魔法魔術講座 2
諸所の事情があって、レクシリアの秘書官になるためにたゆまぬ努力をしたグレイと違い、少年は刺青の勉強以外のことはほとんどしてこなかったので、知識が少ないのも仕方がないことなのだ。それに、少年だって元は魔法適性者の少ない遠い地から来た人間である。この地の人々よりも魔法に関する知識が少ないのは、当然のことだった。
「あー、じゃあ、まずは神の説明からだな。もうざっくり行くぞ。良いか、人間が神と呼称する存在は大きく分けて二種類ある。一つは、信仰が存在の拠り所となっている神。もう一つは、人を含む生き物たちの理解が及ばないが故に神と呼ばれているだけの何か、だ。前者は、各地に存在する神話に出てくる神様とかだな。ああいうのは、いわばその地の生き物がある概念を神だと信じることによって生まれたものだ。その概念を神と信じる誰かがいる限り、その神は存在し続けるが、信仰が薄まればその力は弱まってしまう。これを俺たちは、“概念の神”や“信仰の神”と呼んでいる。こういった神々は、この次元だけでなく様々な次元に存在していると言われ、その土地の生き物と強く結びつき、時に幸いを、時に災いをもたらす存在だ。ここまでは良いか?」
少年の頭は既にいっぱいいっぱいだったが、なんとか説明を飲み込み、頷いた。
「今グレイさんが言った神様というのは、生き物というよりはひとつの概念のようなもの、ということですよね?」
「そうだ。信仰を基盤にした神々というのは、信仰を作った生き物によって生み出されたものだからな。無数の信仰の末に、ひとつの生命に似たものが誕生した結果が“概念の神”だ。だが、リアンジュナイルの人間の多くが神と呼んでいるものは、それとは全く違う」
そう言いながら、グレイは黒板に掌くらいの大きさの円をいくつか描いた。
「この円それぞれがひとつの次元だとしたとき、“概念の神”は、それぞれの円の内部に存在していることになる。だが、俺たちが神と呼んでいる存在は、その外にいるんだ」
そう言って、彼は複数の円を一際大きな円で囲んで見せた。
「この大きな円が、仮に箱庭だとしよう。その箱庭の内部に、いくつもの村がある。この小さな円がその村に当たる訳だが、それらひとつひとつが次元だ。俺たちの言っている神というのは、この箱庭の管理者みてぇなもんだと思えば良い。……判るか?」
「はい、なんとか……」
「で、この神様ってのが、俺たちのいる次元を含めたすべての次元を生み出した張本人、いわば、箱庭の作成者な訳だ。そんでもって、魔法ってのは、この神様が生み出して箱庭に与えた力なんだよ。だから魔法が一番強い。単純な話だろ?」
ようは、一番強い生き物が作った力だから一番強い、ということだろうか。その神とやらがどれくらいすごい存在なのかを知らない少年にはいまいちピンとこなかったが、恐らくはそういう話なのだろう。
「ということは、魔術と魔導は神様が作った力ではない、ということですか?」
「ああ。魔術は、魔力を持たない俺みたいなのでも使えるように、人間が長い年月をかけて開発した学問だ。勉学に得手不得手があるように、できる奴できねェ奴の差はあるが、学べば大抵の奴が使える」
「学問……」
「魔法紛いとも言う」
言って、グレイはポケットから緑色の石を取り出した。
「魔術を使うのには、魔術鉱石っていう、魔力に代わる媒介が必要でな。例えばこれは風の精霊の力を秘めた魔術鉱石なんだが、この中にある燃料みてェなもんを使って術式を編むことで、魔術を発動させるんだ」
緑の石を握ったグレイが、空中をなぞるようにして指を動かす。すると、彼の指先が滑った軌道が、淡い光となって宙に浮かび上がった。その光はグレイが指を動かすままに複雑な紋様のようなものを描いていき、やがて小さな陣のようなものが完成したその瞬間、窓もドアも締め切った部屋の中に突然風が生まれ、驚く少年の髪を優しく揺らした。
「今、この部屋に風が吹いたのが判ったか? これが魔術だ。さっき描いたような模様の種類で、発動する魔術が決まってる。まあ、数学の公式なんかに似てるな。色んな公式が持つ意味を理解し、それらを複合することでより高度な魔術に昇華することもできるんだが、当然ながら複雑性を増せば増すほど難易度も上がる。……すげぇ勉強しねぇと複雑な公式は理解できなくて、覚えた公式を色々組み合わせて新しい魔術を生み出すのは更に賢くならねェと無理って感じだ、って言えば判りやすいか?」
