12月17日(金)21:55 〈乃愛と夕梨は諦めない〉
「……っていうことがあって。今日は急にごめんね」
30分ほど前に乃愛の自宅に来た夕梨は、ソファベッドに座りすっかり彼女専用と化したマカロン型のクッションを抱きしめながら、昨日のことを全て乃愛に話しきった。
――そのまま、数秒の沈黙。
夕梨の話が衝撃的すぎて、乃愛からとっさに言葉が出てこなかったせいだ。
女の子らしいインテリアで統一された乃愛の部屋だが、今や室内はその雰囲気にはまるで合わない、重々しくかつピリピリした空気で満ち溢れている。
「…全然大丈夫だよ。だって、そんな酷いことある!?朝飛くん、そんなこと言う人だったなんて…本当許せない」
とうとう、乃愛は半ば感情的にそう言った。夕梨は涙声で「朝飛くんは悪くないよ、全部本当の事だもん」と、クッションに顔をうずめる。
何事にも動じなさそうな雰囲気を漂わせているくせに、夕梨はすぐ不安になる質だ。その上、自分に対して異様に自信が無い。
だから昨日、夕梨から「朝飛くんに嫌われそう。どうしよう…」というメッセージが来たとき、また些細な事で落ち込んでいるのだろうと思った。
しかし、そう単純なものではなかった。彼氏が自分のことを悪く言っているのを聞いてしまうなんて、辛いにもほどがある。
それにしても…乃愛は朝飛くんとやらに会ったことはないが、今まで話を聞く限り、夕梨のことをとても大切にしてる人だと思っていた。色々と無自覚な夕梨から聞く惚気話に胸やけがしたのも、一度や二度ではない。だから正直、「夕梨に主体性がない」「自分ばかり頑張らされている」なんて言う人だなんて想像もつかなかった。もちろん本当に嫌な奴で、それを上手く隠していたという可能性もあるけれど…。
「でも朝飛くん、夕梨のことすごく大切にしてる人だと思ってたのに…。ねえ、何かの聞き間違いってことは本当にないの?誰か違う人の話だったとか」
「それはないよ、だって朝飛くんすごく気まずそうな顔してたもん。今まで私が、朝飛くんに甘えすぎてたのも事実だし…。朝飛くんはいつもいろいろ考えてくれていたのに、私は全然何も……」
「それは全部、彼が夕梨のために好きでやってたことだよ。あと夕梨だって、確かに積極的ではなくても、いつだって彼のことすごく考えてるじゃん。向こうにも伝わってると思ってたけどなあ」
「そんなことないよ…いつも受け身でさ。私が自分からは全然何もできないから、内心はいつもうんざりしてたのかも。でもだから今日は乃愛に、相談にのってほしくて」
そう言って、夕梨はクッションから顔を上げた。目を真っ赤にしていて涙も止まっていないが、表情は思ったよりしっかりしていた。きりっとした涙目からは、どこか力強い印象すら受ける。
「相談…って、なんの?」
「クリスマス。2人で一緒に過ごす約束はしてるんだけど、何も決めてなくて。だから、何かいい案考えないと」
「いい案って、それこそもう朝飛くんがとっくに考えてくれてるんじゃない?彼、そういうことは早そうだけど」
「でもそれだと、またいつもと同じになっちゃう。だから今回は、私が頑張らないと。朝飛くんのためにも、自分のためにも」
「頑張るって言ってもあともう1週間しかないよ?出かける計画考えるとか、夕梨一番苦手でしょ。気を遣いすぎるせいでなかなか決められなくて、頭パンクするんじゃないかって不安」
「それでも頑張るよ。今まで朝飛くんがしてくれてたことだもん」
「あとどこかで美味しい物食べるにしても、いい雰囲気のレストランとかはもう絶対予約で全部埋まってると思う」
「うう……それもわかってるけど…」
どうやら、夕梨は諦める気は全くないらしい。気遣い屋で人一倍不器用なくせに、ここぞという時は頑固なのだ。
だが人に頼るのがものすごく苦手な夕梨が、この土壇場で自分に声をかけてくれたことは、乃愛にとっては嬉しかった。
はあ、と形だけのため息をつき、テーブルに置いていたスマートフォンを取る。
「そしたら、行きやすくて穴場のデートスポットとかないか、一緒に調べよっか。この際別にクリスマスっぽさにこだわらなくてもいいでしょ。食事をどうするかにについてはその後で考えよう」
そう言って乃愛が検索エンジンを開くと、横に座っていた夕梨が、雪崩れるように抱き着いてきた
「の、のあちゃあああぁぁぁあ」
なんてことだ。ここにきて、夕梨の涙腺が決壊してしまった。
このくらい彼氏に対しても気持ちを出せればいいのに、と乃愛は思う。しかし朝飛はこんなになる夕梨を知らないのだと思うと、それはそれでちょっとした優越感だ。
「ごめんね、ありがとううぅ」
「はいはい、お礼はまた今度でいいよー。今度朝飛くんと会わせてもらった時に、一発殴らせてもらえればOK」
