千里眼の老婆 3

(恐らくは、向こうにも動けぬ事情がある筈だ。そうでなければ、リアンジュナイルの制圧にこうも時間がかかることはないだろう。その事情とやらが判るのが一番なのだが、……その辺りは本丸に潜入中の黒の王に任せるべき、か)

「さて、霧は晴れたかい?」

 老婆の言葉に、王は苦笑した。

「これでご老人の知っていることの一握りだというのだから、困ってしまうな。どうやら、事態は我々が思っている以上に切迫しているらしい」

「それが判っただけでも、来たかいがあったというものじゃあないか」

「まったくもって仰る通りだ。ご尽力、感謝する」

 そう言ってからもう一度深く頭を下げ、王は立ち上がった。

「おや、もう行くのかい? 久々に会ったのだから、もう少しゆっくりして行けば良いというのに」

「お誘いは大変嬉しいが、そうはいかない。急ぎ、このお教え頂いた情報を連合国で共有せねばならんのでな。残念なことに薄紅の国で遊ぶ時間もなさそうだ」

「そう急ぐことでもないんじゃあないかい? 急いてどうなるものでもないよ」

「いや、実は近々キョウヤがグランデルに来ることになっていてな。なんとしてでも、それまでに情報共有くらいは済ませておきたいのだ。そうしないと、心置きなくキョウヤとの逢瀬を満喫することができん」

 大真面目な顔で言ってのけた王に、老婆が今日一番の呆れた顔をする。

「わざわざ自分の国に招いてデートとは、楽しそうで何よりだねぇ」

「いやいや、別にデートではないぞ。うちの魔術師が、キョウヤに魔法やら魔術やらの指南をすると言って張り切っていてな。どうやら、キョウヤの魔法などに対する知識が著しく不足しているのを案じているようだ。実際、仕組みを知らないよりは知っている方が、対峙したときに多少は対応できるだろう。という訳で、キョウヤ専用の魔法魔術講座のようなものを開くことになっているのだ」

 王はそう主張したが、老婆はやはり呆れた表情を浮かべたままだった。

「まあそんな訳なので、私はこれで失礼する」

 そう言ってさっさと身を翻してしまった王の背に、老婆が声を投げた。

「こらお待ち。まったくせっかちな男だねぇ。最後にひとつだけ話を聞いてお行きよ」

 その言葉に、扉のドアノブに手を掛けたまま、王が振り返る。まだ何か用かとでも言うように軽く首を傾げてみせた王を見つめ、老婆は深々とした溜息を吐いた。

「お前さん、自覚はおありかい?」

「自覚、とは?」

 全く心当たりがないといった風な王に、老婆は再び小さく息を吐き出した。

「鈍感なのは相変わらずだね。……まったく、目障りなくらいにきらきらぴかぴかと光り輝きよって。鬱陶しいことこの上ないよ。その様は一体いつからだい?」

「いつ、と言われてもな。……そんなにきらきらぴかぴかしているのか? 光源になった覚えはないのだが」

「頭の悪い返しはおやめ。腹の立つ男だね。……儂は確かに言った筈だよ? お前さんのそれは壊れた蛇口のようなものだ。一度緩んでしまえば、もう二度と締まることはない。だから精々緩まぬように気を張りなさい、と」

 老婆の言葉に、王が困った表情を浮かべる。

「相変わらず婉曲的な物言いをする。確かにそう言われた覚えはあるが、ご老人の言葉選びはいまいち判然とせんのだ。蛇口というのが何のか、私には検討もつかん。尤も、過干渉を防ぐための手段だと言うのならば、どうこう言えたものではないが」

「よく判っているじゃあないか。それじゃあこれは、そんな察しの良いお前さんへのご褒美だ」

 そう言って一度言葉を切った老婆は、王の金の瞳を見つめて目を細めた。

「良いかい。何もかも手遅れだ。お前さんの蛇口はもう緩んでしまった。状況が悪化することはあっても好転することはないだろう。だから、後はもう、これ以上緩むことがないように手を尽くすしかないよ。そうすれば、……まあ、四十くらいまでは生きられるんじゃあないかね」

 老婆の言葉に、王が僅かに目を見開いた。

「……前に聞いていた話と違うぞ。あのときは七十までならなんとかなるだろうと言っていたではないか」

 リアンジュナイル大陸の人間の平均寿命は百歳程度なので、それでも相対的には短命な方だ。だが、今老婆が告げた寿命は、それを遥かに下回る。これはさすがの王も予期していない言葉だったようで、彼は真剣な表情で老婆を見つめた。

「そんなことを言われてもねぇ。こうも馬鹿みたいにきらきらと輝きを放っていたら、そりゃ自分まで燃やし尽くしてしまうよ。お前さん、そんなに早く死にたかったのかい?」

「馬鹿なことを言わないでくれ。そんな訳がないだろう。……しかし、私はそんなにも輝いているのか? 自分では全く判らないのだが」

「判る者には判るんだよ。まったく、本当に呆れた王様だね」

 そう言った老婆の声には、ほんの僅かな憐憫のようなものが含まれていた。それに気づいた王は、しかし老婆の言葉を噛み締めることはせず、何かを思案するように目を伏せた。

「……そうか。では、光り輝いている私は、きっと美しいのだろうな」

 そして、老婆の視線の先、輝ける太陽にも似た炎の王は、蕩け出すような甘く優しい笑みを浮かべるのだった。

「ますます早死にになるのはいただけないが、それでも、私がこれまでよりも一層美しくあるというのならば、それは間違いなく、幸福そのものだ」

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