来ない筈だ」
そんな高松の思考を見透かしたように、郷田が言う。
「お前は何を運ぶかは分かっていなかったが、それでも法に触れ得る何かであるとは知っていた。そしてお前はこれを秘密にする。何故ならお前はそう言うやつだからだ。何より、ここに来ている」
言葉が続く。
「で、お前をここに呼んだ理由。俺はな、売人のグループを作ろうとしてんだわ」
「売人の、グループ…………?」
「お前の経歴からしてヤクやら何やらは知ってはいるが、それだけだろう? んでだ、売人ってのは意外とそこかしこに居る。まあ大半はソイツもヤク中なわけだが、当然中にはやってない売人も少なからず居る」
それから郷田は「まあ、要するに、だ」と言い、語り出す。
麻薬はカネになる。裏社会では今の時代、何処からでも買える。だがそれでは儲からない。合法的に仕入れれば話は違うのだが、それとなると難易度が飛躍的に跳ね上がる。そして何より一人でやるのはもっとキツい。
人手が要るのだ。
そしてその為のネットワークを、売人のネットワークを生み出すのだ。
そう、語った。
高松は郷田の話を、熱を浴びた。
何か迸るものがあった。それが答えだった。
「…………何を、すれば良い」
「話が早くて助かるぜ────」
それから、高松は郷田のもとで働く事となる。
高松に紹介された元IT企業幹部と協力し、深層WEBにサイトが立ち上げられる。
それが、『monitor』だった。
取引を円滑にするサービスや、隠蔽性の高いルートの提示、それらを構成員のみに提供する構造は、周辺の売人に対して地震のように伝播した。
結果として勢力は日に日に増し、出来上がったのは巨大な怪物だ。麻薬などの違法性の高い物品が流れる、日の目には決して触れないバイパス。
郷田を頭目として出来上がった一つの蜥蜴。
それを利用し、『monitor』は類を見ないほどに巨大化を遂げた。それが今日に至る道程だった。
場所は変わって路地裏。ビルとビルの合間、先ほどまで会議が行われていた、その裏手である。
そこでは紫煙が二つ燻っていた。
「話とは、何でしょう」
「郷田の行方が分からなくなった」
「…………!? どういう、事ですか」
「俺は、郷田が盗んだんじゃねえかって思ってる。頼むぞ」
「………、理解しました」
夕焼けが路地裏を照らしている。
動揺を高松が揺らした。
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