グレイの言葉に少年が頷く。
このときグレイは面倒だし必要がないからと言わなかったが、新しい魔術を生み出すことができる魔術師は非常に稀で、冠位錬金魔術師になるための必須条件のひとつであった。
「んで、これはまあついでだから覚えなくても良いんだが、こういう魔術を金属器に転写する技術のことを錬金術、魔術が転写された金属器のことを魔術器って言う。そんでもって、魔術の発動と転写ができると、錬金魔術師って呼ばれるようになる訳だ」
「転写……?」
「通常、魔術ってのは、魔術式を書き終えると同時に自動的に発動しちまうもんなんだが、それをうまいこと抑え込んで、未発動のまま金属器に封じ込めるのを、魔術の転写って言う。じゃあ魔術を転写した魔術器がどんな物かっつーと……、例えば、俺が今つけてる指輪とかがそうだな。ほら、指輪に赤い石がついてるだろ? これは火の精霊の力を秘めた魔術鉱石で、リングの内側に俺が刻んだ魔術式に呼応して魔術が発動できるようになってる。簡単に言うと、これを使えば、さっき空中に魔術式を書いたみたいな工程をスキップして、即座に発動できるんだ。これは俺用に組んだ魔術式だから他の奴が使うのは難しいが、自分以外も使用できるような一般向けのものを作ることもできる。つっても、他人が利用できるようにするとなると、どうしても発動する魔術の威力やら精度やらは落ちちまうが。ま、取り敢えず、ほとんどの魔術師は自分で作るなり人から買うなりして魔術器を持ってて、それを使って魔術を行使する場合が多いってことが判ってりゃ良い」
詳しいことはやっぱりよく判らないけれど、魔術というのもまた難しそうなものなんだなぁ、と少年は思った。少なくとも、勉強したところで少年が扱えるようになるとは思えない。
「こんな感じで、俺たち魔術師が風を起こそうとすると、魔術鉱石を消費した上で、魔術式を描くか魔術器を使うかしなきゃならねェんだが、魔法師がさっきみたいなそよ風を起こそうとした場合、大抵は、風霊、ってひとこと呼びかけるだけで済む」
「え、魔法って確か、呪文? 詠唱? みたいなものがありましたよね……?」
そう言ってから、少年ははたと思い出した。そう言えば、あの炎の王も、詠唱などなしで魔法を発動していたような気がする。どういう仕組みなのだろうか。
「そこら辺は感覚的なものらしくて俺も詳しくないんだが、リーアさん、……ロンター宰相が言うには、魔法ってのは精霊にするお願いごとみたいなもの、らしい。詠唱っていうのは、目上に対して丁重にお願い申し上げるのに似ているんだとさ。使いたい魔法に対応する精霊の加護が弱い人間、まあ、魔法適性が低い人間のことだな。そういう奴は、ちょっとした魔法でも詠唱をして丁寧にお願いせざるを得ない。だが、精霊の加護が強い人間は、もっと気軽に頼み事をしても聞いて貰えるから、わざわざ詠唱をするまでもない、っつー話だ。例えば、うちの王様なんかは火霊魔法の適性が最高ランクだから、ほとんどの火霊魔法は火霊の名前を呼んだだけで発動できる。それだけで、何をして欲しいんだか察した火霊が勝手に実行してくれるんだ。たまに詠唱することもあるみてェだけど、あれは大体が火力調整のためにしてるんだろうな。もともと魔法は火力やら発動範囲やらの調整が難しいせいで、詠唱することできちんと意思を伝えないと予想外のことをされる場合もあるみてェだから」
「……ええと、仲が良い精霊が関わる魔法は簡単なお願いで発動できるけど、あまり仲が良くない精霊が関わる魔法の場合はきちんとお願いをしなきゃいけない、ってことですよね……? あと、あの人の火霊魔法適性が最高ランクってことは、魔法適性にもランクがあるってことですか……?」
おずおずと尋ねた少年に、グレイはがしがしと頭を掻いた。
「あー、そうか。そうだよな。それも知らねェよな」
そう言ってから、グレイは一度黒板に書かれた文字やら図やらを全部消してから、新しい文字を書き始めた。
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