千里眼の老婆 2

「それでは単刀直入に伺おう。キョウヤはエインストラなのだろうか。そして、エインストラとは何者なのだろう」

「……訊くのは良いが、お前さん、それを円卓会議で話すつもりかい? 前にも言ったが、儂はひっそりと暮らしたいんだ。お前さんは儂の力を知っても利用しないから良いが、果たして他の王もそうだろうかね」

「……状況が状況だけに、諸王への報告は免れられないだろう。だが、円卓の王は皆王として優秀だ。貴女の力をむやみやたらに利用しようなどと考えるような愚か者はいない。もし万が一そうなったならば、そのときは必ず私が貴女をお守りしよう。だからどうか、お力添え頂きたい」

 そう断言した王に、老婆はふっと表情を緩め、微笑んだ。

「知っておるとも。少し意地悪を言ってみただけだよ。……それじゃあまずは、お前さんが一番気になっていることに答えようじゃないか」

 そう言って、老婆は机の上に置かれていたカップを口元に運んだ。

「あの坊やだけれど、恐らくは、エインストラであるとも言えるし、ないとも言える存在なんだろうね」

 ずず、と茶を啜ってから言われた言葉に、王が首を傾げる。

「つまり、どういうことだ?」

「お前さんも薄々気づいているんじゃあないのかい? あれはね、一種の先祖返りだと思うよ。大方、先祖返りが起こることで右目だけがエインストラとして発現したんだろう。恐らく、あの子は遠い先祖にエインストラを持つだけのただの人間さ。だから、あの子自身に次元を越える能力などある筈もないと、まあ、儂はそう思うね」

 そう言われたが、曖昧な表現で濁しているところを見ると、老婆自身確たる証拠があって言っている言葉ではないようだった。

「……仮にその言葉が真実で、キョウヤが純粋なエインストラではなかったとしても、エインストラの血が混じっていることにはなる」

 王の言葉に、老婆が目を細める。

「その通りだ。だから、お前さんたちからしたら厄介だろうね。儂も何もかもが判る訳じゃあないが、エインストラの血を使えば次元に干渉しやすいのは事実さ。仮にあの子が先祖返りだとして、薄れ切ったエインストラの血でどれだけのことができるかは知らないけれど、もしかするともしかするかもしれないからねぇ。それに、命の危機に瀕した生き物というのは、時に想像を凌駕するほどの何かを見せることもある。あの子を極限状態まで追い詰めれば、一度くらいはエインストラとしての力を発揮するかもしれない。……まあ、それも本当にあの子が先祖返りだったら、の話だけれどね」

 老婆はそう言ったが、彼女がこうして話すということは、あの子供がエインストラの血を引いている可能性は高いのだろう。そして、その血が次元に干渉する手助けになる可能性も高いということだ。それどころか、場合によってはエインストラとして覚醒してしまう可能性すらあるらしい。

「……エインストラとは、それほどまでに強大な力を持つ生き物なのだろうか」

 王としてはそれなりの回答を覚悟しての問いだったのだが、しかし老婆はやはり呆れたような顔をした。

「馬鹿を言うんじゃあないよ。あれにできることなんぞ、次元を越えることと、あとはせいぜい、万物の真の姿を見抜くことくらいさ。あれの役目は、神に地上の有り様を正確に伝えることだけだからね。例えば単純な力比べをするのなら、お前さんらの方が遥かに強い。特にこの地の人間は精霊に愛されているからねぇ。とてもじゃないが、エインストラでは太刀打ちできないよ」

「……万物の真の姿を見抜く、か」

 呟き、王は僅かに目を細めた。

 もし少年のあの目がエインストラとしてのものだったとしたら、だからこそあの異形の瞳は、王の本質を見抜いたというのだろうか。あの子は、自身すらも知らない王の核の部分を見抜いたというのだろうか。

「何か心当たりでもおありかい?」

「……いや、なに、もしそれが真実ならば、それはとても尊く運命的なことだなと思っただけだ」

 どこか優し気な声で言った王に、老婆は奇妙な顔をした。

「……お前さんが運命だなどと抜かすとは、やれやれ、これは世界の破滅も近いかねぇ」

「縁起でもないことを言わんでくれ。ただでさえ、そんなことは有り得ないとは言い切れなくなってきたところなのだ。とは言え、この地が神の選定を受けて誕生した地であることは事実だ。その地の守護を我々が任されている以上、我々が何かに負けるということはないだろう。すなわち、帝国が我々の手に負えないような脅威の召喚に成功する確率は、限りなく低いと考えられる。それこそ、神が読み違えでもしない限りは有りえないのではないだろうか」

