千里眼の老婆 1
黒の国、ヴェールゴール。連合国一人口の少ないこの国には、太陽と月と星以外の光源がほとんど存在しない。何故なら、この国の国民には夜目が効く者が多く、ほとんどの民が明かりを必要としていないからである。
ほぼすべての国民が隠密稼業に従事しているこの国では、昼間に人影を見ることはあまりない。代わりに、国民たちは陽が沈んでから再び昇るまでの間に活動することが多かった。
その日の夜半、そんな黒の国のとある街に、赤の王が一人で訪れていた。といっても、今回はいつものような無断出奔ではなく、宰相から正式に許可を得た上での外出である。
古い顔なじみに会いに行くと言って赤の国を出た王は、しかし先程から同じような場所をぐるぐると回っていた。
黒の国では、金の国のように建物が整然と並んではおらず、石造りの建物たちは不規則に密集している。そのせいで道が細く複雑に入り組んでおり、初めて訪れる者を迷わせるような造りになっているのだが、王もまた、迷い人の一人なのだろうか。いや、そうではない。王の足取りに迷いはなく、彼は明確な意図を以て歩を進めていた。
(この道を右回りに三周した後に、次はあそこの角を曲がり、左に二周)
頭の中で道筋を思い出しながら、王が歩く。そうして街の一角を回り続けて暫くしたところで、王はようやくその歩みを止めた。そして、先に道が続いてる目の前の空間に手をかざし、小さく呟く。
「オープン セサミ」
すると、王が手をかざした場所を起点に、まるで皮が剥がれていくように空間が捲れ、複雑な模様が彫られた一枚の扉が出現した。そして、王がドアノッカーに触れる前に、王を招き入れるように扉がひとりでに開いていく。
これは、空間魔法の一種であった。決められた場所を決められた順に決められた回数だけ回り、最後にある言葉を唱えることで扉が開くように設定された、比較的高度な魔法である。そして、その扉の先こそ、王が目的とする場所だった。
手順に従いこの空間魔法を解除したのは王だったが、別にこれは王が施した魔法ではない。赤の王は、こういった緻密で複雑な魔法は大の苦手なのだ。この空間魔法は、扉の先にいる者が、自身が認めた訪問者以外の侵入を防ぐために施したものだった。
「お邪魔する」
そう断って扉をくぐると、扉は開いたときと同じように勝手に閉まってしまった。それをちらりと見てから視線を前に戻せば、男の視界に、沢山の物が乱雑に置かれている部屋が広がった。物が多いせいか手狭に感じられるそこには、分厚い布がかけられた低いテーブルがあり、それを挟んで向かいの床に、背の曲がった老婆が座っている。
「久しいな、ご老人」
王が老婆に向かって軽く会釈をすると、老婆は皺だらけの顔を顰めて返した。
「儂と会うというのに、随分とやぼったいものを張り付けているねぇ」
「やぼったいもの? ……ああ、目くらましのことだろうか」
そう言った王が苦笑する。
「これは申し訳ない。一応これでも有名人でな。こうでもしなければ、目立ってしまって困るのだ」
「そうやって誤魔化したところで、お前さんはどうせ目立ってしまってどうしようもない人間だよ」
呆れた声で言った老婆が鬱陶しそうに手を振ると、男を覆っていた目くらましの薄衣が見る見るうちに剥がれていき、赤銅の髪と金の瞳が露わになる。
「こら、何をする。これでは帰るときに難儀してしまう」
「うるさいねぇ。いつものように王獣にでも乗って帰りな。道中の食料くらい用意してあるんだろう?」
「まあ、それはそうなのだが……」
ついでに薄紅の国でも冷やかして帰ろうかなぁと思っていた王だったのだが、どうやらその考えを見透かしたらしい老婆は、呆れ返った表情をした。
「またあの犬っころに怒られたいのかい?」
老婆の言う犬っころというのは、グランデル王国のレクシリア宰相のことである。
「今回は公式に許可を得ての遠出だ。道中ちょっとしたトラブルに巻き込まれて帰りが数日遅れてしまったとでも言っておけば……」
「なんとかなるのかい?」
「いや、嘘を見抜かれて大目玉だな」
そう言って笑った王に、老婆がやれやれと溜息をつく。
「まあそんなことは良いんだよ。取り敢えずお座り。儂に用があってきたのだろう?……大方、あの眼帯の坊やのことかね」
「さすがに耳が早い。キョウヤをご存知か。それでは、現状の帝国の動きも把握しているのだろうな」
老婆の向かいに置かれた座布団に腰を下ろした王が、すっと真顔になる。
王がこの老婆に出会ったのは、かれこれ十五年以上前のことである。自身を千里眼の婆と名乗るこの老婆は、その名の通り、千里を見渡す目を持っているらしい。はたしてそれが本当に千里先を見ているのか、はたまたもっと遠くにも及んでいるのかは王も知らなかったが、少なくとも王がこうして訪れるとき、老婆は王の欲しい答えを持っていた。
今回も王は、天ヶ谷鏡哉の素性について老婆に尋ねようとやってきたのだ。円卓の十二国一の情報通である黄の王すらもエインストラについて有力な情報を持っていなかったため、残る手段がこれしかなかったのである。
王自身としては、この老婆の力を借りることはあまり好んでいなかった。別に、老婆を好いていないだとか、そういうことではない。ただ漠然と、この老婆は人ではない何かなのだろうと感じていたので、そういう類のものの力を借りるのが憚られただけである。
人には人の領分というものがある。それを侵すのも侵されるのも、本来の在り方から外れる行為だと、王はそう考えていた。
それを証拠に、王がこの老婆の力を実際に借りるのは、これが二度目である。何度か相談に赴くことはあったが、基本的に過去の一回を除けば、結局王は己の手で全てを解決していた。
だが、今はそんなことを言っていられない状況だ。そう判断しての訪問だったのだが、どうやら老婆は全てお見通しのようである。
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