12月20日(月)18:10 〈湊は大切にしたくて、〉
一昨日…12月18日のこと。
湊が自室の机で店員さんからもらったピンク色の小袋を開けると、中には個包装のティーバッグが3つも入っていた。
ホカホカはちみつジンジャー、ぐっすりカモミール、そしてリラックスピーチ…。
どれも、パッケージには可愛い妖精のイラストが描かれている。
可愛くて素敵な人は、普段飲んでるものすら可愛いなんて。その上妖精なんて…まさに彼女にぴったりじゃないか。いや、むしろ彼女が妖精なのかもしれない。……違う、天使か。そうだ彼女は天使だった。
湊はティーバッグを両手で大事に持ちながら、そんなことばかり考えていた。
どれも飲まずに大事にとっておきたい。でも、次彼女に会う時に感想を言えた方が良いだろう。そう思うと、どれか1つは飲むしかない。
いや。それとも彼女からもらった分は飲まずに、明日全く同じものを買って飲むとかでも良いかもしれない。そうすれば感想も言えるし、彼女にもらった分はとっておける。
そう思った湊は、ひとまずティーバッグを大事にしまっておこうと、脇に置いておいた小袋を手に取った。…そして、まだ中に何か入っていることに気が付いた。
手触りは平べったくて、やや固い。
取り出してみると、それは名刺サイズの、小さな花柄のカードだった。
しかもそこには、
『お疲れ様です。ゆっくり休んでくださいね。』
女の子らしい丸く小さな字で、そう書かれていた。
(彼女からのメッセージカード……!)
湊はまた一気に押し寄せてきた興奮が処理しきれず、急いで椅子から立つとベッドになだれ込んだ。
(『お疲れ様です』…なんて優しいんだろ。『ゆっくり休んで』……はあ、嬉しすぎる。どうしよう。今日が命日かもしれない)
そして、しばらくの間。
湊はカードに書かれたごく短い言葉を、何度も何度も読み返していた。
* * *
それからまた、2日後の今日。
湊はパティスリーの目の前まで来ていた。
彼女がいるとは限らない月曜日だが…大学の講義期間も終わり、冬休みに向かっている今なら、いる可能性は高いと期待していた。
今日の目標…いや、目的は2つ。
一、ティーバッグのお礼を伝えること。
一、彼女とまたクリスマスの予定について話すこと。
ティーバッグをもらったことで舞い上がっているせいか。今日は、なんだか全て上手くやれそうな気がする。
湊は堂々と、力強くパティスリーの扉を開けた。
するとそこには、湊にとって予想外の先客がいた。
「んー、じゃあ季節のフルーツタルトとチーズケーキ…いや、やっぱりモンブランで」
「かしこまりました」
ショーウィンドウの前では、湊より少し年上に見えるスーツ姿の男性が、彼女にケーキを注文していた。
まあ、他のお客さんがいるのも当然だ。それよりも、彼女がいてくれたことがすごく嬉しい。少し待ってから、彼女に話しかけよう――。
そう思った湊は、不自然さがないようケーキやギフトを選ぶ振りをして、彼女の接客が終わるのを待つことにした。
しかし……客の男は、ケーキを選んだ後もずっと楽し気に、彼女に話しかけ続けていた。
少し馴れ馴れしいんじゃないかと、湊の心がざわつきだす。
一方の彼女はというと、笑顔で軽く相槌を打ちながら男の話に応えていた。
「いろんなケーキ屋さん行ったけど、やっぱりフルーツ系のケーキはここのが一番好きだよ、俺。甘さ控えめで無限に食べれる、ほんとに」
「ありがとうございます。そうそう、1月はまた期間限定の旬苺とベリーのタルトが出ますよ」
「やった!絶対買いに来ようっと。今年はクリスマスケーキを手に入れ損ねたからね」
「すみません、今年は予約が埋まるのが特に早くて」
「人気店だから仕方ないよ、完全に俺のミス。あ、でもクリスマスと言えば!お姉さんはどうなの?やっぱりデート?」
“クリスマス”、“デート”というワードに反応し、湊はつい男の方に目をやってしまう。
なんてことだ。自分がどうしたって訊けなかったことを、あの人はあんな軽々と……。
そもそも、同じ客なのにあの人はなんであんなに彼女に親し気に話しかけられるんだ……。
モヤモヤした感情が、どんどん募っていく。
それでも湊の意識は、完全に2人の会話に集中していた。
「デートって…そんなの内緒に決まってるじゃないですか」
