12月16日(木)17:10 〈夕梨の動揺〉

 

 夕梨ゆうりは初めてできた彼氏とのクリスマスを、とても楽しみにしていた。


とある郊外。駅から約5分の場所にある、ごく普通のダイニングカフェ。

そこのスタッフとして働いている夕梨は、すでに一仕事終えてバイトの制服を脱ぎながら、「今日こそは朝飛くんと来週のことについて話さなきゃ」と、人知れず心を躍らせていた。

なにせ「24日を一緒に過ごす」ということ以外、何も決めていないのだ。

情けないことに、付き合って3か月も経つのに夕梨はいまだに朝飛と気軽に話すことができない。好き過ぎてどうしても緊張するし、恥ずかしすぎて自分から積極的に何かをしたことはほぼ…いや、全くなかった。


夕梨は女性にしては背が高い。そのうえ、言葉は少なく表情も乏しい方だ。そのせいで、大学でもバイト先でも周りから「クール」とか、なんなら「冷めている」と思われている。

しかし実際は、人前で自分を出すことが苦手な、臆病な性格だった。顔に出ないだけで、心の中では常に焦ったり悩んだりで忙しい。そのため自ら人と距離をとってしまうことが多かったのだが、それが「堂々としてる」「近寄りがたい」と周囲から肯定的に?受け取られてしまい、ここまできてしまった。

今でも夕梨が安心して素直に話せるのは、高校の時からの友達1人だけ。

しかし夕梨は、朝飛ともそうなりたいと心の底から思っていた。


3か月前。彼と初めて一緒に出掛けて好きだと言ってもらえた時は、あまりの衝撃に1週間以上は放心状態だった。夕梨もずっと、彼のことが好きだったからだ。

もちろん今は、それ以上に大好きだ。

同い年だがカフェでは夕梨の先輩にあたる朝飛は、浮ついたところが全くなくて、いつも落ち着いていてかっこいい。それなのに、女の子らしくはしゃいだり喜んだりするのが苦手な、控えめに言っても可愛げのない自分を何故か好きになってくれた。その上デートだっていつも彼が考えて、いろいろなところに連れていってくれる。夕梨としては申し訳ないとも思っていたが、彼は「俺が好きでそうしたいから」と、いつも優しく大事に接してくれる。


だから初めてのクリスマスは、夕梨も朝飛に何かを返したかった。


帰り支度を終えると、夕梨はスタッフ共有の休憩スペースに向かった。

夕梨のバイトしているカフェは、17時半を過ぎると提供するメニューが変わり、ダイニングバーになる。そのタイミングで夕梨も勤務時間が終わる予定だったのだが、店長に「早めにあがっていいよ」と言われた今日はラッキーだった。

今日、朝飛が仕事に入るのも17時半。けれど真面目な彼はいつも20分以上前には共有スペースで待機しているので、少し話せるかもしれない。

そう思うと、少し緊張してくる。他に誰かいたらどうしよう?けれどちょっと用事があると声をかけて、外に出てもらえばいい……

頭でシミュレーションしながら、夕梨はドアノブに手をかける。しかし、部屋の中で誰かが話している声が聞こえると、咄嗟に手が止まった。


「…て、もう結構経ったでしょ。どうなの最近は?」


朝飛ではない、少し高めな男の人の声。きっと水野くんだろう。ノリの悪い女子が苦手なのか夕梨はあまり話しかけられたことがないが、朝飛は彼とそれなりに仲が良い。


「相変わらずだよ。どうもこうも、前に話した時とほぼ変わってない」


そして次に聞こえたのは、少し気だるげな朝飛の声。

何か嫌な予感がした。良くないとは思いつつ、夕梨はそのまま聞き耳を立ててしまう。


「まじかー。全然進んでないのな。何やってんだよ」

「仕方ないだろ。頑張ってんの俺だけなんだから」

「なにその不満、うける」


嫌な予感が、どんどん現実味を帯びてくる。

これはもしかしたら、自分が話題にされているのでは…?