 万が一を想定して各国の王を筆頭にリアンジュナイル大陸全体の警戒レベルを上げてはいるが、赤の王を含めた諸王たちは、ドラゴンの召喚が現実的だとは思っていなかった。この地が神にとっての要の地である以上、絶対にこの地が滅ぶことは有り得ないのだ。だからこそ、仮に帝国がドラゴン召喚の手筈を整えたとしても、実際に召喚されることは有り得ない。何故ならば、あんなものは一度召喚されてしまえばもう人の手ではどうにもならないからだ。だからこそ、途中経過がどうあれ最終的に召喚は失敗に終わるだろう。それがリアンジュナイルの民の尽力によるものか、はたまた天災によるものかまでは予測できないが、そうでなければこの地が滅んでしまうのだから、そうなる筈なのである。

 赤の王を以てしてもそう断ぜざるを得ないほどに、彼らの認識している神という存在は強大な何かであった。

 確かな事実に基づいて発言した王に、しかし老婆は難しい表情を浮かべた。

「……ご老人?」

 訝し気な顔をした王に、老婆が一度目を閉じて大きく息を吐く。そして彼女は、眉根を寄せたまま王を見た。

「儂はお前さんを気に入っているが、だからと言って儂が知っている僅かなことの全てを教える訳にはいかない。だから、お前さんに渡せる情報はほんの一握りだ。良いかい?」

 念を押すような言葉に、王が頷く。それを確認してから、老婆は再び口を開いた。

「ここ暫くの間、南東に良くないものが住み着いている。あれは人の手には負えないよ」

「…………なるほど。心得よう」

 一瞬だけ表情を強張らせた王は、次いで深々と頭を下げた。

 他でもない、これ以上ないほどに心を砕いてくれたのであろう老婆に、感謝の気持ちを表明したのである。

 老婆は確かに王を気に入ってくれているが、恐らく彼女には彼女の立場や事情がある。だからこそ、王を含むこの地の人間への過度な干渉は避けているのだろう。だが、たった今王に差し出された言葉には、彼女が引いている一線を越えてしまうに十分すぎるだろうほどの情報が含まれていたのだ。

 暫く、という単語に込められた意味は、恐らく二つある。一つは、十年前に急に帝国の魔導が発展したことと関わりがあると伝えるため。もう一つは、そんなにも長くの間、良くないものとやらが帝国に存在し続けられたという事実を知らせるためだ。そして極めつけは、人の手には負えないという一言である。

 つまり、老婆の言葉に含まれた意図を推測すると、

(十年ほど前から帝国に加担している何者かが、帝国の魔導を発展させた。そしてその何者かは、人の手には負えぬ力を持つ者。それこそ、ドラゴンに匹敵するか、それ以上か……。どちらにせよ、守護装置である我々の手に負えない生き物が十年もの間関わっていたというのに、神が干渉してくる様子はなく、事態はどんどん悪化しているということになる。では、神は何をしているのか。我々が思っているほど万能ではないか、そもそも所詮は防衛装置に過ぎない我々を守る気などないか、……もしくは、干渉できない事情があるか……。最初の可能性は低いと思うが、今の段階でそこまでの判断はつかない。だが、少なくともこれで我々の前提は崩れたな。神の決定は絶対ではない。……いや、待て。寧ろこれは、神が下した絶対の決定を覆し得る生き物が存在する、と考えるべきか? ……であれば、良くないものというのは……)

 そこまで思案したところで、王は深く息を吐き出した。

 考えるのはやめだ。老婆がその生き物を人の手に負えないものだと言うのであれば、それはその言葉の通りの意味である。王がここで思案に暮れたところで、事態が好転することはないだろう。

「ここは逆に、十年も時間があったというのに大した動きがなかったことを喜ぶべきか」

 ふっと微笑んでそう言った王に、老婆は何も言わなかった。だが王には、その表情が少しだけ緩んだように見えた。

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