魔法魔術講座 1

 赤の王の生誕祭より一ヶ月ほど経ったその日、刺青屋の若き店主は、グランデル王国の王宮に来ていた。勿論、別に来たくて来たわけではない。赤の王に是非にと請われて、仕方なく訪れたのだ。

 ここ一ヶ月の間、あの王は、仕事は大丈夫なのかと心配になるくらい、ちょくちょく少年の店へと遊びに来ていた。赤の国と金の国を往復するとなると、通常であればかなりの時間を要するのだが、王はどうやら王獣に乗って移動していたようで、本人曰く日帰り旅行のようなものだそうだ。だが、それにしたって週に二日も来るのはどうかと思う、と少年は思っていた。

 まあお陰で、少しではあるが王と同じ空間にいることには慣れてきた。本来ならば、少年が他人に僅かでも心を許すなどそうそう有り得ないことだったが、少年にとって王はこの上なく美しい存在であるために、心にほんの少しだけ隙が生まれたのだろう。いや、もしかすると、あのとき王が少年に差し出した真摯な愛情を、少年が信じたからこそ起こった奇跡なのかもしれない。

 真実は少年にも判らなかったが、彼が赤の王に対して心を開きつつあるのは事実だ。だからこそ、こうして王宮などという畏れ多い場所に足を踏み入れているのである。

 少年が今いるのは、王宮の中では比較的小ぢんまりした書斎のような一室だった。高級そうな木製の書斎机を目の前に、これまた高級そうな椅子に座った少年の視線は、机の向こう側に設置された簡易式の黒板に向いている。そして、その黒板のすぐ傍で白墨を握って立っているのは、赤の国唯一の魔術師であるグレイ・アマガヤだった。

「それじゃあ始めるぞ」

 グレイの声に、少年がこくりと頷く。

 そう、少年がわざわざ仕事を休んでまでこの国に来たのは、魔術や魔法についてグレイから教わるためだった。少年としては、教わったところで自分がそれを扱えるとは思えないので、あまり意味はないのではないだろうかと思ったのだが、今後帝国に狙われたときに少しでも役に立つように学んでおくべきだ、ということらしい。

 そこまではまあ良いのだが、講師役を務めるのがグレイだというのには少年も驚いた。

 冠位錬金魔術師などという大層な肩書を持つ人物に教わるなど畏れ多いと、謹んで辞退しようと思ったのだが、張本人であるグレイに許して貰えず、結局こうして大人しく講義を受けることになってしまったのである。仕事の都合で今回滞在できる期間は四日ほどしかないのだが、どうやらグレイはその短期間で、ある程度の知識を叩きこむつもりのようだった。あまり頭の作りに自信がない少年はとても不安だったが、来てしまった以上は頑張るしかないだろう。

「お前、魔術はおろか魔法についてもほとんど知識がないんだっけか?」

「あ、はい……。魔法は適性がないと使えないものだってことくらいは知っているんですが……。すみません……」

 この少年は、興味がないことに対する知識はとことんないのだ。しかし、魔法に関する知識はこの大陸では一般常識のようなものだろう。その一般常識を知らないというのは申し訳なく、思わず謝ってしまった少年に、グレイは少しだけ顔を顰めた。

「別に謝らなくて良い。今から覚えりゃあ良いんだから。なるべく初心者にも判りやすいよう、簡単に説明するが、それでも判らないことがあったらその都度言えよ。判らないことをそのままにしてると、余計判らなくなるからな」

 そう言ってから、グレイが黒板に文字を書きながら話を始める。

「お前もなんとなく知ってるみたいだが、魔法ってのは生まれ持っての才能ですべてが決まる能力だ。生まれつき、どの精霊にどの程度気に入られているかで、使える魔法と、魔法発動によって消費する魔力が概ね決まってる。……魔力ってのは判るか?」

「ええと、魔法を使うときに必要な力、としか……」

 自信がなさそうな少年にグレイは、まあそんなところだと頷いた。

「魔法ってのは、自分が持っている魔力を精霊に差し出してお願いをすることで、精霊の力を引き出して現象を起こすものでな。要は、魔力は精霊に渡す対価なんだよ。つっても、俺も魔法は使えないから具体的なこととかはいまいち判らねェが、まあ、取り敢えず魔力を対価に精霊の力を借りるものだってことが判ってりゃいいだろ。あとは、……そうだな。今のところ人間が扱える能力で魔法を越えるものはない、とかか」

「魔法が一番すごい、ってことですか?」

 あの、帝国の軍人だとかいう男が使った空間魔導とやらも、相当に強力な力のように思えたのだが、魔法はあれよりもすごいことができると言うのだろうか。

「今のところ、な。正直、俺らも帝国の魔導がどの程度発展してるか知らねェから何とも言えねェが……。少なくとも、腹立たしいことに、魔術が魔法を越えられることはないだろうな」

「そう、なんですか?」

 少年の言葉に、グレイが頷いた。

「魔法は、そのルーツが神そのものである力だからな。……神は知ってるよな?」

「……ええと……」

 金の王城で二人の王から神についてのなんとなくの説明を受けたような覚えはあるが、正直詳しく覚えているかというと、とても自信がない。

 少年が曖昧な微笑みを返せば、グレイは数度瞬きをした後、深くため息をついた。

「お前、神も知らねェのかよ……」

「……すみません……」

「エトランジェの俺よりも知らないって相当だぞ……」

 グレイの言葉に、やはり少年は曖昧な微笑みを浮かべた。

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