楽しそうな水野と、不満げな朝飛。不安で心拍数がどんどん上がっていくのを感じる。怖いならその場を離れればいい。

けれど、気になってしまう。心は聞きたくないのに頭では確かめたくて、その場を離れられない。


「でも、そういうもんだって割り切ればいいじゃん。期待する方が間違いだろ」

「それはわかってるけど…にしたって、もうちょっと主体性を持ってほしい、というか」

「は?どういうこと?」

「なんでも人任せにしてくるのがさ。最近は俺ばっかり、都合よくいろいろ動かされてるみたいに思う」


夕梨の胸が、まるで氷を一飲みしたみたいに一気に冷えた。

この場合どうすればいい…きっと、すぐにここを離れた方がいい。これ以上聞かない方がいい。なのに、体が動かない。

そんな夕梨を嘲るかのように、水野の笑い声が響く。


「何それ。朝飛のそういうとこよくわかんないわー。変に主体性なんか出されるより、全部自分の好きにできる方が絶対楽しいじゃん」

「まあ、お前はそうだろうな。そういう奴だ」

「ひっでー言い方すんな…。にしてもお前だって、嫌なら早く見切りつければいいのに」

「別に嫌とは言ってないだろ。面白いところもあるから」

「はー、そうですか。めんどくさい奴。でもま、進展あったら言ってくれよな。いつでもアドバイスしてやろう」

「ああ、よろしく。これに関しては、今のところお前しか頼れない」


朝飛がそう言った直後、椅子から立ち上がる音が聞こえた。そして、こちらに向かってくる足音も。

夕梨がやばい、と思った時にはもう遅かった。逃げようと思ったものの当然間に合わず、部屋の扉を開けた朝飛とばっちり鉢合わせてしまった。

何とかごまかさないと、と夕梨は硬直した頭で必死に考える。しかし一方の朝飛は、少し驚いた顔をしたかと思えば、気まずそうに夕梨から顔をそむけた。


その瞬間、夕梨の不安は確信に変わった。

――これは自分のことを話されていたのだ、と。

あまりのショックで、泣きそうになるのを必死にこらえる。すぐに顔に出てしまうタイプじゃなくて良かったと、今この時ほど思ったことはない。


「あ、朝飛くん。今日は17時半から…だよね」

「そうだけど…そっか、夕梨は今日もう終わりか。お疲れ」

「うん。じゃあ、えっと…また今度」


もはや一刻も早くこの場を離れたかった。しかし朝飛は、夕梨の様子に引っかかるものを感じたようだ。後ろ手で共有スペースの扉を閉めて、


「……なあ、もしかして中でしてた話、聞こえてたか?」


苦い顔でそう訊いてきた。

逃げ場がない。また頭が真っ白になる。もし「聞こえてた」と言ったら、彼はなんて言うんだろう。それならもう隠すことはないと、色々言われてしまうのだろうか。というかこうなってしまった以上、彼とこのまま付き合っていることなんてできるのか。いや、待って。考えろ。

――このままだと、自分はフラれてしまうのでは?

きっと…いや、絶対にそうなる。聞く限り、朝飛は自分への不満を相当我慢しているらしい。主体性?だっけ。確かに、自分は朝飛の優しさや気づかいに甘えてばかりだった。彼が呆れるのも無理はない。

ならば別れを回避するために、今ここで変わらなくては……!


「ううん、全く。今来たばっかりだったから」


1秒前まであんなに動揺していた自分が嘘のようだ。努めて冷静に、夕梨はそう答える。間違いなく今、自分の人生の中で一番肝が据わっていた。

しかし朝飛は、そんな夕梨の様子にかえって違和感があったようだ。


「え、本当に…?」

「うん。でも、何を話してたの。聞いちゃいけない話?」

「いや、別に大した話じゃないんだけど…水野の…そう、ちょっと水野の相談にのってたから」

「そうなんだ。でも大丈夫、本当に聞いてないから」

「ならいいんだ。ごめん」


ほっとした顔になった朝飛。それを見て、夕梨はまた泣きそうになった。

しかしそんなことは露知らず、朝飛は話し続けた。


「あのさ。ちょっと話したいことがあって。24日の予定なんだけど」

「うん…私も話したいと思ってた」

「そうか、よかった。そうしたら今週の日曜は会えるかな。行く場所とか、いくつか考えてるからその時に――」

「ううん、大丈夫だよ。私も実はいろいろ考えてて…というより、むしろ任せて欲しい」

「え?」


朝飛が目を丸くした。

驚くのも当然だ。デートの時はいつも、朝飛が主導になって予定を立てていてくれたのだから。

けれど今回は、そういうわけにはいかない。


「いつも朝飛くんに、その、いろんなところに連れてってもらってるし。だから今回は、私の番かなって」

「いや、でも…」

「大丈夫だよ、朝飛くんはその…とにかく大丈夫だから。そしたらまた日曜日にね」


そして夕梨は逃げるように、その場を離れた。

考えなきゃいけないことはたくさんある。今日の事とか、クリスマスの事とか。

けれどまずはこの感情をどうにかしないと、苦しくて死にそうだ。



店を出てから10分後。夕梨は唯一頼れる友達に宛てて、涙目でメッセージを打っていた。



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