「えー。じゃあさ、彼氏がどんな人かだけ教えてよ。イケメン?」
(なんで彼氏がいる前提なんだ。…もしかして、あの人は彼女に彼氏がいることを知っているのかな?だとしたら――)
不安と焦りで、湊はつい彼女の方を見てしまう。
すると彼女もなぜか湊の方を見ていたようで、一瞬目が合った。
そして、
「そうですね…真面目そうで、いつも一生懸命な雰囲気が可愛い人です」
「うわあー。ちょっと、急にのろけられるとこっちが恥ずかしくなっちゃうよ」
「はいはい、お買い上げありがとうございます。保冷剤はいつも通り1時間分入れておきましたよ。またどうぞー」
照れるように彼氏の話をしたかと思えば、すぐ彼女は適当にあしらうような笑顔を男に向けて、ケーキを手渡した。男は笑いながらそれを受け取ると、「いつもありがとね、良いクリスマスを」と言い、あっけなく店を出て行った。
――とたんに、店内が静かになる。
(彼女に…彼氏がいる…真面目そうな……)
「すみません、変なところを見せてしまって」
「えっ」
ショックが大きすぎてついぼんやりとしてしまっていた湊の耳に、不意打ちで聞こえた彼女の声。
湊の心臓が跳ねて、現実に引き戻される。今店内にいる客は、自分しかいない。
「いや、そんな全然…でも、賑やかな人でしたね」
「本当に。昔からの常連さんなんですよ」
「そうですか。えっと、仲が良いんですね」
動揺のせいか、あと男が彼女とあの距離の近さで話せることが羨ましいと、少しでも思ってしまったせいか。ついそう口走ってしまった。いったい自分は何を言っているのか、とすぐに後悔する。
彼女も、少し困ったように笑った。
「別に、私だけじゃないんですよ。誰に対してもあんな感じの人ですし」
「あ…すみません。彼氏の事とかもあんなに気軽に話していたので…てっきり」
「いつものことですから。それに彼氏のことを訊かれたら、面倒なので適当に『いる』って嘘ついて話すことにしてるんです」
「え…ってことは、いないんですか?彼氏」
食い気味に反応してしまった湊に、彼女は「はい」と小さく頷いた。
どんよりと曇っていた湊の心に、さっと光が差す。
(彼氏はいなかったのか!)
湊は店に入る前の、舞い上がるような気持ちがまた戻ってくるのを感じる。
さっきまで嫌な思いしかなかった男に対して、今や感謝の気持ちを伝えたいくらいだ。
しかし、それだと少し気になることは――
「そうだったんですね…でもそうしたら、さっき言ってた“真面目で一生懸命な人”っていうのは……」
「それはその…咄嗟に、気になってる人のことを話しちゃって」
口ごもりながらそう答えた彼女。湊の頭はまたフリーズした。
「気になってる人……」と思わず復唱すると、彼女は顔を赤くして無言で頷いた。
そりゃそうだ。彼氏がいないからって、好きな人がいないとは限らないじゃないか。
なんでそんな当たり前のことに気づかなかったんだろう。
「そしたら…24日を休みにしたのは、その人のため、とか」
「はい…でも、自分からは誘う勇気もなくて。自分なりに頑張ってみたりもしたんですけど、うまくいったのかどうか…不安です」
そう言って、彼女は照れるように湊から視線を逸らした。
彼女の、好きな人。「真面目で一生懸命な雰囲気が可愛い人」、か。
そんな風に言ってもらえる相手が、羨ましい。
「…きっと、大丈夫ですよ。店員さんはすごく素敵な人ですから」
「本当に、そう思ってくれますか?」
「もちろんです。それは、絶対に」
「そしたら少しは…期待してもいいんでしょうか」
彼女の熱のこもった目。緊張しているのか、少し潤んでいる。
そっか、その人のことが本当に好きなんだなと、湊は思い知らされる。
そうしたら自分は、彼女の気持ちを応援してあげたい。
……自分のことよりも。
「はい。僕は…僕なら、店員さんにそんな風に思ってもらえたらすごく、本当に…嬉しいですから」
「それなら、」
「すみません、せっかく来たんですけどもう戻らないといけなくて…また来ますね」
湊はそう言って、彼女の視線から逃げるように店を出た。
ああ、そういえばティーバッグのお礼を言うのを忘れてしまったな、と。
そう思った時には、湊はもう家に着いてしまっていた。
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