「そ、それはちょっと…でも、ありがとう」
けれど半分冗談、半分本気の乃愛の言葉で戸惑う夕梨に、乃愛は少し切なくなった。ほんのちょっとだけだが、羨ましくなったのかもしれない。
夕梨はそれほどまでに朝飛くんのことが大好きで、大切なのだ。
「そしたらほら、夕梨も調べて」
とは言えそんなことを考えていても仕方ない。余計な感情を隠すように、乃愛は夕梨を急かして仕事にかかる。
そうして、「あーでもないこーでもない」と、2人で調べながら話している時間は、案外楽しかった。
多少見通しがついたときには、1時間以上が経過していた。
いつの間にか夕梨の目からも、すっかり涙は消えている。
「乃愛ちゃん、本当にありがとうね。日曜日…朝飛くんに話してくる!」
「はーい、頑張ってね。まあ夕梨の提案だったら、彼は何でも嬉しいと思うけど」
「そんなことないよ…でも、うん。頑張る。ちょっとは見直してもらえたら嬉しい。…あ、そう言えば乃愛ちゃんは、例のお客さんとちょっと話せたの?」
うかつだった。元気になった夕梨に、まさか突然自分の話題を持ち出されるとは。乃愛は「あー…それね」と言葉に詰まる。
一昨日のことは、一刻も早く忘れたいと思っていたのに。
けれど夕梨は不安そうに首をかしげて、乃愛の次の言葉を待っている。心配してくれているのが伝わって、乃愛は諦めて話すことにした。
「…うん、まあ。でもどうかな、突然話しかけたから、ちょっと引かれちゃったかもしれなくて」
「引かれた…って、そんなことあるかなあ。乃愛ちゃんに話しかけられたら、誰だって嬉しいと思う」
「夕梨は優しいからそう言ってくれるけど…男子にどう思われるかって、割とシビアだよ。がっついてる女だと思われたかもしれなくて、最悪なの」
「うーん?でも、実際何が起きたの?」
そうして乃愛は、ぽつぽつと一昨日のことを話して伝えた。
昨日…いつも来てくれるはずの金曜日に、彼が店に現れなかったことも。
「だからたぶん、もう距離置かれちゃったんじゃないかなあって。今更後悔しても仕方ないけど」
乃愛はそうやって、できるだけ軽い口調で話した。強がっているだけなのは自分でもわかっている。夕梨の話の方が深刻だから黙っていたが、乃愛のメンタルも昨日からだいぶ落ち込んでいたのだ。
するとすっかり冷静さを取り戻していた夕梨は、驚きも慰めも感じさせない表情で(彼女は泣いているとき以外は大抵無表情だが)、乃愛にキッパリ言った。
「まだ決めつけるには早いと思う。だって今までの話を聞く限り、そのお客さん、絶対乃愛ちゃんに気がありそうだったもの」
「何言ってんの。それだって恥ずかしいけど、私が自意識過剰だったんだよ」
「ううん、乃愛ちゃんはそんな勘違いするタイプじゃないよ。それよりも私は、そのお客さんが乃愛ちゃんと話せた嬉しさでキャパオーバーしちゃった可能性の方が大きいと思う」
「え、何それ…そのほうがあり得なくない?」
「全然あり得る。私も最初、朝飛くんと話すだけでそうなってたからわかる」
それは夕梨が若干特殊だからなのでは…と思いつつも、乃愛はちょっとずつ元気づけられている自分に気づく。
一方の夕梨はまた新しい可能性を思いついたようで、そのまま言葉を続けた。
「それに、店を出るときのその人、ふらふらしてたんでしょ。一度に対処できる感情の上限を超えたせいで、体がついてこれなくなったのかも」
「いやいやいや。それはさすがにぶっ飛びすぎでしょ」
「そうかな。でも、元々体調が悪かったのかもしれないよ。最近急に寒くなったし」
驚いた。夕梨は、乃愛が彼に距離を置かれた可能性なんて、全く頭にないらしい。
そのうえ、「乃愛ちゃんに限って、相手に引かれるなんて絶対にないもの」と自信満々に言ってのけた。その自信を、少し自分自身に分けてあげて欲しい。
しかし心の底からそう思ってくれている友達がいると、それだけで自分の気持ちも前向きになってくるから不思議だ。
確かに、彼が1日来なかっただけじゃないか。
それにここでいくら考えたって、実際どうかなんてわかるはずないのだから、うじうじ悩んでいても仕方ない。
乃愛の口許が自然と緩んだ。
「ありがと。夕梨のおかげでちょっと元気になった」
「ううん。それより乃愛ちゃんはもっと自分に自信をもったほうがいいよ」
真剣な眼差しの夕梨。だが悪いとは思いながらも、乃愛はかえって気が抜けてしまった。
まさか、夕梨から「自信を持て」なんて言われるとは。
そう思うと余計におかしくなってしまって、「ありがとう、でも夕梨もね」と言い、乃愛は声をあげて笑った。
その後は2人とも、夜が更けるまで好きな人の話が止まらなかった。
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